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(回答先: 国家とは何か? 投稿者 丸服亭直三 日時 2005 年 5 月 20 日 00:04:13)
本のタイトルは「国家の役割とは何か」(著者:櫻田淳)です。 ▲書籍紹介▲
この本と憲法問題とどう関係があるのかと疑問に思われるかもしれませんが、憲法を考える際に私たちがどのような国家像を描くのかが非常に重要になります。ちなみに、昨年の6月に自由民主党政務調査会憲法改正プロジェクトチームがまとめた「論点整理(案)」では、新憲法が目指すべき国家像について次の通り示しています。
自由民主党憲法調査会《新憲法が目指すべき国家像について》
新憲法が目指すべき国家像とは、国民誰もが自ら誇りにし、国際社会から尊敬される「品格ある国家」である。新憲法では、基本的に国というものはどういうものであるかをしっかり書き、国と国民の関係をはっきりさせるべきである。そうすることによって、国民の中に自然と「愛国心」が芽生えてくるものと考える。 ▲自由民主党HP▲
本書は、国家とは何かを誰でもが理解しやすいように平易でかつ簡潔にまとめてありますので、基本的な認識を深めるための第1歩としてお勧めです。
なお、本日は時間の関係で本書の要旨を途中までしかまとめることができませんでしたので、明日以降にこの続きと若干のコメントを書きたいと思います。
以下、「国家の役割とは何か」の要旨です。
民主主義体制の下で行われる政治の本質は、「国家の役割」に関する合意形成にある。そして自ら納めた税金の使い道こそが「国家の役割」を具体的に表したものだ。
そして、主権者としての責任を果たすためには、「従来、国家はどのような役割を引き受けてきたのか。」「そして現在、その役割は時代の要請に沿っているのか。」「さらには将来、国家の役割はどのようなものになるのか。」を常に問いかけていかなければならない。
国家とは、一定の秩序に支えられた人間社会の一つであり、人間社会に秩序を与える枠組みである。(教科書の説明では、「領土」「国民」「主権」が、国家の三要素と紹介されている。)
では、秩序は何故必要か? 人間は社会的動物(アリストテレス)と呼ばれ、何らかの社会の中で生きていくもの。しかし、三者三様の意見があるため、どの意見を優先するのかという優先順位が秩序。
政治とは、「他の人々に対して自分が欲することを行うように働きかける営み」のこと。
権力とは、他の人々に対して、自分が欲することを否応なく行わせる要件であり、権力と秩序は不可分である。
以上のとおり、人間社会を機能させる上で「秩序」が重要な意味を持っており、「政治」が「秩序」を形成する営みであると共に、その「秩序」を裏付けるものが「権力」である。
政治は三つの手段を駆使して、人々を動かす。
1.恫喝 暴力を背景にしたもので、国家の統治という必要に基づく場合はそれを適宜用いることが要請される。
2.誘導 具体的利益による誘導のことで、安易な政治手段ではあるが、元出となる利益が無くなるとできなくなる。
3.説得 人間の心理に訴えかけて、共感や納得という感情を呼び起こす手法。
政治とは、以上の三つの手段を駆使して人々を動かし、一定の秩序を築くことだが、恫喝よりも誘導、誘導よりも説得ということが望ましい。
国家には「力の体系」「利益の体系」「価値の体系」といった三つの側面があるが、民主主義体制であっても、近代国家の最も根本的な条件とは、物理的暴力による恫喝という政治手段によって秩序を保つ枠組としての国家という側面である。
国内秩序を維持する手段としての恫喝は、警察制度と司法制度によって支えられているが、その行使を誤ると国民の自由を抑圧する枠組みとなってしまう。
軍隊は、国家の対外的な独立を確保することを目的としたもの。人間の敵視は戦争の歴史であると言われているが、その理由は人々が豊かさへの欲望から離れられなかったから。しかし、大量破壊兵器を生み出した現代においては、戦争は「割に合わない」選択となった。
