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レオ・シュトラウスと宗教:翻訳と論考(3)
これは以下の二つの投稿に続くもので、今回が最後です。
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http://asyura2.com/0505/cult2/msg/392.html
投稿者 バルセロナより愛を込めて 日時 2005 年 10 月 24 日 05:49:31
レオ・シュトラウスと宗教:翻訳と論考(2)
http://asyura2.com/0505/cult2/msg/385.html
投稿者 バルセロナより愛を込めて 日時 2005 年 10 月 21 日 07:59:44
レオ・シュトラウスと宗教:翻訳と論考(1)
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今回の投稿はリベラルな立場から書評や評論を掲げるウエッブ・サイトSwans.comが2005年10月10日付で掲載した『民主主義を殺すシュトラウス主義者の道(Killing Democracy The Straussian Way)』(マイケル・ドリナーMichael Doliner著)と題された、「レオ・シュトラウスと米国右翼(Leo Strauss and the American Right):シャディア・B.ドゥルーリィ(Shadia B. Drury)著:1999年」に対する書評です。
このドゥルーリィの「レオ・シュトラウスと米国右翼」は前々回の『レオ・シュトラウスと宗教:翻訳と論考(1)』の中でもその一部が取り上げられていたのですが、引用のされ方がこの本のセンセーショナルな部分だけにとどまり、シュトラウス主義の分析をするにしてはやや食い足りませんでした。そこでこの、レオ・シュトラウス主義の見過ごすことの出来ない側面と、それへの批判や克服作業について、もう少し深く追究するために、これを採り上げてみました。同時にまた、リベラル民主主義を信奉する現代米国型知識人(日本にも多い)の限界もこれによって明らかにされることでしょう。
これはぜひ、前回のレオ・シュトラウスの直弟子の一人であるロバート・ロックが書いた文章と比較しながらお読みください。前回と同じく【 】は段落の番号です。
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【引用、訳出開始】
http://www.swans.com/library/art11/mdolin10.html
2005年10月10日
民主主義を殺すシュトラウス主義の道
シャディア・B.ドゥルーリィ著「レオ・シュトラウスと米国右翼」
マイケル・ドリナーによる書評
Drury, Shadia B.: Leo Strauss and the American Right, Palgrave Macmillan
February 1999, ISBN 0-31221-783-8, 256 pages, $29.95 (hardcover)
(Swans - October 10, 2005) 【1】 カトリーナが残した破壊の影響とそれに対するブッシュ政権のデタラメな対応がネオコンを追い詰めることになるのだろうか。もしあなたがそのように考えるのなら、あなたはあなたの考えている相手が何物なのか知らないのだ。多くの人々がレオ・シュトラウスの名前とネオコンを結び付けるが、私はこのつながりについての実際の内容をほとんどどこにも見出さない。シュトラウスは教授だった。彼は何を教えたのか。シュトラウスの名前を単に冷笑をもって使用するだけでは不十分である。ネオコンたちは単に帝国のご主人様に使える下働きなどではないのだ。彼らはシュトラウスの暗黒のヴィジョンを共有しているのである。
【2】シャディア・ドゥルーリィはレジーナ大学の教授であるが、シュトラウスに関する秀逸な著作「レオ・シュトラウスとアメリカ右翼」を書いた。ドゥルーリィによると、シュトラウスのリベラル・デモクラシーに対する態度がその思想の根底にあった。『シュトラウスはリベラル・デモクラッシーを忌み嫌った。彼がそれを第1次世界大戦終了時にその憲法が作成されたワイマール共和国と結び付けていたからである。』シュトラウスのような亡命したユダヤ系ヨーロッパ人たちの多くは、米国のリベラル・デモクラシーを、ワイマール共和国およびナチズムをはぐくんだワイマールの弱さと退廃とに一致させた。シュトラウスは、アラン・ブルーム、ヘンリー・ジャッファ、アーヴィン・クリストル、ポール・ウォルフォヴィッツや、その他の多くの後のネオコンにつながる学生たちに説いた。彼は彼らに、リベラリズムはナチズムのルートでありそれゆえに唾棄すべきものであることを説いたのだ。
