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(回答先: アテルイ(あてるい) 【ライオンズ伝 超個人的 人名辞典】 投稿者 愚民党 日時 2005 年 7 月 20 日 04:28:06)
鬼、たちのぼる憤怒
http://osaka.yomiuri.co.jp/katati/ka50328a.htm
つり上がった眉(まゆ)と目。への字に結んだ口。膨らませた巨大な鼻。顔全体から憤怒がたちのぼっている。
これは鬼の顔だ。
茨城県鹿嶋市の鹿島神宮に所蔵されている「悪路王(あくろおう)の首」。高さ31センチ、幅22センチの木製の首像は、江戸初期から伝わるものらしい。
悪路王とは、東北地方から各地に広がった悪鬼だ。信州では高丸、備前では阿黒羅王(あくら )、などと呼び名を変えながら、共通するのは、暴れ回って、最後は征夷(せいい)大将軍の坂上田村麻呂に征伐されるというストーリー。
「征夷」の意味するところは、東北の蛮族とされた「蝦夷(えみし)を征する」。そして、関東最古の神社である鹿島神宮は、奈良から平安時代にかけて蝦夷征伐の前線基地でもあった。
悪路王のモデルは蝦夷だったのだ。阿弖流為(アテルイ)、という名の今の岩手・胆沢(いさわ)地方の族長だったと言われる。田村麻呂に屈服させられるまで朝廷を散々震え上がらせたから、のちに鬼にまでされてしまったようだ。
そういう男から発したこの鬼は、いったい、何をこんなに怒っているのか。じっと見ていると、奇妙に心揺さぶられてくるのはどうしてだろう。
故郷逐われた先住民の激情
岩手県前沢町、一首坂(いっしゅざか)段丘。
一首坂段丘のほとりの北上川。続日本紀が、水と大地が豊かな「水陸万頃(ばんけい)」と表した岩手・胆沢地方は、蝦夷たちが自由に暮らす土地だった。滔々(とうとう)とした流れは、今も人々の暮らしを支える雪を残す平野を、水量を湛(たた)えて黒々とした北上川が蛇行する。川風が肌に痛い。3月、陸奥に春はまだ来ない。
ここに征東将軍、紀古佐美(きのこさみ)の5万2800人の朝廷軍が集結したのは、延暦8年(789年)の3月だ。敵は、蝦夷(えみし)の族長、阿弖流為(アテルイ)。
律令制度を整えて「国家」が蝦夷の地、東北にも浸透し始めていた。縄文以来の狩猟採集の生活の中にあった蝦夷は各地で反乱を起こし、なかでも最も激しく抵抗したのが、岩手南部・胆沢(いさわ)地方の部族だった。
6月、朝廷軍は動いた。アテルイの本拠地、巣伏(すぶせ)(現在の水沢市)に向け、2000人が北上川西岸を、4000人は渡河して東岸をそれぞれ北上した。
アテルイの陽動作戦は鮮やかだった。西岸の軍をくぎ付けにし、東岸では前後を挟み撃ちにした。朝廷軍は、増水した北上川に次々のみ込まれていった。
〈官軍の戦死せるひと二十五人、矢に中(あた)れるひと二百四十五人、河に投(い)りて溺(おぼ)れ死ぬるひと一千三十六人、裸身にして游(およ)ぎ来るひと一千二百五十七人〉
『続日本紀(しょくにほんぎ)』には、まるで戦場で死傷者を数えて回ったかのように、このときの様子が記載されている。朝廷軍は、わずか1500人のアテルイの軍に退却を余儀なくされ、再度の攻撃も仕掛けず都に戻ってきた。
桓武天皇は激怒した。
〈元の謀(はかりごと)には合ひ順(したが)はず……奥地も究め尽くさずして、軍を敗り粮(かて)を費やして還(かえ)り参来(まいき)つ〉。計画通り奥地にも進軍しないまま、負けて兵糧のみ費やして逃げ帰ってくるとは――。
この「巣伏の戦い」に関する同書の記述は2000字に及ぶ。
「続日本紀などの正史は本来、都合のいいことしか書かない。詳細な敗北の記録は朝廷にとってそれがいかに屈辱的で、無視できなかったかを物語る」と、水沢市で郷土史研究を続ける佐藤秀昭さん(65)は指摘する。
東北復権のシンボルに
巣伏の古戦場跡に再現されたやぐらからは、水沢市街が展望できる 都人(みやこびと)の目に、アテルイはどのように映ったか。北上市立「鬼の館」の力丸光雄館長(75)の見方はこうだ。「縄文人の特徴を残した蝦夷は目や口が大きく、毛深い。東北は平安京から見て鬼門の位置にもあるし、アテルイはまさに北の鬼だった」
古事記や日本書紀で、蝦夷は〈まつろわぬ民〉と表現されている。「従わない人々」の意である。未開で凶暴なうえに従属もしないと強く蔑視(べつし)していた。
だが、歴史の軸を東北の地に移せば、見方は180度、回転する。――朝廷こそが、野蛮な侵略者にほかならない。
朝廷側の蝦夷弾圧は、徹底的だった。水沢市埋蔵文化財調査センターが続けている調査では、アテルイの本拠地近くで発掘された集落のほとんどに、燃えた痕跡があった。朝廷軍が集落を余さず焼き尽くす掃討作戦を展開していった証左だ。
センターの伊藤博幸・副所長(56)の言葉に力がこもる。「16世紀、スペイン人にインカやアステカ文明が滅ぼされたのと同じことが1200年前の東北で起きた。アテルイたちの戦いは先住者のレジスタンスだった」
