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(回答先: 「数」の分野でフランスを貶める発言が如何に無教養なことか 投稿者 ODA ウォッチャーズ 日時 2005 年 7 月 25 日 03:38:40)
Mathematicsは「数の学」ではない:「数学」などという訳を作ったヤツが悪いんですね
昔のことですが、英英辞典でMathematicsを調べて、そこに語源が書いてありそれを読んでビックリした事があります。そのとき「オレ、一体、何勉強してきたんだ?」とショックを受けました。同時に「なんで先生たちはこんなこと教えてくれなかったんだ?」とも思い恩師を逆恨みしてしまいました。要するに先生たちも知らなかったのかな。
しかし世の中便利になったもんで、これはwebでいくらでも調べられるようになってます。例えば、
http://blog.livedoor.jp/dankogai/archives/26472522.html
Thinking Mathematically
からですが、これは芳沢光雄著「数学的思考法」という本についての書評です。
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【引用開始】
常々、Mathematicsを「数学」と訳すのは大いなる誤訳だと思っている。
「数」は Mathematics では重要な分野にして「武器」だが、一部にすぎないからだ。
Wikipedia日本語版では、きちんと「数」以外のMathematicsの側面も過不足なく説明している。
数学 - Wikipedia
数学(すうがく、ギリシア語μάθημα 英語mathematics)とは量、構造、変化、空間の様式について研究する学問である。
しかし、これも実は英語版の翻訳にすぎないことが以下をみるとわかる。
Mathematics - Wikipedia, the free encyclopedia
Mathematics is the study of quantity, structure, space and change.
さらに注目していただきたのは、日本語版では割愛されている語源が、英語版にはきちんと書いてあることだ。
The word "mathematics" comes from the Greek μάθημα (máthema) meaning "science, knowledge, or learning" and μαθηματικός (mathematikós) meaning "fond of learning". It is often abbreviated maths in Commonwealth English and math in American English.
実はこのギリシャ語が「数学」の定義としては最も簡潔なものだ。なんと、μάθημα は「学び」そのものであるし、 μαθηματικός は「好学」である。私としてはMathematicsの訳語として「好学」を採りたいのだが。「数学」はCalculusのために温存しておきたい。
ここで紹介した「数学的思考法」の「数学的」は、 Calcular ではなく Mathematical の方である。最近「数式を使わないほにゃらら」とか「化学式を使わないあにゃらら」とかいう、ブンケー向けの啓蒙書が多いが、これは実にもったいない。本書では、数式やグラフは「抑えつつ」も、「これしかない」というタイミングで見事に使っている。「全順序」の説明は見事だ。絵が二つのっけってあるだけなのだから。
その全順序にのっとってリケーを整理すると、まず「好学」の一部門として「物理学」がある。「好学」のうち、たまたまこの宇宙の秩序と合致する物をそう呼んでいる。うち電磁気力が支配する領域を研究する学問を、我々は「化学」と読んでいる(英語では"Nuclear Chemistry"という言葉は生きているようだが、日本語ではもはやあまり「核化学」とは言わない。さらにその一部門として「生物学」と「地学」があり....という具合だ。
ブンケーにだってちゃんとこれは適用できる。Mathematicsの下の論理学(Logics)の下の言語学(Linguistics)という具合に。
Mathematicsはそれほど雄大でかつ緻密だ。「学」と一文字で表したいぐらいだ。