【3】ドゥルーリィが後で明らかにするが、リベラリズムはつまるところ、すべての人間が平等であるというものではなく、自分にできることを為すための平等の機会がすべての人間に与えられるべきものである。それは社会の犠牲の上で個人の発展を賞賛する。その原則は実力主義である。リベラリズムは、個人の発展に捧げられるものだが、絶対的原理を持たない。そして妊娠中絶のようなものに寛容である。それはヒトラーのガス室とほんの一歩の距離にあるのだ。それが絶対的原理を持たないために、個々人は普遍的な信条で社会とつながる困難さ無しに自らの目標達成に打ち込んだ。その結果、リベラル・デモクラシーは弱々しくそしてデマゴギーが簡単にそれを制圧することが出来る。ワイマールの弱さとニヒリズムがナチス・ドイツを導いた。といういよりもむしろそれになってしまった。シュトラウスにとっては、ワイマールの再現である米国のリベラル・デモクラシーは、真の人間存在を脅威にさらす悪である。
【4】しかしドゥルーリィの主張によれば、シュトラウスはリベラリズムを単にニヒリズムをそしてそれゆえにナチズムを導くかもしれないという理由だけで嫌ったのではなかった。「彼が喜ばなかったのはリベラリズムの理想そのもの――非宗教的な政治、人権、平等な尊厳、そして人間的な自由――であった。」これらもまた彼が廃止するであろうものだった。それらが、彼が良い社会と考えたものとは全く逆であったからだ。彼のヴィジョンは自然の不平等性に基づいた階級秩序を持つ社会であり、それと国家宗教が生み出すファナティックな献身とを溶接させたものであった。
【5】シュトラウスの政治プログラムはリベラリズムに反撃するために組み立てられている。彼は国家宗教を絶対的原理として復活させ自由な思考に反撃し、そして執着すべき統一体を強制する方法であると信じ、そしてそれを提唱した。シュトラウスは複数の宗教や人生の目標が混ざり合って存在する多元性を持つ社会に反対して議論を起こした。それは社会を分裂させるものであろう。彼は、平凡な人々は理性と直面すべきではないと考えた。理性に頼ることは深淵を覗き込むことである。理性が空虚さに対して人間を防御する心地よい絶対性を何一つ提供しないからである。シュトラウスは理性そのものに反対したのではない。理性がその秘密を顕にすることに対してである。理性は少数者のためにあるのであって、多数者のためではない。理性をあらわにさせた啓蒙主義は災厄に属していた。信仰に反対して理性に頼ることは、ニヒリズム以上のものが政治を作ることの無い「近代性」を創り出したのである。
【6】その国の表立つ指導者は「ジェントルメン」である。最良の家族の中から選び抜かれ、指導者として自らを現すことができるように訓練を受け、名誉と慈悲の言葉を叩き込まれる。彼らはシュトラウス主義国家の表看板である。シュトラウスは単一の国家宗教を「hoi polloi」、すなわちジェントルメンの最重要の手引きとして推奨するのだが、それは「哲学者たち」の一つの隠された企みなのである。シュトラウスは宗教が馬鹿話であることを知っており、そしてすべての優れた哲学者もそれを知っていると信じた。それは大衆にとって必要なのであるが、哲学者のためのものではない。シュトラウスが考えるに、哲学者は秘密裏に国家を支配するのである。秘伝を握るこれらの哲学者たちはジェントルメンにマキャベリの知恵を提供することだろう。ドゥルーリィは、哲学者たちに知恵を授けるに当たってシュトラウスが保守主義者ではないことに注目する。保守主義者たちは、これらの哲学者たちとは異なり、社会の伝統を、彼らが長年育ててきたために、知恵の貯蔵庫であると信じている。シュトラウスが想像する社会はこれらの哲学者のためにのみ「良い」のである。全員が妄想の中で生きるように強制される。もちろんのことだが、シュトラウスは、平均的な人々が真実に耐えることが出来ず宗教の慰めを必要とすると信じた。そして彼は、その階級秩序的な国家が、同時に全員にとっても良いものであると主張した。
