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(回答先: イタリアの元ポルノ女優の死に多くの謎 検察当局も再捜査へ [ベリタ通信] 投稿者 white 日時 2005 年 9 月 23 日 01:09:58)
「ディープ・スロート」女優の波乱の生涯
6億ドル(約782億円)以上を稼いだ1970年代のポルノ映画「ディープ・スロート」(原題「Deep Throat」)の主演女優、リンダ・ラブレイスさんが22日、交通事故で受けたケガのため53歳で死亡した。ポルノ映画出演後、2児の母となり、反ポルノ映画の唱道者となった伝説のポルノ女優、その波乱の人生とは―。
「彼女をリンダ・ラブレイスとしてではなく、リンダ・ボアマンとして覚えておいて欲しい」と娘語る
APによると、彼女の娘リンジー・マーキアノさん(21)は「彼女をリンダ・ラブレイスとしてではなく、リンダ・ボアマンという女性として覚えておいて欲しい」と語った。
彼女の2番目の夫で、1996年に離婚したラリー・マーキアノさんも「誰もが彼女を何か別のことで知っているかもしれないが、私たちは彼女を母親とリンダ(という女性)として知っています」と語った。「私たちは5年前に離婚しましたが、彼女は今でも私のベストフレンドです」と。
マーキアノさん一家は1990年、コロラド州に移ったが、マーキアノさんとリンダさんは22年間の結婚生活の末、1996年に離婚した。
4月3日、交通事故で大きな外傷と内傷を受け、病院に運ばれたが、22日、生命維持装置を外され、死亡した
APによると、ボアマンさんは4月3日、彼女が乗っていたSUV(スポーツ汎用車)が高速道路から外れ、(州間高速道路沿いに設けられた)マイル標に衝突し、車から投げ出された。ボアマンさんは大きな外傷と内傷を受け、デンバー・ヘルス医療センターに運ばれたが、22日、生命維持装置を外され、死亡した。
最初の夫に銃で脅されて無理やりにポルノ映画界に入った
ボアマンさんは、後に彼女の最初の夫となるチャック・トレイナーさんと1960年代後半に知り合い、1971年に結婚した。
ボアマンさんは、自分の意思でポルノ映画界に入ったのではないとしている。彼女は最初の夫に銃で脅されて無理やりポルノ映画界に入らされた。彼女は少なくとも8本のハードコアの8mm映画に出演したが、「ディープ・スロート」(1972年)でブレイクした。
「ディープ・スロート」でブレイク、6億ドル(約782億円)以上の大ヒットとなったが、彼女には一銭も支払われなかった
同映画は大ヒットし、ポルノ映画では史上最高の6億ドル(約782億円)以上を稼いだ。映画のストーリーは、性生活に満足できないリンダが医師に診察してもらうと、何と彼女のクリトリスが誤って喉の奥についているというのだ。そこで治療法は一つ、医師や男たちが…というわけだ。
しかし、これだけ稼いだ映画なのに、彼女の最初の夫はわずか1250ドルを受け取っただけで、彼女には一銭も支払われなかった。2人は1973年に離婚した。
その後、何本かの映画に出演してから、彼女はポルノ映画界を去った。
1980年に自叙伝を出版、最初の夫の関係が暴力、レイプ、売春、ポルノ生活へと崩壊していったことを告白
そして1980年、自叙伝「Ordeal」(直訳で「試練」)を発売し、再び姿を現した。自叙伝によると、最初の夫との関係は暴力とレイプと売春、ポルノの生活へ崩壊していった。
ポルノの女王から反ポルノの提唱者となり、大学で講演を行ったり、ポルノ問題を調査する連邦議会の委員会で証言を行った
このような経験から彼女は反ポルノ唱道者となり、顕著なフェミニストらと一緒にポルノ撲滅運動のため大学を回って講演を行ったり、ポルノ問題を調査している連邦議会のミース委員会の前で証言を行ったりした。
「私は自分の過去を恥じていないし、悲しいとも思わない」とリンダさん
彼女は1997年のインタビューで自分の過去についてこう語った。
「私は鏡を見て、私の生涯で今が一番幸せに見えます。私は自分の過去を恥じていないし、自分の過去について悲しいとも思いません。人々が思っている私は本当の私ではありません。私は鏡を見て、(試練を)生き抜いたと思います」
彼女は22日、病院で2番目の夫で離婚したマーキアノさんと、2人の間にできた娘リンジーさんと息子ドミニクさん(25)に見守られて息を引き取った。
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