桓武天皇は、平安遷都した延暦13年(794年)に10万人、同20年には征夷大将軍、坂上田村麻呂が率いる4万人を胆沢地方に投入。アテルイは最後まで抗戦したが、翌年4月、ついに投降した。抵抗は、巣伏の戦いからも実に13年に及んだ。
そのアテルイの統率力を見込んで田村麻呂は、奥州の統治に利用しようと、助命を嘆願した。しかし京の公卿(くぎょう)らは、にべもなかった。〈奥地に放還するは所謂、虎を養いて患(わざわ)いを遺(のこ)すなり〉(わざわざ虎を養って災いを残すようなものだ)。まさに野獣を見る目である。
アテルイ首塚。地元では近づくとたたりがあると伝わっていた 大阪府枚方市牧野阪。
どこにでもある街中の公園の中央に、わずかな盛り土がされて、確かにそこに60センチほどの石がひっそりと置かれていた。
こんなところにアテルイの首塚(墓)があった。そもそもアテルイとは何者かも知られていないだろう土地に。
河内国(枚方)は、田村麻呂とともに征伐軍を率いた百済王俊哲(くだらのこきししゅんてつ)の出身地で、アテルイはここまで連れられてきて、斬首(ざんしゅ)されたらしい。
――ある日突然、押し寄せてきた大軍に、平和に暮らしていた村々を蹂躙(じゅうりん)され、部族を虐殺され、戦い、敗れると、賊の汚名を着せられ、はるか畿内の地で処刑された、アテルイ。
「悪路王(あくろおう)」の顔に浮かんだあの憤怒は、与(あずか)り知りもしない「国家」の名の下に抹殺されていった理不尽への、アテルイの名状し難い激情を表したものではなかったか。その怒りの底に、故郷を逐(お)われた〈哀(かな)しみ〉が宿っていたから、余計に胸に迫ってきたのではなかったか。
時間の軸を現代に移せば、評価もまた、回転する。
ここ数年、アテルイを主人公とした小説やミュージカルが誕生し、東北復権のシンボル的な存在になりつつある。歴史の教科書にも載るようになった。
何ごとも中央の権力や権威一色に染められようとする時代と無関係ではないだろう。
易々(やすやす)と屈服はしない。〈まつろわぬ〉という言葉が新たな輝きを放ち始めている。
文・小林 健
写真・写真・中原 正純
坂上田村麻呂は第2代の征夷大将軍。初代は延暦13年の征伐軍を率いた大伴弟麻呂で、田村麻呂はそのときの副将軍だった。中国からの渡来系氏族で、蝦夷征伐で最大の功績を残し、「将軍中の将軍」と称賛され、北方を守護する毘沙門(びしゃもん)天の化身として神格化していく。東北の多くに田村麻呂伝説が残る。アテルイ斬首から9年後、54歳で死去。死後も都を守護するよう、剣とともに、立ったまま埋められたとされる。
現在の岩手県水沢市佐倉河に築城された胆沢城は150年間にわたって東北の軍事的拠点となり、城跡の南側の同市埋蔵文化財調査センターで発掘資料を紹介している。巣伏の古戦場跡地にはやぐらが再現されている。坂上田村麻呂の建立とされる京都・清水寺の境内にはアテルイと、もう一人の族長、母礼(モレ)の鎮魂の碑がある。
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蝦夷などは殺生に値せぬと言うことか
阿弖流為の言葉に飛良手も頷(うなず)いた。「仏は殺生を堅く禁じているのであろう? 貴族には仏罰を恐れて獣ばかりか魚さえ口にせぬ者もおるそうだ。それでいて蝦夷を滅ぼすことはなんとも思っておらん。蝦夷などは殺生にも値せぬと言うことか?」
「都のほとんどの者が、蝦夷より仕掛けられた戦さと信じ込んでいる。襲い来る敵を打ち払うのは殺生と違う」
母礼はあっさりと応じた。「帝は仏によって守られている身。それに敵対する者は獣以下という理屈になる」
高橋克彦 「火怨」より
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圧倒的な物量の朝廷軍を相手に、蝦夷兵が一騎当千の戦いができたのは、騎馬による山間地の移動を得意とし、弓の技術に長(た)けていたからとされる。狩猟中心の生活をしていたためで、逆にこれが蔑視される要因にもなった。
奈良から平安にかけての国づくりは律令制度や仏教、漢字、儒教など、あらゆるモデルを中国に求めている。中国では、異民族の住む東西南北を東夷(とうい)、西戎(せいじゅう)、南蛮、北狄(ほくてき)と称し、皇帝は異民族を教化し、逆にこれら夷狄(いてき)は皇帝に朝献するものとされた。
この思想が日本にも導入されて、東北の蝦夷だけでなく、九州の「隼人(はやと)」や「熊襲(くまそ)」も異端視された。蝦夷は、朝廷に服属した後も夷俘(いふ)や俘囚(ふしゅう)という名で差別が続いた。
(2005年03月29日 読売新聞)
http://osaka.yomiuri.co.jp/katati/ka50328a.htm
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