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(回答先: 「罪人扱い」「いずれ天罰」=自民除名処分に猛反発−綿貫氏ら 「時事通信」 投稿者 怪傑 日時 2005 年 10 月 22 日 00:54:22)
http://okukumano.at.infoseek.co.jp/kumano/honnji6.html
様々な寺社から発行されていた牛王のなかでもっとも神聖視されていたのが、熊野の牛王でした。とくに武将の盟約には必ずといっていいほど、熊野牛王が使われたそうです。『吾妻鏡』には、源義経が兄・頼朝に自らの誠実を示すための誓約文を熊野牛王に書いたことが記されています(しかし、義経の嘆願は頼朝に拒絶され、義経は奥州藤原氏を頼って、亡命)。
熊野の神への誓約を破ると、熊野の神のお使いであるカラスが三羽亡くなり、誓約を破った本人は血を吐いて地獄に堕ちるとされていました。
また、熊野牛王を焼いて灰にして水で飲むという誓約の仕方もありました。熊野牛王を焼くと熊野の社にいるカラスが焼いた数だけ死ぬといわれ、その罰が、誓約を破ったその人に当たって即座に血を吐くと信じられ、血を吐くのが恐くて、牛王を飲ますぞといわれると、心にやましいものがある者はたいがい飲む以前に自白をしたそうです。
江戸時代になると、遊女と客が取り交わす誓紙にまで熊野牛王が使われ、「誓紙書くたび三羽づつ熊野で烏が死んだげな」と小唄に歌われました。「三千世界の烏を殺し、主と朝寝がしてみたい」という粋な都々逸もあります。この都々逸、幕末の志士・高杉晋作の作と伝えられています。
熊野牛王は誓約に用いられた他、家の中や玄関に貼れば、盗難除けや厄除け、家内安全のお札としても用いられました。『閑窓瑣談』には、こんな霊験譚が載せられているそうです。
亨保のころ、武蔵の国のある村の百姓の家で、2才の女の子が夜な夜な光り物の怪物に襲われ、それを家の奥からまた別の光の玉が現れて撃退し、女の子を守るということがあった。
この怪異に家の中を祓い清めることにしたが、その後、女の子は怪物に奪い取られてしまった。怪物は裏山に棲む狒々(ひひ)だとわかったが、さて、女の子を守ってくれていたものは何だったのかと、探してみると、家の中を掃除したときに捨てた、壁に貼られていた一枚の煤けた紙片だった。それはよくよく見ると、熊野午王のお札であったのだ。
熊野においでの際はぜひ熊野牛王宝印をお土産にどうぞ。
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