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(回答先: 資本主義が今後人間支配をどのように進めていくか 投稿者 縄文ビト 日時 2005 年 5 月 19 日 09:30:12)
縄文ビトさん、少し元気になられたようで安心しました。
縄文ビトさんは、たぶん同意者をお求めだと思いますが、私はかなりのへそ曲がりですから、私のいっていることが、もし辛らつなところがあったとしても、少し大目にみて許してくださいね。
私が思うのは、縄文ビトさんの結論がただ一点「他者の労働の私有化」が悪であるということにいきついたらしいということは、わかるのですが、何が善で何が悪かは、人それぞれに結論があるかもしれませんし、そして、それぞれの結論にそれぞれの正しさがあるという、宗教でいえば多神教的な意味でしか見ていないのかもしれません。
で、まず哲学ですが、唯物論としては、意識は現実の反映であって、物質が弁証法的あるいは科学的に構成され、生成発展消滅するのであれば、それを意識がおいかけることとなりますので、その生成流転する事象において、何かの結論や信仰を特定のものに見出し、あたかもそれを人生訓でもあるかのように振りかざすことは、私からいわせれば、いくばくかの真実がそこにあったとしても、永遠にそれが正しいとはいえないのだというふうに思います。まず、その点で哲学について縄文ビトさんのこだわりが感じられます。
次に、人間社会の支配、被支配について、金融業を持ち出してのべておられますが、資本主義以前の状態でも支配被支配はあったでしょうし、金のために働いているという側面をことさら強調されていますが、労働の持つ生産的な意味を忘れるべきではありません。全てのものが相反する矛盾した側面をもつのであって、矛盾の解決にむかって進んでいくのが必然という考え方であるはずです。ある事物の一面のみを見て、そこから発せられる資本への怨恨と過去のご自分の体験をどこかでリンクさせ、共鳴させるという存在のあり方も必ずしも否定はしませんが、(誤解であれば、お許しください) 何か信仰者にも似たイメージにしかみえません。
アメリカでは、長い間同じ食についていることは、能力の低いものとみなされるという話があります。今、日本は何でもアメリカ化し、日本社会の持つよいところを自ら自虐的に否定し、犯罪率までおいこそうとしているかのようです。しかし、能力の蓄積という観点で、あるいは職業選択の自由という観点から考えるならば、一方では、それは経済的には貧困への自由でもありますが、他方では能力の蓄積による別の方向での積極的な自由、成功への自由というのはアメリカ的すぎますが・・。また、ユニオンの労組がある状態では、また異なった自体、すなわち同じ業種の別会社への転職も、また比較的たやすいのではないかと思われます。
反論するなら詭弁ではなく、自分自身の現実を語れといっておられるようにも思いますが、感情的に現実を語ることは、扇動のための戦術としては友好であっても、通常の議論においては、それほど必要がないように思います。
おそらく、誤解だらけの文章であり、縄文ビトさんが、これを読んで、お怒りであろうことも想像はしていますが、縄文ビトさんにいだいているイメージを書かせていただきました。
これは、縄文ビトさんの論理にからめとられないための自己防衛でもありますが、私は、マルクスなどの古典は古典として、そのままにしておきたいほうなので、つまり真理は、自分の外にあって、変にそれを自分にねづかせようとかは思わないものですから・・。
とにかく、私には、縄文ビトさんの相手はつとまらないようです。