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(回答先: 強制力とは他人を処分する力をいうのであって、安易には使えない 投稿者 スパルタコスポノ 日時 2005 年 6 月 10 日 23:06:49)
少なくとも奴隷制→封建制→近代資本制→現代資本制の間では前の権力よりも後の権力の方が自由度は高かったし、そうでないなら、革命を起こすべきではない。というか、前の権力より自由度の低い権力を打ち立てる革命は日本では不可能だろう。
対話をしない権力や異論者を抹殺する権力では無価値なのだ。というか、異論者への対応は抹殺から対話に扱いが少しづつでも変わってきたし、今後の新しい体制への移行でもそれが重視されねばならない。
ワヤクチャさんの言葉がいかに命令的要素を含もうと、都知事である石原は拒絶できるし、拒絶した石原をワヤクチャさんは処分できない。ところが、都知事である石原はワヤクチャさんに拒絶不可能な命令を下すことができるし、拒絶したら処分できる。厳密にはこれが権力なのであって、権力というものは本来は行政権力を指すものと考えている。それが一般の力にまで拡大して使用されていると思う。
拘束力はリコール請求や監査請求をする市民グループにもあるが、絶対的なものではない。ところが、行政は市民グループに絶対的な拘束力を加えることができる。この差は大きい。
権力といっても、行政権力と対抗的権力では、権力のもつ絶対度が違う。対抗的権力は説得による民衆の合意なしには何もできないだろう。商店の掛け声やテレビCMには拘束力はないのである。