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(回答先: 【李氏朝鮮と江戸幕府のあいだで】対馬藩改ざん前の外交書確認 [NHK] 投稿者 あっしら 日時 2005 年 10 月 02 日 17:38:32)
2005年10月02日11時32分
中世から近世にかけて、日本と朝鮮両国の外交と貿易を一手に担ってきた対馬(現在の長崎県対馬市)の宗氏。仲介役として、ときには外交文書の改ざんや偽造も行ったとされる。それを証明する、改ざんされる前の朝鮮王朝の外交文書が、九州国立博物館(九博)や慶大などの研究チームによって発見された。改ざん前の「原本」の確認は初めて。中・近世の日本外交の実態を解き明かす貴重な史料だ。
対馬は、自らの交易の安定や日朝両国の円滑な外交を維持するため、しばしば幕府の名をかたる使節を送り、国書偽造にも手を染めたとされる。
今回発見されたのは、1624年に朝鮮王朝から徳川幕府へあてた、徳川家光の将軍就任を祝う外交文書。03年に東京国立博物館(東博)で見つかった文書を、研究チームが「異国日記」や「通航一覧」など現存する幕府側の記録と照らし合わせたところ、5カ所の文言や文字、さらに印影が異なっていた。
特に興味深いのが「兼修昨年賀使回答之禮(昨年、使節をおくっていただいたことへの返礼をかねて)」の部分。「昨年賀使」が、幕府側の記録では「馬嶋賀使」に書き換えられている。
「馬嶋賀使」とは対馬藩の使節のこと。原本の「昨年賀使」は幕府側の慶賀の使いを意味すると考えられるが、文書に記された年の前年に幕府が朝鮮に使いを送った事実はない。
研究チームによると、朝鮮側が、幕府の名を称した対馬藩の使節を幕府の公式使節と思いこみ、翌年、そのお礼の言葉を幕府あての外交文書に盛り込んだため、対馬藩が偽使の発覚をおそれて、「対馬の使い」に書き換えた偽の文書をつくった可能性が高いという。
一方で、研究チームによると、対馬藩の重要性を幕府にアピールする意図も見えるという。
また、幕府側の記録に押された印影は「禮曹●判(「●」は「參」の上部に「恭」の下部)」の4文字で、朝鮮の正式なものではない。一方、発見された文書には「禮曹●判之章」の6文字という朝鮮王朝の正式な印が押されており、改ざん前の「本物」であることが裏付けられる。
九博の橋本雄研究員は「幕府と朝鮮との間でしたたかに調整を続けた対馬の活躍、さらに当時の微妙な対外交流に光をあてる史料だ」という。
発見された文書は一時的に東博から九博に移管され、来年、九博の文化交流展示室(常設展示室)で公開される予定。
http://www.asahi.com/culture/update/1002/009.html
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