【7】理性が秘密であるがゆえに、シュトラウス主義の哲学者は、彼らが自分たちの学生、つまり「子犬たち」に真実を明らかにする秘密の組織を作らなければならない。彼らの仕事は、その「通俗的な」意味がはぐらかしている本当の「秘伝的な」意味を内に含むであろう。そしてそれらの哲学者たちが政治的であるがゆえに彼らは支配するための秘密結社を作ることになるであろう。彼らの仕事は、最初は、リベラリズムに伴う「色恋事」と米国から追放することになる。それを行うために彼らはリベラリズムと民主主義の間にくさびを打ち込むだろう。シュトラウスはこの二つを区別した。「リベラリズムは個人にとっての可能な限り最大の自由を確保することに関心をおく。そしてこれが立憲王政を使って非常によく成し遂げることが出来る。民主主義は人々の統治であり、あるいは人々のまたは多数派の意思に従う統治である。」それはリベラリズムの抑圧するために簡単に使用される。デマゴギーが捜査する民主主義によって、ポピュリストのアピールを通して、それはリベラリズムに対抗するものに変えられうる。その秘密結社がそのエリート・メンバーに対してだけ本当のことを語るがゆえに、そしてその厳しい階級秩序の構造と接続した目的のためにあらゆる人間に対してうわべをつくろうがゆえに、公衆に対する嘘は美徳とされる。実に、ジェントルメンが公衆に語るあらゆることは、哲学者たちから与えられたものなのだが、操作の目的のためにあるのである。
【8】哲学者にとって基本的な第1の作業は、ジェントルメンがリベラリズムを攻撃して権力を手に入れる思想を作り出すことである。シュトラウスのリベラリズムに対する嫌悪は、それに対する戦いを戦争であると見るほどに激しいものだった。そして戦争の中ではすべてが正当なのである。この理由によってシュトラウス主義者たちは、彼らが民主主義の闘技場の中で考えることの出来るあらゆる汚いトリックを使うであろう。そうする一方で、彼らは民主主義自体を崩壊させるだろう。しかし民主主義が真のシュトラウス主義の階級秩序社会を設立するためにリベラリズムを打ち倒す単なる道具でしかないがゆえに、それはほとんど重要なことではない。結局彼らはそうすることが都合よいのであれば民主主義を投げ捨てるであろう。
【9】それがリベラリズムを打ち倒した後で、その秘密結社はシュトラウス主義の善き社会の中でやらねばならない仕事を持つことだろう。宗教と哲学者の嘘を使ってさえ、社会は安定しないだろう。「シュトラウスは、政治的秩序は外的な脅威によってまとまりを持つ場合にのみ安定するだろう。そしてマキャベリにならって、彼は、もし外的な脅威が存在しないならばそれは作りだされなければならない、と主張する。」基本的な政治カテゴリーは「我々」と「彼ら」である。永遠に続く危機と戦争の感覚は、ジェントルメンに対する絶対的な忠誠で社会を固めるであろう。しかしその「我々」と「彼ら」というカテゴリーは外的にとどまることがあってはならない。この危機感が内なる敵に対する闘争を、「彼ら」に対する「我々」のより絶望的な戦争にしてしまうのだ。
【10】国内政治が同様に戦争用語の範囲で考えられているため、民主主義の支配が勝利を妨げることは許されない。支配的な秘密結社の敵は、それがどの種類のものであれ、「彼ら」なのである。その哲学者たちの秘密結社があらゆる者を欺いているがゆえに、宗教的な熱狂の外にある運動に参加してきた者ですら、実際の意味で「彼ら」なのだ。ありとあらゆる人間の進歩を拒否する参加者たちによる小さなサークルが、シュトラウス国家の特色である。これらの参入者たちは理性に頼る哲学者たちであり、そして虚無的な理性は彼らに、国内での戦いには何のルールも全く無いことを教える。
【11】その哲学者たちがする必要のないことの一つは、哲学的な論理付けをすることである。シュトラウスは、すべての偉大な(古代の)哲学者たちはすべての基本的な点で一致した、と信じていた。つまりもはや哲学的な論理化すべきことはそれほど残されてはいないのである。真実が、それを発見し秘密の形で参入したすべての者にとって、明白だからである。本物の真実は、正義とは強者の支配である、ということだ。強者は「我々」を助け「彼ら」をくじくように振舞う。このようにして、シュトラウスが社会の一致のために必要であると考えるこの客観的な善悪の観念は、「hoi polloi」に押し付けた虚偽なのである。これこそまさに宗教という部門なのである。哲学者たちはそれを知っているがゆえに哲学者たちなのである。彼らは、シュトラウスが彼らを真実の啓示を受けるに値するものだと考えた事態が実現することの恩恵に浴するのだ。良いニュースは哲学者たちがエロティックであるということだ。それはメティス、ゼウスの最初のセクシーな妻を追い求めることなのである。