そんなMathematicsが嫌われるのは、実は日本だけではない。本書で取り上げられている日本の事例のひどさにも飽きれるが、私はそれよりひどい例をアメリカをはじめ他の国でも見てきた。その理由をぼんやり考えると、数学最大の武器、抽象化がアダになっているのではないかと思い立った。
何かを証明する時に最初に行うのは、その証明すべき事項(数学ではこれを「集合」と呼ぶ)に共通する命題を取り出すのが第一歩だ。これが「抽象化」なのであるが、数学が高度になるにつれ、具象から抽象を取り出すのではなく、抽象からさらなる抽象を取り出すという作業が増えてくる。これは実は「それが一番効率的」だからそうしているのであるが、この抽象のカスケードが進めば進むほど、「現実離れ」した恐怖感が出てくるようなのだ。
本書の著者芳沢氏は、このことを具体的に書きはしなかったが、教育者としてそのことを肌で知っているようだ。どの章においても、必ず1ホップで具象、それも世の好奇心が垂涎する具象にたどりつくように書いている。たとえば「期待値」の説明では、カビの生えた宝くじの例ではなく、野球のOERA値を例にしている。
本書は「数学を食わず嫌いになってしまった大人達への処方箋」だ。私も実は野菜嫌いなのだが、最近はいい野菜ジュースもサプリメントもいっぱい出ていて、この点での不安はなくなった。講談社ではなくて伊藤園が本書を売るなら「充実数学」といったところか。
私が唯一恐れるのは、「数学」の二文字を見ただけで本書を敬遠する人も少なくないのではないかという点。よって最初にMathematicsを説明した。
Dan the Mathematisizer
【引用終り】
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"fond of learning"(上の書評では「好学」)がMathematicsの語源に沿った意味なのですね。「学ぶことを好むこと」ということです。
なお、learnとstudyの違いも日本ではあまりはっきりと教えないようで、これも調べてみますと、かなり大雑把に言ってですが、learnは「習得する」つまり「身に付ける」ことであり、studyは「調べる」、「研究する」ことであるようです。だからI’ve studied swimming.じゃおぼれてしまうかも知れないし、I’ve studied English.じゃ何もしゃべれない可能性もあるわけでしょう。これはstudyではなくてlearnを使うべきところですね。
ところで上の書評の一部ですが、
『本書で取り上げられている日本の事例のひどさにも飽きれるが、私はそれよりひどい例をアメリカをはじめ他の国でも見てきた。その理由をぼんやり考えると、数学最大の武器、抽象化がアダになっているのではないかと思い立った。』
確かに米国でも英国でもスペインでも、数学の教え方はひどいですね。日本の場合、以前は小学校での計算訓練を相当にやっていたからまだマシですが(「ゆとり教育」以後は知りませんが)、欧米人の間の数字オンチは大変なもので、特にスペインは最悪です。統計を取ったことがありませんが、付き合った限りでは、スペイン人の「数学嫌い」の割合は圧倒的に高いと思われます。
ピカソが小学生の頃、算数がほとんど0点だった、という話を聞いた事があります。しかし子供時分に右手でも左手でも完璧な円を描くことができ、あれほど空間構成を厳しく捉えられた人がなぜ?と不思議に思っていましたが、上の書評を読んで納得しました。
『何かを証明する時に最初に行うのは、その証明すべき事項(数学ではこれを「集合」と呼ぶ)に共通する命題を取り出すのが第一歩だ。これが「抽象化」なのであるが、数学が高度になるにつれ、具象から抽象を取り出すのではなく、抽象からさらなる抽象を取り出すという作業が増えてくる。これは実は「それが一番効率的」だからそうしているのであるが、この抽象のカスケードが進めば進むほど、「現実離れ」した恐怖感が出てくるようなのだ。』
ピカソだけでなく、スペイン人は一般に抽象化が苦手で、その代わり具象に対する感覚は非常に鋭いものがあるようです。で、算数・数学の先生が何も考えずに抽象化を押し付けるため、完全に「数学(というより数字)恐怖症」が脳ミソを支配してしまうのでしょう。近年の教育改革と先生の質の向上が徐々に進んできて、現在では昔よりは多少マシにはなっているでしょうが。
フランス人に新しい分野を切り開くMathematicsに取り組む人が多いことは、何となく納得できる気がします。(ただし、おそらく一般の人はスペイン人と大差ないのではないか、と思いますが。)
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