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(回答先: [縄文VS弥生]出会いの風景(下) 北海道 【読売新聞】 投稿者 愚民党 日時 2005 年 8 月 13 日 03:27:27)
> 水田稲作は関東よりも早く東北北部に伝わった。青森県弘前市の砂沢遺跡では、弥生時代前期後半(紀元前3〜2世紀ごろ)の水田跡が見つかっている。より稲作に適しているはずの温暖な関東よりも早いのは、縄文時代以来、日本海を通じて西日本とも直接的な交流があったこと、この地域に栄えた縄文晩期の亀ヶ岡文化に水田稲作を受け入れる力があったこと、などが理由として考えられている。
東北北部が西日本より稲作が早く伝わったとすれば、何故支配は古墳造成の西日本型と異なるものとなったのだろうか?何故彼らは執拗に大和朝廷の支配に抵抗したのか?
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