【12】必然的に哲学者たちは、哲学預言者、つまり政治目的のために普及させられる宗教的なメッセージを行う哲学者として、自ら政治的な働きかけを行うものとなることができる。この点で彼らはジェントルメン無しでも済ますことが出来る。ジェントルメンは彼らの道具であり公に指導者役を演じている者なのだ。シュトラウスはこれらの哲学預言者をニーチェの超人と一致させる。それは最高の人間に関する彼のヴィジョンなのである。この人物の宗教は創造であり芸術作品であって、真実のヴィジョンではない。
【13】大まかではあるがこのようなことがシュトラウスの政治的な見通しに関するドゥルーリィの描写である。ドゥルーリィは注意深い思想家でありシュトラウスの視点のいくつかが正確であることを積極的に認めている。彼女は、リベラリズムの弱さと民主主義のデマゴギーに対する傷つきやすさについての彼の主張は受け入れる。しかし彼女はリベラリズムがナチズムへと転化する必然性は拒絶する。そしてシュトラウスが好ましくないと考えるリベラリズムの側面を善いものと捉える。
【14】シュトラウスの善い社会を眺めた後で、私は彼がヒトラーに対抗して何を持ったのか、と考えた。シュトラウスはシオニストになること無しでユダヤ民族主義者だった。彼はユダヤ人にとって国無しでいることが肝要である考え、ユダヤ人が彼らの苦しみをユダヤ主義の基本的な一部として受け入れると同時に、永遠の異邦人であることとして受け入れることを推奨した。もしも苦しみがユダヤ人にとって良いものであるなら、戦争は基本的に大切なものであり、すべてが戦争の中で許されるのだ。ヒトラーがどんな悪いことをやったというのだ?
【15】この本に対してはもっと言うべき多くのことがある。そしてドゥルーリィは、リベラリズムと民主主義およびシュトラウス主義に描かれる超人の幻影の戯画を白日にさらすという優れた仕事を行っている。しかし私が最も大切だと考えることは、これらの人々が結局は何であるのかを理解することの重要性なのだ。彼らは、一部の人が考えるような単なるイスラエルの工作員ではない。またこの戦争は単に石油のためのものだけでもなかった。彼らは単にそのときの都合だけで宗教右派と手を組んだのではなかった。彼らはハリバートンとベクテルの資産を増やすことを第一義にしているのではない。彼らの目標は米国をシュトラウス主義の国に変えて永遠に支配することなのだ。必然的に、イラクでの失敗は彼らの計画に大きな影響を与えることは無い。カトリーナの余波ですら彼らを揺り動かすことは無い。シュトラウス主義の社会は「我々」が果てしの無い戦いを続けるべき「彼ら」を供給する終りの無い戦争を必要とするのである。終りの無い戦争は、残りの者である我々にとっては恐ろしい予想ではあるが、アメリカ合衆国をリベラルな民主主義からシュトラウス主義者の全体主義国家へと変身させるための政治的な接合剤を与えた。
【16】シュトラウス主義者たちは独立宣言を初めとしてあらゆる米国の伝統を破壊しつくすかもしれない。たとえそれが今までにある一つの啓蒙主義の文書だとしても。生きる権利や自由や幸福の追求ほど、彼らにとって忌み嫌うものは何も無いであろう。これがリベラリズムの退廃の描写である。彼らはむしろ死を、奴隷の束縛を、そして神への(あるいは他のものへの)恐怖を好むのだ。シュトラウス主義者たちは、かつていたいかなる共産主義者よりも破壊的な巨大結社である。逆説的な意味で、シュトラウス主義者たちはシンディー・シーハンの息子が崇高な目的のために死んだと考える。アメリカ合衆国がシュトラウス主義国家に変身するという目的である。しかしもちろんのこと彼らはその目的が秘密であるためにそのように言うことは出来ない。シュトラウス主義国家が哲学者たちのためにのみ良い社会であるのでそれは秘密にしておかねばならないのだ。みんなが欺かれ圧迫されたままである。「哲学者たちが彼らの子犬と遊んでいる」間に、残りの我々は奴隷とされるか死に追いやられるのである。
【17】シュトラウス主義者たちが自分たちを人間の生命それ自体のために闘っていると考えているために、彼らは決してあきらめることは無いだろう。人気がなくなることは彼らにとってはたいしたことではない。政治的な権力を手にして維持することが彼らにとって死活問題である。彼らは米国人がリベラリズムを愛していることを完全に知っている。したがって彼らの計画に対してこの資料[訳注:ドゥルーリィの著作を示す]を元にした公衆のあらゆる反対の声が期待される。リベラルな批判はシュトラウス支持者たちを動かさないだろう。イラク戦争の失敗と世界の中で米国が孤立していくことは、彼らを懸念させることではない。彼らは終りの無い戦争を望み、米国人が戦争により巻き込まれるほどより強い支配者を受け入れて、そしてシュトラウス主義の残りの部分を受け入れていくだろう。カトリーナの災害のようなものでも、もし彼らがそれをジェントルメンへのコントロールを強化するために利用できるのなら、彼らは気にもしないだろう。そのために苦しむのは、結局は「彼ら」なのである。
