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(回答先: 国の為に命を捧げる事 投稿者 ワヤクチャ 日時 2005 年 6 月 06 日 16:34:53)
自分の家族が窮乏を訴える危険があるとき、
また生命が危ういと思うとき、
どうするのでしょうか?
自己犠牲を伴っても共同で守らなければ成らないとき、
そう言う場合はどんな態度を選択するのか?
人類の歴史に紛争が絶えたことはないです。
資源競争であったり、植民地支配であったり、最近では民族と宗教との難しい関係でもめてますね。
それが成功したときは英雄になれますが、失敗すれば糾弾されます。
時代の流れに逆らうことが出来る、と言う人に限って、戦後民主主義という奴隷の思想、日本は悪かったと言う洗脳でしか発言していないと私なんか思いますが。
それに、自分ならもっと旨くやれた等と評論は出来ますね、誰でも。
実際に出来るかどうかは分かりませんが。
先の第二次世界大戦に対する検証はなされていますが、我が国のおかれた立場を擁護する人が少ない、否定的に判断して何ら結果がないではないかと難癖つけますが、今自分は世界でも有数な恵まれた生活おくれているのは誰達の犠牲のうえに成り立っているのでしょうか。
マッカーサーが憲法や教育基本法まで勝手に変えた理由はなんなのでしょうか?
それは白人に対して反旗を翻した人種は日本民族だけであり、他は戦わずして植民地と化していた。地図帳を開いて当時植民地化された地域、またそれ相当な地位しかなかった地域を赤く塗りつぶして見るが良かろうと思う。
私は誇りに思っています。
そこまでしなくてはならないほどの脅威を与えた先人達を。
無駄な『死』は一つもありません。
傲慢な人間には分からないでしょうね。
先人達の死は無駄だったと言えますか?
今の贅沢は先人達の死のうえにありませんか?
全くの感謝を感じない人の感性を疑います。
ご自分は随分貢献したのでしょうな、
子孫のために良い国になって欲しいと。