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(回答先: そもそも「シオニズム」はユダヤ教からの逸脱:地獄が近づいているようです 投稿者 バルセロナより愛を込めて 日時 2005 年 8 月 28 日 19:16:56)
私はこの問題についてそんなに深く考えたわけではないのですが、どうも宗教の持つ重みがどんどん軽くなっているのではないか、という印象があるわけです。
確かにカトリックのユダヤ教に対する姿勢は軟化の一途をたどっており、それはやはり強力にその方向を推進する勢力があったのだろうと思わざるを得ませんが、ユダヤ教のアンチテーゼとして出現したはずのキリスト教とユダヤ教の融合などという、存立の基盤を揺るがすような、超いい加減なことが可能なのも、宗教の比重がそこまで軽くなっている、どうでも良い問題になりつつある、ということの証左でしかないような気がします。
西洋でもおそらく後1〜2世代経過した段階で、キリスト教の存在は現在の日本の葬式仏教・冠婚葬祭用神道と大差なくなっていることでしょう。
代わりに事実上の信仰の対象となっているのは金の神マモンでしょう。そしてマモン信仰(もっと正確にはサタン信仰かもしれない:フリーメーソンの信仰の対象がルシファーであることは周知の事実)のために、核戦争でも平気で起こそうとしている現代の世界は地獄が現出しつつあるとしか言いようがありません。
かつての過ぎ越しのエピソードに見るように、異教徒であれば幼児虐殺でも正当化するのがユダヤ教の理念であり、それを忠実に継承しているのがキリスト教であると言えるでしょう。「我々の味方につくのか、それとも敵になるのか、どっちにする」と迫るブッシュの論法はまさにユダヤ教・キリスト教のやり方そのもので、やはりユダヤ教・キリスト教の融合した歪んだ論理が背後にあるとしか言いようがありません。
狂っているとしかいいようがありません。
それに
出エジプト記にある「過越し(Passover)」という言葉が出てきますね。これは当時エジプトに捕囚の身で滞在していたユダヤ人に対して奴隷待遇を強いるエジプト王に、何とぞ罰を与えてください、というユダヤ人(モーゼ)の祈りに応えて堪忍袋の緒が切れた神が、エジプト中の第一子を皆殺しにするという恐ろしい罰を下す逸話ですが、ここで神の遣わした死の天使がユダヤ人の家とそれ以外を区別できるように、門に羊の血を塗るようにと神から指示があったというくだりがあります。この情報はひそひそ話としてユダヤ人の間でだけで流布され、当の晩はユダヤ人の家を例外として、国中が悲鳴の嵐となったという身の毛もよだつ話です。(聖書は宗教の書でありながら血なまぐさい話であふれている:passoverとは門に血がついている家は死の天使が過ぎ越す(pass over)から来ている)私はもとより反ユダヤ主義者ではありませんが、9・11にまつわる先ほどの話と何と酷似していることだろう、と感じざるを得ません。民族の思考様式は数