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(回答先: 強制する内容を明らかにした権力 投稿者 ワヤクチャ 日時 2005 年 6 月 12 日 13:37:07)
>スパルタコスポノさん、あなたは権力という言葉に全方位に向けて強制力を発揮する権力と
>いうものを想定されていませんか?
>私が樹立したと思っている権力とは例えば為替取引によって得た利益に対して課税する権力
>と言った具体的内容を明示したものであるし、第一私の個人の権力などというものではあり
>ません。
>個人の権力なんて権力でも何でもありません。
>私の投稿を読むことは強制できないワケです。
>だから現時点で私は権力であるハズがありません。
>しかし、もし私の意見が賛同者を得て同じ考えで投稿する人が増えてきたら?
>それは徐々に権力を形成するものと言えるのです。
なるほど。
>自由度一般というものはありません。
>金持ちにとっては私が目指す権力は自由度が低いものでしょう。
>誰にとっての自由度なのかが問われなければなりません。
全くですね。右翼民族主義・国家主義者・ファシスト・金持ち・サラ金業者・新興宗教にとっては今でも自由度は高いといえますね。
>他人を処分しなくても命令に従わせるだけで充分強制力として成り立っておりますが。
命令に従わなければ、どうするかです。従わない者に何もできないのなら、権力とはいえません。従ってない者を放置している訳だから。
>現在資本制までの革命は市場経済活動の自由を求める革命であったワケです。
>今後は個人の生活を保障する革命になるでしょう。
>生きる自由が追求されるのであって
>市場による利潤追求の自由は抑制されるのです。
そうですね。
>自由の中身が違ってくるのです。
なるほど。
>対話をしない権力や異論者を抹殺する権力では無価値なのだ。
>そんな権力は私は求めておりません。
>私は例えばあなたや縄文ビトさんを異端と認定しようとはしません。
>もちろんです。賛成です。
>そんな事をする権力を作ろうと言っているワケではありません。
すみません。あなたが求めているとは言ってませんが、あなたの運動がいつの間にかあなたの理論でそういう方向にいってしまうのではないかと少し心配したのです。
>権力とはそういうものです。
>だからこそそれに対抗する権力が必要なのです。
>靖国参拝違憲訴訟などは、法によって首相に参拝させないという強制力を持とうという訴訟
>なのです。
>行政権力に対して民衆が対抗的権力を行使しようとしてきたのが民衆の闘争の歴史なのです。
>徳島県の吉野川に可動堰を作るという国土交通省の計画に対して反対住民が住民投票で反対
>するというのはまさにそのような権力闘争なのです
>市民の方にも権力があるというのは正しい見方です。
>選挙権も権力の行使なのです。
>「あなたが議会に行ってくれ。」という命令なのです。
>差が大きくても市民に権力が全く無いとは言えないし、市民の力を強める事に反対するのも
>間違っている。
市民の側でも「権力」で良い訳だ。
>絶対度とは?
>権力には違いが無いし対抗的権力を形成すべきなんですよ。
>例えば対抗的メディアを作る試みも対抗的権力形成の一環なのです。
>メディアは権力なのですから。
>これは権力の拡大解釈などでは無く、権力がたった1つの言説をも手段とする総合力である
>というリアルな認識なのです。
>例えば、ある犯罪者を極刑に処すかどうかは世論の動向が大きな役割を持つという事を
>お考えいただきたいのです。
>極刑に処すのは直接的には裁判所ですが裁判所と言えども世論の動向を全く無視して判決を
>下しにくいという事があるのです。
>この場合、世論も権力の一部として機能していると言えるのです。
なるほど。
>民衆の合意の結果として対抗的権力が形成されるのです。
>私は対話無しに権力を命令で作れるとは思っておりません。
>賛同を得る事は権力を形成するのです。
>うまい宣伝によってある商品の売り上げが伸びるのであればその宣伝は市場を動かしたの
>です。
>現象の分析に「拘束力」などと言う極端な言葉を使う事によって現象内部で何が起きている
>かを見逃してしまうのです。
分かりました。私の完敗です。市民の側の権力が必要です。