★阿修羅♪ > 議論21 > 318.html
 ★阿修羅♪
強制する内容を明らかにした権力
http://www.asyura2.com/0505/dispute21/msg/318.html
投稿者 ワヤクチャ 日時 2005 年 6 月 12 日 13:37:07: YdRawkln5F9XQ
 

(回答先: 前の権力よりも被支配者の自由度が高くない権力なら打ち立てるべきではない 投稿者 スパルタコスポノ 日時 2005 年 6 月 11 日 04:51:15)

スパルタコスポノさん、あなたは権力という言葉に全方位に向けて強制力を発揮する権力というものを想定されていませんか?
私が樹立したと思っている権力とは例えば為替取引によって得た利益に対して課税する権力と言った具体的内容を明示したものであるし、第一私の個人の権力などというものではありません。
個人の権力なんて権力でも何でもありません。
私の投稿を読むことは強制できないワケです。
だから現時点で私は権力であるハズがありません。
しかし、もし私の意見が賛同者を得て同じ考えで投稿する人が増えてきたら?
それは徐々に権力を形成するものと言えるのです。

>前の権力よりも被支配者の自由度が高くない権力なら打ち立てるべきではない

自由度一般というものはありません。
金持ちにとっては私が目指す権力は自由度が低いものでしょう。
誰にとっての自由度なのかが問われなければなりません。

http://www.asyura2.com/0505/dispute21/msg/313.html
>投稿者 スパルタコスポノ 日時 2005 年 6 月 11 日 04:51:15: VwFkRnCGdf9dw

>(回答先: 強制力とは他人を処分する力をいうのであって、安易には使えない 投稿者 >スパルタコスポノ 日時 2005 年 6 月 10 日 23:06:49)

他人を処分しなくても命令に従わせるだけで充分強制力として成り立っておりますが。

>少なくとも奴隷制→封建制→近代資本制→現代資本制の間では前の権力よりも後の権>力の方が自由度は高かったし、そうでないなら、革命を起こすべきではない。

現在資本制までの革命は市場経済活動の自由を求める革命であったワケです。
今後は個人の生活を保障する革命になるでしょう。
生きる自由が追求されるのであって
市場による利潤追求の自由は抑制されるのです。

>というか、前の権力より自由度の低い権力を打ち立てる革命は日本では不可能だろう。

自由の中身が違ってくるのです。

>対話をしない権力や異論者を抹殺する権力では無価値なのだ。

そんな権力は私は求めておりません。
私は例えばあなたや縄文ビトさんを異端と認定しようとはしません。

>というか、異論者への対応は抹殺から対話に扱いが少しづつでも変わってきたし、今>後の新しい体制への移行でもそれが重視されねばならない。

もちろんです。賛成です。
そんな事をする権力を作ろうと言っているワケではありません。

>ワヤクチャさんの言葉がいかに命令的要素を含もうと、都知事である石原は拒絶でき>るし、拒絶した石原をワヤクチャさんは処分できない。

もちろんです。

>ところが、都知事である石原はワヤクチャさんに拒絶不可能な命令を下すことができ>るし、拒絶したら処分できる。

権力とはそういうものです。
だからこそそれに対抗する権力が必要なのです。
靖国参拝違憲訴訟などは、法によって首相に参拝させないという強制力を持とうという訴訟なのです。

>厳密にはこれが権力なのであって、権力というものは本来は行政権力を指すものと考>えている。

行政権力に対して民衆が対抗的権力を行使しようとしてきたのが民衆の闘争の歴史なのです。
徳島県の吉野川に可動堰を作るという国土交通省の計画に対して反対住民が住民投票で反対するというのはまさにそのような権力闘争なのです。

>それが一般の力にまで拡大して使用されていると思う。

市民の方にも権力があるというのは正しい見方です。
選挙権も権力の行使なのです。
「あなたが議会に行ってくれ。」という命令なのです。

>拘束力はリコール請求や監査請求をする市民グループにもあるが、絶対的なものでは>ない。ところが、行政は市民グループに絶対的な拘束力を加えることができる。この>差は大きい。

差が大きくても市民に権力が全く無いとは言えないし、市民の力を強める事に反対するのも間違っている。

>権力といっても、行政権力と対抗的権力では、権力のもつ絶対度が違う。

絶対度とは?
権力には違いが無いし対抗的権力を形成すべきなんですよ。
例えば対抗的メディアを作る試みも対抗的権力形成の一環なのです。
メディアは権力なのですから。
これは権力の拡大解釈などでは無く、権力がたった1つの言説をも手段とする総合力であるというリアルな認識なのです。
例えば、ある犯罪者を極刑に処すかどうかは世論の動向が大きな役割を持つという事をお考えいただきたいのです。
極刑に処すのは直接的には裁判所ですが裁判所と言えども世論の動向を全く無視して判決を下しにくいという事があるのです。
この場合、世論も権力の一部として機能していると言えるのです。

>対抗的権力は説得による民衆の合意なしには何もできないだろう。

民衆の合意の結果として対抗的権力が形成されるのです。
私は対話無しに権力を命令で作れるとは思っておりません。

>商店の掛け声やテレビCMには拘束力はないのである。

それはそうです。
しかし、賛同を得る事は権力を形成するのです。
うまい宣伝によってある商品の売り上げが伸びるのであればその宣伝は市場を動かしたのです。

現象の分析に「拘束力」などと言う極端な言葉を使う事によって現象内部で何が起きているかを見逃してしまうのです。

 次へ  前へ

  拍手はせず、拍手一覧を見る

▲このページのTOPへ       HOME > 議論21掲示板



  拍手はせず、拍手一覧を見る


★登録無しでコメント可能。今すぐ反映 通常 |動画・ツイッター等 |htmltag可(熟練者向)
タグCheck |タグに'だけを使っている場合のcheck |checkしない)(各説明

←ペンネーム新規登録ならチェック)
↓ペンネーム(2023/11/26から必須)

↓パスワード(ペンネームに必須)

(ペンネームとパスワードは初回使用で記録、次回以降にチェック。パスワードはメモすべし。)
↓画像認証
( 上画像文字を入力)
ルール確認&失敗対策
画像の URL (任意):
投稿コメント全ログ  コメント即時配信  スレ建て依頼  削除コメント確認方法
★阿修羅♪ http://www.asyura2.com/  since 1995
 題名には必ず「阿修羅さんへ」と記述してください。
掲示板,MLを含むこのサイトすべての
一切の引用、転載、リンクを許可いたします。確認メールは不要です。
引用元リンクを表示してください。