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(回答先: 権力は服従を求める 投稿者 縄文ビト 日時 2005 年 6 月 14 日 09:31:42)
>また権力に対しては相手の義務を引き出すのではなく服従を要求するものです。
>ワヤクチャさんは何か混同しているような気がいたしますが。
義務を引き出すというのは、道義的納得をさせた上でさせるということですね。そういう風に持っていけたらいいですね。
>>課税というのは明確に権力の行使です。
>これも権利と義務の関係になるのではないかと考えます、なぜそのように考えるかといいます>と、人間社会は何十万年か前、いやもっと以前かもしれませんが現在に至るまで、人間社会を>形成していくには人間の労働を切り離すことは出来ません、その労働の中から一部分が社会的>使用分として社会に提供しなくてはならない部分です。
そうですね。
>ただそれが権利と義務という関係か、それとも権力に対する服従かという問題になります。
>後者の権力に対する服従としては端的に言えば江戸時代とそれ以前の年貢という制度、
>これは完全な権力に対する服従を要求しているものです。そして封建社会以後の税金という
>制度、これは曲がりなりにも民主主義の中での合意を得ているものと言うことが出来ます。
>両者を比較して時。
>年貢=権力に対する服従 税金=権利と義務との関係において徴収されるもの。両者共通の
>ものは、社会的使用分ということが出来ます。 そして権利と義務の関係において義務者とし>て税金を払いますが、では権利者とは誰なのかということになります。税金関係の権利者は
>役人ではなく、彼らは単に預かっているだけのものであり、本来の権利者はその社会を構成
>する人達が権利者となります、それはその社会を維持するための費用であり、それを負担
>するのが個人としての義務となります。
はい。
>権利と義務・権力と服従。両者を混同しているとそれらは見えてこないかと思いますが。
>どのような社会においても社会的使用分の負担は人間である以上免れないものと考えます。
>その負担に対し負担者の意志が通じるかどうかの問題だといえますが。負担者の意志が通じな>ければ強制的に取られているという感覚だけが残ります。
そうですね。富裕層の抵抗を少なくするにも、そこは考えねばならない。機械的に累進課税をやっても、限界はあるでしょう。富裕層の不満は軽く見るべきではない。
>>縄文ビトさん、レスありがとうございます。
>>「多くの人々に支持された政策」が権力であると私は言いたいのです。
>>靖国参拝を支持する人が戦争政策を遂行する権力を形成していると言いたいのです。
>これは単なる支持であり権力ではありません。支持を得たとしても、自分が支持を得た、
>だから権利があるのだ、また支持をしてくれた人達にも義務を課されるものではないといえま>す。ましては権力などとんでもない話です。
>>権力と民主主義というものを縄文ビトさんは対立的なものと捉えられていらっしゃるのかも>>知れません。
>あくまでも権力は服従を要求するものです。
そうです。権力は恐ろしいものです。あまり行使すべきではない。ただ、市民の側が権力側に権力を行使せざるを得ない状況がある。切迫した状況において、向こうの権力をはねかえすためには、こちらが権力を行使せざるを得ないという。
>>私にはいかに民主主義的手続きを経たものであろうとも国是とされた政策は権力になってい>>ると考えているのです。
>我々がそのことで完全なる服従を要求されればの話ですが。国是とされたものが基本的人権に>かかわるものであれば、裁判という形で争うことが出来ます。
もちろんです。
>>民主主義的手続きを経て作られた法律が権力であるという事です。
>例えば基本的人権を否定され服従を強制されるものであれば権力とみなしますが。
>>そういうものも権力の構成要素と見なければ権力の一部しか見ていない事になると
>>思います。
>>で、簡単に言えば現在の権力は資本家の利益を擁護・助長する為の権力であり、それに対し>>て万人が最低限の生活をする為の権力(即ち、資本家には不利益をもたらす権力」を私は形>>成しようとしているのです。
>ワヤクチャさん、まず人間としての 権利を主張すべきです。私は人間とは何か、人間は如何>に生きるべきかということの中で人間としての権利を主張しているわけです。決して権力を主>張しているわけではありません。
ただ、権利を主張しても、こちら側にあちら側を動かす力がないと、押し切られてしまいますね。
>>しかし、もし私の意見が賛同者を得て同じ考えで投稿する人が増えてきたら?
>>それは徐々に権力を形成するものと言えるのです。
>そのように考えているとしたら、誰もあなたを支持しないのではないですか。なぜならやがて>あなたが支持イコール権力者だとしたら、指示した人は服従を求められるわけです。
そこは違うのですわ。権力というのはワヤクチャさんがリーダーになったとしても、そこに権力があるのではなしに、ワヤクチャさんを支持する人全体が他の集団に権力を行使する。こうなってくると、ワヤクチャさん自身が下りたくても下りられない権力ができるという。指導者が支持者に規定されるのである。毛沢東やスターリンのような共産圏の共産党はあまり良い例がないが、安保闘争の時の社共は良い例です。あの時、国会前で解散を呼びかけた共産党は労働者から罵声を浴びた。権力は下から形成されると下のワヤクチャさんのレスにありますね。小泉を支持しているネットうよも外部には圧力をかけますが、小泉に服従するどころか、小泉を支持し続けるとは限らないのですよ。支持=権力とすれば、支持を失った時は権力を喪失するのです。事実、森なり小泉なりを支持した者が「コイツダメだな」と思ったら、切られる訳です。地位に下に見える方に落とされることもあるでしょうね。ワヤクチャさんが支持されて、ワヤクチャグループが権力を得ても、ワヤクチャ氏が支持者にそぐわない方向を考えていると見られたら、失脚するでしょうね。共産圏のような独裁国家ではなく、株主総会をイメージしてみてはどうでしょうか?株主は今の経営陣を支持します、と。株主=納税者=国民で、株主が権利を行使する。家族会は小泉を支持しても、服従はしません。小泉に圧力をかけるだけです。実際は首相の小泉が最高権力を持っているのではないのです。権力を行使するのは国家権力・マスコミ・右翼全体なんですね。
権力というのは刀のようなものだから、ここぞという時に使うものです。