【18】シュトラウスは決して愚か者ではありえない。彼の思想は、それが提示されるときには権力を求めるシミの妖怪――今現在その危険性を明らかにしつつある妖怪――となるだろうが、しかしこのことは単に知識人たちが巨大な影響力を持つことを証明するだけに過ぎない。ドゥルーリィは彼女自身哲学の教授であり、鋭いが公平な批判を提供する。シュトラウスがリベラリズムを軽薄な生き方とそれを安価な娯楽の追究に変えてしまうことに関して非難するとき、それは当を得ている。そして平均的な人間はニヒリズムと向き合うことが出来なく存在を続けるためには宗教が必要であると彼が言うとき、彼は正しいのかもしれない。しかしドゥルーリィは宗教がシュトラウスの考えるような働きが出来ることは否定する。制度化された宗教はその精神的な力を硬直化させそして失う。それが政治の道具へと貶められるときそれは腐り落ちる。そしてドゥルーリィは同時にリベラリズムの良い点をも思い起こさせる。
【19】しかしドゥルーリィはもっと多くのことを語っている。ドゥルーリィはシュトラウスを否定しているのだが、彼の見識の多くが持つ価値を積極的に認めている。シュトラウスがなぜ間違っているのかの理由を見つけるだけではリベラルたちにとっては十分ではない。なぜ米国がその理想にはるかに足りないところに陥ってきたのかを問うこともまた重要なのだ。リベラルな民主主義が、そのあらゆる良い点を持ちながら。怪物的になってきている。なぜなのか。
【20】シュトラウスはハイデッガーを賞賛したのだが、彼がどのようにヒトラーを受け入れるようなことになったのかを説明するために、ハイデッガーが問題を理解してはいたが解決方法を持たなかったのだ、と主張した。たぶん我々はシュトラウスを同じ方法で見ることができるだろう。シュトラウス主義のヴィジョンは恐ろしいものだが、しかしそれは我々がリベラルな民主主義と「故意に落ちている」からなのだろうか。シュトラウスは彼の思想の秘密が彼の成功にとって最重要であることを知っていた。たとえ我々が暴露によって彼を打ち負かすことができたとしても、それは解決すべき莫大な問題を後に残すことだろう。米国のリベラルな民主主義がどうしてこれほどに殺人的な姿になっているのだろうか。私個人の感じるところでは、リベラリズムよりも階級戦争の方がはるかに多く米国を破壊してきている。しかし米国がその富を公平に分けた場合にも何か下品な卑しいものを作ってきてしまったことは認めなければならない。素晴らしいものがそんなに多くないことは言うまでも無いが、私の意見では、その多くが支配的な文化に反対して作られたのだ。リベラリズムが非人間的な社会をもたらすだろうということは、まさにシュトラウスこそが正しい、ということになるのかもしれない。もしも富裕者が容赦の無い階級戦争に精を出していなかったのなら、アメリカは違っていたのだろうか。そうだと言えるかもしれない。しかし今それを確証するものは無い。成功した米国人がその富を浪費する安上がりの下品な楽しみは、シュトラウスの指摘を保証するだけである。シュトラウスのヴィジョンに対するはっきりした他にとるべき道が簡単には求められないことが、この文化の危機が彼ばかりではなく我々の物でもあることを示している。
【引用、訳出、終り】
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●これはシャディア・B.ドゥルーリィ著「レオ・シュトラウスと米国右翼」(1999年)の、2005年10月に書かれた書評なのですが、この本がブッシュ=ネオコン政権誕生の少し前に発表されたことを、一つの天恵と見るべきか、あるいは他の意味合いを帯びているのか、今の私には計りかねます。しかしこの本のおかげで、ネオコンという悪魔主義的詐欺師集団について詳しく知るきっかけを与えられたわけで、ドゥルーリィには感謝しなければなりません。
ところで、この書評の【2段落】によりますと、ドゥルーリィは(そして書評の著者マイケル・ドリナーは)、シュトラウスが欧州を追われたユダヤ人の一人としてナチスを憎み、したがってそのナチスをその中で育てたワイマール共和国のリベラルさを憎んだ、という、この詐欺師集団が広めるトンデモを無条件に認めているようです。しかし私は到底そこまでお人好しにはなれません。何せ相手は悪魔主義の詐欺師集団ですからね。