日本の法体系では、軍隊は存在しないことになっているが、実態としての軍隊である自衛隊が存在している。これを普通の軍隊しようという動きもある。
利益の体系としての国家の役割は、第二次世界戦後「人々の最低限の生活水準を確保し、極端な格差を是正すること」にあると認識されるようになった。その理由の一つは、極端な貧困や格差が生じると社会不安を招き、国家の運営に明らかに損失を与えるからだ。
福祉政策の範型となっているのは、「揺りかごから墓場まで」の標語で有名な「リヴァリッジ報告」(1942年:英国)だ。その背景には、ファシズムに対抗する「民衆の戦争」を進める上で相応の社会改革の断行が要請されたから。これの基づく「福祉国家」路線の維持が難しくなり「サッチャリズム」が誕生した。その経済政策の眼目は「小さな政府」への指向と「市場原理」への尊重を特色としている。この流れはアメリカでの「レーガノミックス」をはじめ、福祉国家を代表するスウェーデンにまで飛び火した。
しかし、こうした新自由主義路線によって「裕福な人々はますます裕福になり、貧しい人々はますます貧しくなる」という批判が起こった。
日本では、国家の「利益の体系」という側面を動かすことによって権力を築いた田中角栄に象徴されるように、「利益の体系」に基づく政治に特色がある。田中角栄の政治手法は、中央の富を地方に還元するというもの。その負の遺産は、田中角栄の政治家としての成功があまりにも輝かしいものであったため、その政治手法を安直に真似する政治家が続出したこと。この結果、自由民主党を始めとした政党が、創造性に乏しいものとなった。
古代ローマ以来、民衆が要求するのは「パン」(具体的な利益)と「サーカス」(変化・興奮)だとされているが、小泉首相は「サーカス」を提供している一方で「パン」の提供には熱心ではないので「抵抗勢力」と呼ばれる政治家にとっては苛立たしい存在なのだろう。
http://blog.goo.ne.jp/kaikaku21/e/d8e7c7db15362e4ae60ff83f109fc4a2
「国家とは何か?」をGoogle検索しました。
http://www.google.com/search?hl=ja&q=%E5%9B%BD%E5%AE%B6%E3%81%A8%E3%81%AF%E4%BD%95%E3%81%8B%EF%BC%9F&btnG=Google+%E6%A4%9C%E7%B4%A2&lr=
【ワヤクチャ】
現在の日本の国家は金持ちに奉仕する事が主要な目的であり、様々な国家によるサービスは税金を徴収する口実を作る為に申し訳程度に行っているに過ぎない。
国民の生活をある程度下支えする事は資本家に労働力を提供する為に行っている事に過ぎない。
労働力を海外に求めるようになれば日本人の労働力は比較的不必要になり間引きを行っているのが小泉政権だ。
国家が何か国民の為に政治を行っているなどと考えるのは勘違いだ。
政治家は資本家に買収されているのだ。
権力に近づくのは資本家が選択肢として認めからに過ぎない。
民主党は労働者階級を騙しながら資本家に奉仕するという任務を負っている。
二大政党制はほとんど似た政策以外には選択の余地は無いと国民を騙す為に作られたものだ。
国家とは権力に奉仕する為に国民を騙す為のシステムである。
世界の国家はそれぞれの権力に奉仕しており、それらの権力は裏では結びついている可能性が大きい。
北朝鮮とアメリカの権力は1人の人物が握っている可能性があるという事だ。
八百長に騙されてはならない。
すなわち国家とは国民を騙し搾取する為の手段である。
一切の幻想を捨てよ。
国家社会主義=国家資本主義である。
権力構造は何も変わらない。
市場経済と計画経済が対立しているのでは無い。
完全なる市場経済も完全なる計画経済もあり得ないだろう。
経済活動は投機的性格と計画的性格の両方を持つものでありどちらか一方だけという事はあり得ない。
資本主義と社会主義の対立もまた八百長である。
この八百長によって戦争をしてきたのだ。
あっしらさんの「寄生性と知的謀略性が国際金融資本の本質」云々の文章を昨日初めて読んでなるほどと思いました。
国家とは寄生の為の手段なんです。