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(回答先: 大和政権の動揺・その2 【独立国家 真珠帝國】 投稿者 愚民党 日時 2005 年 8 月 03 日 03:24:04)
未完の文明国、加羅。その1。
2005-05-23
紀元前後の韓半島の南には高句麗、百済、新羅の他にもう一つの国である加羅がありました。数百年の歴史と高い水準の文化にもかかわらず、歴史上では影の存在だった加羅王国。日本では伽倻とも那とも呼ばれています。古代国家としての段階に発展する前に歴史からその姿が消えた加羅。しかし加羅の存在は歴史にそのこん跡を多く残しています。
釜山の西側を南北に流れる洛東江下流の肥よくな広い平野には、昔9つの村落があり、9人の村長がそれぞれの村落を治めていました。西暦42年のある日、北部にある亀旨峰の頂上から村長たちを呼ぶ神聖な声が聞こえてきました。天から迎えに来いという声でした。9人の村長は、村落の北にある亀旨峰に行って、天の声に従って歌を歌いながら王様の降臨を祈願しました。村長たちが舞いながら歌を歌っていると赤いひもが天から降りてきて、そのひもの先には絹で包んだ箱があり、その箱の中には金色の6つの卵がありました。村長の一人がその卵を自分の家に持って行くと、やがて卵がふ化して6人の男の子が産まれたそうです。最初に生まれた子が後の首路王です。
「三国遺事」によると、卵から生まれた男の子たちは、10日過ぎると身長が2メートルにもなり、八の字のような眉毛と龍のような顔になったと記しています。金色の卵から生まれたので、苗字を金と名づけました。そして首路という名前は「最初に生まれた子」という意味だそうです。その5日後には王様になり、国名を加羅にしたといわれます。首路王と一緒に生まれた5人の男の子もそれぞれ王になって、金官加羅、安羅加羅などの六つの加羅を治めたといいますが、実際に6つ以上の加羅があったといわれます。
加羅諸国は洛東江の下流地域を勢力下に持っていたので、韓半島南部の交通の要衝を占め、日本との交易に一番有利な位置にあったのです。そのため、新羅や百済、そして高句麗までもがこの地域を手に入れるためにたびたび侵略してきたのでした。
歴史は勝利者の記録です。加羅が韓国の歴史の中で比較的注目されなかったのもそのためです。しかし、その出土品を見ると、同時代の新羅や百済より優れた文化水準と経済力を持っていたことが確認されます。そして4世紀末までは首路王が建国した金官加羅が、この加羅連合の主導的な役割を担っていました。金官加羅は今の金海にあった国です。ここは洛東江と南海がつながるところで、慶尚道の一番重要な港であり、日本列島に行くための交通の要衝でした。金官加羅が大きく成長できたのも、当時の日本と加羅との貿易の結果だったのです。その貿易の核心的なものが鉄だったのです。
古代には鉄を手に入れたものが自分の勢力を拡大することができるほど、鉄は大事な資源でした。加羅では鉄の生産、もしくは鉄の流通ルートを掌握した勢力が主導権を握っていたのでしょう。古代に鉄は政治、経済的にも非常に大事な意味を持つ資源でした。その金官加羅が優れた鉄の生産と流通を確保できた有利な条件を持っていたわけです。その鉄の威力が他の高句麗、百済、新羅の脅威から加羅連合を守った秘訣でした。金官加羅は鉄の国だったといえます。
http://rki.kbs.co.kr/japanese/korea/korea_click_detail.htm?No=310
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