★阿修羅♪ > 議論21 > 178.html ★阿修羅♪ |
Tweet |
丸服亭直三さん続きを書かせていただきました。
>>そこからこれから先の時代、今までのような国家のあり方がこの先20年・30年と続いていけるのかということです。
>今までのような国家のあり方という「今までのような」の意味が分かりません。
この意味は私の頭の中にあったものとして、現在の形の国家、天皇を象徴天皇とか、また現在の資本が第一義的に考えられている社会、バブル当時の国家としての威信を持っていた日本、現在はその威信がほとんど薄れていますが、全ての意味において現在の日本という国家像を言っております。
学問としての理論、その中では国家像は理想的な社会像として往々にして語られますが、現実の国家像はどろどろとした対立をその中に宿している人間社会ではないでしょうか。過去に多くの思想家が語った国家像にしても、その思想家が生きていた社会は理想的な社会ではなかったと考えます。つまり国家像というのは単なる理想像に過ぎないものであり、もし理想的な社会を考えるなら、それは国家像ではなく理想的人間社会像として語られるべきものだと考えます。
現実の日本という国家に目をやった時、不平等が拡大していく社会があり、契約社員・派遣社員・フリーター・アルバイター・パートタイマー・そしてその後ろに失業者・及び職に付かない多数の人間を抱えているのが現在の日本という国ではありませんか。
>人や土地や文化や風土などの「国」というものは、政府が無くても存在しうると考えていますので、まだまだ続いていくでしょう。
ここに「国」と書いておりましたが、国ではなく人間社会だと思いますが?
国という以上政府が存在しないということは考えられません。なぜなら日本の縄文時代国は無かったが立派な人間社会は存在していました。その時代政府は無く、長老を頂点としたリーダー社会だといえます。
>わたしの今までの主張を総括すると、色々な(右や左)見識がどうもかみ合っていないと思い、「政府のこと」「国そのもののこと」を別にして考察するべきであり、論ずるべきだと考えているのです。
政府と国は一体のものです、国を代表する者が政治家が作る政府であり、それらは一体のものです。政治家が悪ければその国も悪いということになります。今度の中国・韓国のデモでも解るように日本国家の代表者である首相の歴史認識が出来ていないということで、日本製品の不買・または進出企業への攻撃を受けたわけです。そして現在でも中国からのドタキャン騒動でも分かるように日本の首相がランク下の訪問者から侮辱的な仕打ちを受けたわけでした。しかしそれほど日本国内では日本の国を侮辱されたという意識が湧かない、日本という国は不思議な国です。政治家と国民が乖離しているとしか思えません。
また前の文章でも書きましたが、北朝鮮の核問題に対し六カ国協議ということで日本が核問題よりも拉致問題の方に重点を移してしまった。そのことにより北朝鮮に核開発の時間的猶予を与えてしまった。数人の拉致被害者を問題にしたことにより、北朝鮮の核開発がもたらすであろう多くの人名を危険にさらしてしまう暴挙を日本という国は選んでしまったわけです。
そこから現在の政治家に日本という国を任せていたら10年も経たないうちに日本という国家は落ちるとこまで落ちいくのではないでしょうか。
これが現実の日本という国の国家論です。