前回も申しましたが、理屈と膏薬はどこにでも好き放題に貼り付きますがその「果実」には誤魔化しが効きません。『リベラル・デモクラシーは弱々しくそしてデマゴギーが簡単にそれを制圧することが出来る』【3段落】のだそうで・・・。ウン、確かに9・11以降「イスラム・テロ」のデマゴギーが簡単にリベラル・デモクラシーを制圧してしまったようだ! もっともこれは1898年のメイン号事件以来おなじみのものではあるが。
一方でシュトラウス大先生とネオコンのお歴々はもちろんですが、反対する北米の知識人たちすら、ナチスを育てたのがロスチャイルドやロックフェラーを中心とする米英支配者集団(猿ブッシュのジジイであるプレスコット・ブッシュを含む)であることには口をぬぐって素知らぬ顔をしています。
ネオコン、つまりシュトラウス一党がナチを手本にしてその完成形を目指す「超ナチ」に他ならないことは、その「果実」を見て「根っこ」を探ればすぐに解ります。同時にそれは、米国支配者が100年以上も前から延々と目指してきた願望を完成させるために登場したものです。
何よりも、このネオコンこそ米国リベラリズムの『弱さとニヒリズム』を最大限に利用して台頭してきたのです。この悪魔主義のペテン師がドイツから米国を選んでやってきた目的ははっきりしています。シュトラウスは『米国のリベラル・デモクラシーを、ワイマール共和国およびナチズムをはぐくんだワイマールの弱さと退廃とに一致させた』【2段落】。(ドゥルーリィさん、自分が何言ってんだか、解ってんのかね?)
彼らにとって米国こそが「超ナチズム」を成功させ完成させるべき「約束の地」だったはずです。パトロンもいるし。彼らの「反ナチ」を信じ込むお人好しリベラル知識人のほっぺたをこの詐欺師集団がペロリペロリとなめている姿が眼に浮かぶようです。(ドリナーさんはカトリーナの後で進行していることを、本当に解ってんのかね。)
当然ですがこの悪魔主義詐欺師集団は、他のゆすり・たかり専門の民間暴力団と同様に、「ガス室」の利用方法を十分に心得ているようです。【3段落】で見せてくれますね。妊娠中絶が『ガス室とほんの一歩の距離にある』と。なるほど! ではイラクは? パレスチナは? 今まで米国が中南米やアジアで働いてきた大虐殺は? ネオリベラル経済に日々殺される(3.6秒に一人の餓死者!)中南米やアフリカの人々は?
まあこのテの詐欺師集団にかかっては、「ガス室コンプレックス」を抱えた人は手も足も、いや口さえも出んわなあ。Raichstag Fireに疑問をはさめる人が9・11「イスラム・テロ」に声を上げることすら出来ないんだから、面白いもんだよ、まったく!
●今の米国がどうなりつつあるのか、は、【5段落】から【12段落】までを見れば納得がいくでしょう。私の方からは特に解説はつけません。単一の国家宗教に関しては次の阿修羅投稿をご参照ください。宗教以外でも米国がどのように変化してきているのか、皆様各自、とくとお調べあれ!
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http://www.asyura2.com/0502/cult1/msg/389.html
米国指導部にとって、カトリック、プロテスタント、ユダヤ教はすでに「一つ」ではないのか?
http://www.asyura2.com/0505/cult2/msg/158.html
米国において改ざんされる聖書(小石牧師のHPから引用)
http://www.asyura2.com/0502/cult1/msg/924.html
最も影響力のある枢機卿が教会の進化論への見方を再定義する[NYT 7/9]
http://www.asyura2.com/0502/cult1/msg/799.html
米国、「カルト=神権国家」への分岐点:狂信者どもが政教分離をなし崩しに
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典型的なリベラル知識人であるこの書評の著者マイケル・ドリナーは、最終【20段落】で米国のリベラルな民主主義の欠陥として富の浪費と下品な文化について語っていますが、この辺が彼らの限界でしょう。この書評の【17段落】以後を読むと、ドリナーの収拾のつかない狼狽ぶりばかりが目に付きます。この人、初めから白旗を掲げている!
