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(回答先: 【社会契約説】 投稿者 丸服亭直三 日時 2005 年 5 月 21 日 16:36:52)
国家有機体説が主張されるようになったのは、18世紀から19世紀にかけてのことであります。
代表的な主張者は哲学者ヘーゲルや、フランス革命批判で知られるイギリス保守主義の思想家エドマンド・バーグなどであります。
また国法学者としては、ドイツのブルンチュリー、ゲルバー、ギールゲなどの学者をあげることができます。
「社会契約説」は、抽象的な個人というものを出発点とし、国家を個人の合意によって創られたものとの考え方です。
「国家有機体説」の特徴は、国家を個々の国民が生れ落ちる以前から存在するもの、つまり歴史的・伝統的な存在と見るところにあります。
そして国家とは合理性だけではなく、非合理性をも併せ持った精神的存在と考えます。
つまり国家とは、単なる抽象的個人の集合体ではなく、歴史・文化・伝統を背景に持った具体的な国民の共同体つまり有機的共同体であるとします。
ヘーゲルによれば国家とは個人を包む全体であると共に、個人の独立性をも認め、高次の統一と調和を実現する有機的統一体であります。
つまりヘーゲルにおいては国家は国民と対立するどころか、その逆であり、国民は国家においてはじめて真の自由を見出す事が可能であります。
エドマンド・バーグによれば、国家とは現に生きている人だけではなく、死者や将来生まれてくる人々の共同体であって、単なる会社や組合とは異なります。
つまり国家とは、空間的存在であると同時に時間的存在でもあり、先祖に連なり子孫へと伝えられていく生命の共同体であるという事ができます。
ブルンチュリー、ゲルバー、ギールケなどのドイツの国法学者たちによれば、国家は社会契約説が主張するような個人の実在のみを承認する個人主義的な団体ではなく、それ自身固有な本質を持った自立的な国民共同体であります。
つまり国家とは単なる道具、装置、機械ではなく、生きている生活統一体「生命ある存在」であります。
更にいえば、国家とは単に法的な組織にとどまらない、文化的多様性をもった歴史的存在としての倫理観・精神的有機体であります。(つづく)