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(回答先: 山県有朋と長州暗流−未完の維新論 投稿者 へなちょこ 日時 2005 年 7 月 22 日 08:04:51)
可能性としての横井小楠−未完の維新論@
http://yumiki.cocolog-nifty.com/station/cat3168614/
横井小楠(しょうなん)の話をします。幕末の思想家です。
出身は肥後つまり熊本ですが、自藩では嫌われ者でした。むしろ藩外で名望高く、越前の松平慶永に招かれて改革を指導、また勝海舟らにつよい影響を与えました。
かれ小楠の生没年は、1809−69です。
吉田松陰の生没年は、1830−59です。
小楠も松蔭も同じ時代を体験しました。儒学を修め、洋学を摂取し、外圧を憂え、国政改革のため活動した。これらの経歴では二人は似てます。しかし二人の目指すところは、結局はまるで違うものになりました。
そして現実の明治政府は、小楠的な方向でなく、松蔭的な方向へ進みました。松蔭門下の長州閥が、政府の権力を握ったからです。その松蔭の思想とは、「絶対天皇制」と「アジア侵略」をセットにした「軍国全体主義」でした。
それでは歴史に実現されなかった方−小楠の可能性とは、一体どんなものであったか? それを紹介してみます。
小楠は儒学者です。といっても観念保守の「道学先生」ではありません。彼にとって儒教とは、「人間を幸福にする役に立つ学問」という定義でした。この根本に従って、彼の思想は結局は、儒教そのものをオーバーランしてしまいます。
たとえば小楠は、西洋では「自由通商」や「言論政治」が行われていることを知りました。これは人間の幸福に役立つものです。だからこれらは「儒教的に善である」と彼は認めた。大いに取り入れるべきだというのです。
いっぽう西洋列強は、現に「植民地侵略」を行っている。これは人道に照らして悪です。あくまで拒絶し、断固戦わなければならない。
ときに日本・朝鮮・清国ら東洋諸国は、ほんらい儒教の正道をゆくはずの国であるが、その内政は腐敗停滞、改革が急務である−と小楠は認識した。そこから彼が導き出した行動指針は、こうなります。
@日本は自由通商や言論政治を取り入れて、国内近代化を急ぐべきだ。
Aまた朝鮮や清国にもこれを勧めて、近代化を助けてやる。
B西洋の植民地主義に対しては、日朝清らで連合し、「東洋の正義」をもって対抗する。
Cもし西洋が無道の侵略を仕掛けてくるなら、たとえ国が滅んでも徹底抗戦。
…というのです。これを、明治政府において実現された松蔭思想と比べてみれば、違いは一目瞭然でしょう。
ときに西洋列強が日本に開国を強要してくる。すると小楠は言います。
「無道脅迫の国とはつきあうな。礼を正してきた国とは開国せよ」
さらに西洋列強が、日本側の非礼を咎めてネジ込んで来ると、こう言います。
「京都で国際会議を開け。東西諸国の代表を呼び、西洋の植民地主義をこそ万国公法に照らして審判するのだ」
その原則が単純なだけ、おそろしく視野が広い。東洋を近代化すると同時に、西洋の無道を改めてやめさせるというのです。そのような〈新世界の規準〉を、まさしく日本が主導して創造することを彼は夢見た。感動的なことではありませんか。
十九世紀、西洋列強の植民地主義は吸血鬼のようなものでした。松蔭思想(と現実の明治政府)は、その犠牲者にならないために、自らも吸血鬼の仲間になることを選択した。だが小楠はそうではなかった。あくまで吸血鬼と戦うこと、新しい世界を創り出すことを、彼は主張したのです。
吉田松陰が「正義の人」と称されるのは、実に僕には納得ゆかない。横井小楠こそそう呼ばれるべきではないでしょうか?
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