私がこのシリーズの第1回に書いたように、アメリカ合衆国という国が出来て以来、そのためにひどい目にあわせられ続けている国々や人々にとっては、要は米国が今まで百数十年をかけて散々に見せてきたような、暴力、弾圧、恐喝、たかり、嘘、詐欺が、むき出しにされた形で米国の国是とされ、圧倒的な経済力と科学技術と軍事力で世界中を突き動かす、ということです。だからシュトラウスの『全体主義』だけに焦点を当ててリベラリズムを擁護しようとしても太刀打ちできないでしょう。その自らの暗部にメスを入れつつ乗り越えていかない限り、この連中には全く無力です。
近代の大嘘、とりわけ「第2次世界大戦」、「冷戦」、そして「対テロ戦争」の超ペテン、巨大詐欺の実態を解明する以外には打つ手が無いでしょう。その怪物的なペテンと詐欺の総まとめがこのシュトラウス主義(=ネオコン)なのですから!
この悪魔主義に対する戦いについては、私は、その第一段階として、様々な潮流の人を抱えたままで良いから、9・11「自作自演・ビル解体工事」の真相が明らかにされることだと思っています。あくまでも第一段階ですが。その意味で先日私がお知らせした「9・11真相解明のためのイスラム・ユダヤ・キリスト教連合(MUJCA-NET)」には注目したいと思っています。
(参照)
http://asyura2.com/0505/cult2/msg/391.html
●私がその他に注目した箇所を挙げておきます。
【10段落】にある『その哲学者たちがする必要のないことの一つは、哲学的な論理付けをすることである』という記述は、前回私が行ったロバート・ロックの文章についての『彼の言葉に従って考えるならば、「哲学がもはや存在しない」、つまり「哲学の死滅」を意味します。「死滅に向かう哲学」なのでしょうかね。これは。』という指摘に関連しています。シュトラウスは古代の哲学者がすでに真実を発見していたからだと言っているようですが、現在9・11の「内部犯行・ビル解体工事」告発を行っているキリスト教神学者が、「神は宇宙を内包し宇宙と一緒に変化し続ける」と唱えるプロセス神学(ユダヤ教神学者にもかなりの支持者がいる)の提唱者であることは興味深いことです。
【13段落】で、ドゥルーリィはシュトラウスが主張する『リベラリズムがナチズムへと転化する必然性』を拒否していることが書かれていますが、そもそもここに『必然性』などと書かれていることに私は奇妙さを感じます。『必然性』じゃないですよ! 「転化させよう」という人間の意図があるかないか、じゃないですか!
【14段落】では、この書評の著者であるマイケル・ドリナーは『シュトラウスはシオニストになること無しでユダヤ民族主義者だった』と書いています。つまり「世界主義者」、世界を「祖国」とするユダヤ人、ということです。シュトラウスはユダヤ人(というより一部の能力あるユダヤ人の子弟)に対して『永遠の異邦人であることとして受け入れることを推奨した』ようですが、ここで『異邦人』と翻訳した言葉はforeignersです。この言葉は「外国人」の他に「見知らぬ者」「部外者」などの意味もあります。それを下に向かう差別と見ることも出来ますが、「上のほうにいる部外者」つまり「支配者集団」と受け取ることもできるでしょう。シュトラウスは読む者に従って2重の意味で了解可能な表現を使用しているようです。つまり単に米国だけの話ではなく、彼らの狙っているのがむしろ世界全体であることを明らかにしている、と見ることができるのではないでしょうか。
●さて、お人好しのドゥルーリィやドリナーはもちろん、直弟子のロバート・ロックもその著述で一切触れようとしなかったことが一つだけあります。もし「秘伝」というものがこのペテン哲学の中にあるのなら、多分これだろう、と私は考えています。
ただし、私は「カバラ秘術の秘伝」などについては全く解りませんし、特に関心もありません。「秘密」などというものは、案外単純であまりにも当たり前すぎて馬鹿馬鹿しく、逆に誰も考えないようなことではないでしょうか。
それは、早い話が・・・、カネ。
もっと広げると、食料、資源、流通、産業、金融のすべてを含めそれをコントロールする経済活動です。いろんな言い方が出来るでしょうが、それを一番単純な言葉でとりあえずカネと言っておきます。
