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(回答先: 「天つ神」と「国つ神」 投稿者 あっしら 日時 2005 年 7 月 18 日 13:59:15)
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人は面白いことや楽しいことをしたいという欲求をベースにもって生きていく動物だと思っています。
(他の動物も同じでしょう。ある時期以降の支配者はそうじゃないのが人間なんだと“洗脳”し、“本能”の発現を抑え込んでいる状況を正当化してきました)
生存条件が脅かされる状況のときは面白いとか楽しいといったことは追いやられるのは当然ですが、そうでない限り、変化に富んだ生活や緊張感や達成感でワクワクできる生き方を望む人の割合がけっこう高いと考えています。
このような意味で「ろまん」を抱いていたというより、現在よりも「ろまん」を充足させていた人の割合が高かったのではないかと推測しています。
そのような生活をおくっていた人たちは、稲作が強いる定型的作業の繰り返しや他の人たちとの協調的活動には物足らなさやつまらなさを感じたに違いないと思っています。
日本列島である領域で水田稲作が始まったとき、その様子を傍から眺めていた非水田稲作民のなかに、「稲は実入りがよく米は旨いけど、あんな生活をしなきゃあならんのなら願い下げだぜ」と思った人はけっこういるのではないでしょうか。
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なんか自分のこと指摘されてるようで、ヒシヒシと感じました。(爆)
それとあっしらさんも、筋金入りの海人系騎馬族の末裔と見た。(爆)
ただちょっと腑に落ちないのは、そういった特性(=他の人たちとの協調活動に物足りなさやつまらなさを感じる)を持つ非水田稲作民が、わざわざしちめんどくさい“支配者側”に回るものでしょうか?
“海人系畑作派の価値観”とは、どんなものだったのでしょうか?
これほど複雑化した現代社会においても、この特性の違いは人々を完全に二分します。
そして“非水田稲作民”が、“水田稲作民”の価値観のもと生きることを強いられていることに、現代の混迷の根っこがあるような気がするのです。
“自由”という概念の源流を、どうしても小生は縄文の時代に求めてしまいます。
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