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(回答先: 本来、北朝鮮の拉致問題よりも、核問題を優先すべきでした。 投稿者 縄文ビト 日時 2005 年 5 月 24 日 15:04:27)
家族とは決して単なる個人の集合体ではありません。
夫婦、親子の愛や信頼、家族としての一体感や共通の想い出、さらには家族の歴史などが存在してはじめて本当の家族といえます。
その家族の収入源が、共稼ぎであれ、専業主婦であれ、家族全員のアルバイトであれ、生活保護であれ、家族という器は違うものにはなりえないでしょう。
政府というものを家督としても、その内容のあり方で一家離散しない限り、家族は継続していきます。
国家というものを家族とし、所得の方法や、世帯主を政府として例えても良いかと思います。
生れ落ちた家を選べないのも同じです。
所得の方法も、ある程度の裕福さが感じられれば、まず良いといえるでしょう。
ご近所に不評な爺さん(例えばですよ)が、家族の不利益になるなら、相応の手段を用いればよいでしょう。
政府と国家が同一と考える方法に、全く論旨を見出せません。
連綿と繋がっていくものかもしれません。
個別に考える事も不毛かもしれません。
しかし、その本質において、「国家」と「政府」が違うものをさしていることを前提にしなければ意味の無い話も多いでしょう。
同一だと主張される事を別に悪いとは言いませんが、そこを混同しているのなら、何も話す事はありません。
「国家のあり方」についての考察であり、「政府」については、全く論じていないからです。
「政府」についての考察は、今後にしておきます。