シュトラウスとその弟子どもは一切触れませんが、彼らのパトロンが誰なのか、彼ら自身が一番よく知っているはずです。ヒトラーも知っていたはずです。誰がカネを支配するのか。
【11段落】で『正義とは強者の支配である』とありますがその『強者』とは誰なのか。シュトラウスの言う「哲学者」がその中に入っていることは間違いないのでしょうが、どなた様がその本体なのでしょうか。私はパトロン無しで「哲学者」や「ジェントルメン」が存在できると信じるほど人が好くはありませんからね。
ここいらが彼らの哲学の中で最大の「秘伝」、彼らの詐欺の中で最大の秘密ではないのか、とまあ、とにかく支配者を疑うことにしか興味の無い超単純な私はそのように考えています。あのSun Myung Moon大先生のトーイツキョーカイも、結局は「霊感商法」や麻薬の裏金がその基盤。オプス・デイとバチカンにしてもその豊富な資金力がすべての力を生み出しているわけです。そして彼らが決して触れようとしないこともやはりこの点です。「秘密」なんて案外単純なものだと思いますよ。
●さて、最後に、眼目のシュトラウスの宗教観に関して触れておきましょう。
『彼は国家宗教を絶対的原理として復活させ自由な思考に反撃し、そして執着すべき統一体を強制する方法であると信じ、そしてそれを提唱した。』【5段落】
『シュトラウスは単一の国家宗教を「hoi polloi」、すなわちジェントルメンの最重要の手引きとして推奨するのだが、それは「哲学者たち」の一つの隠された企みなのである。』『シュトラウスは、平均的な人々が真実に耐えることが出来ず宗教の慰めを必要とすると信じた。』【6段落】
『実に、ジェントルメンが公衆に語るあらゆることは、哲学者たちから与えられたものなのだが、操作の目的のためにあるのである。』【7段落】
『本物の真実は、正義とは強者の支配である、ということだ。強者は「我々」を助け「彼ら」をくじくように振舞う。このようにして、シュトラウスが社会の一致のために必要であると考えるこの客観的な善悪の観念は、「hoi polloi」に押し付けた虚偽なのである。これこそまさに宗教という部門なのである。』【11段落】
まあ、以上のようなところです。しかしひるがえって考えてみるならば、ローマ帝国のころから、あるいは古代以来の中東やアジアの国々でも同様に、宗教というものの本質は昔からこのようなところにあるのではないでしょうか。欧州ではキリスト教がローマ帝国の国教となったことでこれが確立されたはずです。キリスト教がこの世での矛盾や苦痛を引き受けて最下層の民衆の心をまとめたと同時に、宇宙を支配する原理としての神、その子で王たるキリスト、神秘的な方法で人間の心に働きかけ内側から人間を動かす聖霊、といった一つの完成された世界観(国家観)を持ち(あるいは持たされ)、国家による巨大な詐欺体系を保証するものとなったのです。
甘ったるいプロテスタントの「愛の宗教」しか知らない日本人には解りにくいことでしょうが、中世ロマネスク・ゴシック美術の宝庫である南欧カタルーニャに住んでいますと、この点は非常によく解ります。「キリスト教=支配そのもの」であったことが。(こいつに比べりゃスメラミコトの国家神道なんてチンケなもんだ。)
私が「父と子と聖霊の三位一体神」ならぬ「金力、権力、情報力の三位一体神」と語るときに、単なる茶化しで言っているのではありません。これが総じて宗教(=巨大カルト)の本質だと考えているからです。
ローマ帝国の延長であるバチカンがシュトラウスの宗教観に対して反対する理由は基本的に無いでしょう。彼らは最初からシュトラウスが指摘したとおりのものだったのですから。このような宗教観は別にシュトラウスが初めてではなく、一部の間抜けなインテリを除いてみんながうすうす知っていたことです。それをシュトラウスがズバリと言っただけだ。
19世紀末以来の、シヨン運動、シオニズムの勃興、米帝国による虚偽と力による世界征服の開始、オプス・デイの登場とスペイン雛形国家、ナチによるユダヤ人迫害とイスラエル建国、バチカンでの第2公会議とオプス・デイの支配、冷戦構造とその崩壊、9・11対テロ世界戦争の勃発、と続く、政治・経済・宗教(力・カネ・虚構)がからまりあった現代史の裏構造(真実)を解き明かす中でこそ、シュトラウスも正しく位置付けられなければならないでしょう。
武士の嘘を武略と言ひ仏の嘘を方便と言ふ:明智光秀