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(回答先: 60年代の社共共闘から80年代の社公合意へ 投稿者 スパルタコスポノ 日時 2005 年 6 月 09 日 22:02:22)
>革新共闘あっての革新自治体誕生でした。しかし、70年代末に社公合意ができてか>ら、共産党排除の自社公民馴れ合い体制ができてしまいました。
我々はあくまで共産党が力を付ける方向に向かわなければなりません。
今、起こっている事態は、自民党が内部分裂して公明党も小泉の靖国参拝から離反しよとしている事です。
このような敵の分裂を最大限利用する戦術が必要です。
それが、「反靖国」政権樹立です。
>公明党が味方につくと、妨害はされません。しかし、政治全体がこの図式によって当>然保守化してしまいましたね。
しかし、これはこれで情けない事なのです。
共産党を排除する為に公明党を味方に付けただけの形ですから。
公明党を利用しないといけないのに逆に利用されてしまったのです。
政策論で敗北しているのです。
>これで、共産党には勝ち目はなくなった。よせばいいのに、共産党はセクト主義から>脱することができませんでした。
共産党はあくまで社会党との共闘を目指すべきでした。
また、社会党も同じです。
しかし、それをやらなかったのが革命の敗北につながったのです。
>ブンド結成自体は意義があったと思います。ただ、荒派、蜂起戦争派、叛旗派、赤軍>派、情況派、火花派、紅旗派、怒涛派と多くのセクトに細分化されたのが悪かった。
というかブンドに果たして統一的理論があったのでしょうか?
闘争方針の意見の違いで分裂するような党派に統一的理論があったとは思えません。
論文は色々ありましたが、60年の第一次ブンドの中の佐野茂樹氏にしても「運動が革命になる。」という考えでしかありませんでした。私は直接会って話をしましたが。
>スパイによる分断はあると思います。
それは必ずある事です。
しかし、理論がしっかりしていれば何も問題は無いのですが、スパイを排除できるだけの理論が無かったのです。だから分裂し内ゲバに走ったのです。
党派闘争に暴力を持ち込んだ時点で革命理論は敗北したのです。
今では革マルも中核も解放派も「内ゲバ」ブンド諸派も内心はそう思っているでしょう。
>戦術が極左化していった事とならんで残念です。
暴力闘争は大衆からの遊離を生み出すのです。
若者の表現手段は暴力という形態を取り勝ちです。
その方がカッコイイと思うのです。
しかし、多くの人々の支持を受けるのは主張の内容なのです。
どのような主張を発するのか?
これに掛かっているのです。
その点が指導部にはありませんでした。
主張そのものの空虚さを暴力で補おうとしたのです。
これが敗北に導きました。
また、闘争はしんどい事なので暴力によって一気に決着を付けたいという事もあったでしょう。
粘りが学生には足りないのです。
また、スパイも潜入した為に分かりやすい暴力闘争に運動方針を収斂させていったのです。
>日本には細かく分かれたブンド分派ではなく、60年の時の統一したブンドが必要な>んですが。過激すぎてもイカンし、民青すぎてもイカンし、左翼には60年当時くら>いの過激さが欲しいですね。
ほどいい過激さなどと言う都合がいいものはありません。
日常活動は民青的であっても主張はしっかりしているという活動を作るしかありません。
この阿修羅掲示板に学生を誘いましょう。
若者をどう獲得するかが勝負です。