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(回答先: 何の目的で、何者が「リスキーな」水田稲作を強いたのでしょうか? 投稿者 シジミ 日時 2005 年 7 月 18 日 01:31:52)
シジミさん、ご無沙汰です。
ちょっとズレ気味のレスですが、歴史過程性がある話だと思っていますのでご容赦を...
>いったい何の目的で、何者が「リスキーな」水田稲作を強いたのでしょうか?ご説明
>いただけませんか。
>確かに雑穀栽培と比較して水田稲作は徴税に適しており、その目的で権力者が強制す
>ることはありえそうですが、それでも全滅時には税収もゼロになり、リスキーである
>ことに変わりありません。全滅あるいは大凶作を回避し得る高度の稲作技術を移植し
>たということなのでしょうか?
日本列島の最初の水田稲作は、中国江南地方からの渡来者が始めたのだろうと思っています。
たぶん、中国戦国時代に覇権を握りそうなところまで勢力を拡大した呉が滅亡したときに、その支配層と庶民のなにがしかが九州に渡来し、故地で行っていた水田稲作を始めたのではないかと..
地域差は大きくあるとは思いますが、日本列島で水田稲作の定着拡大が政治的に志向され始めたのは4世紀以降で、本格的には6世紀以降(条里制の遺構などから)ではないかとみています。
目的は、書かれているように徴税上のメリットもありますが、水田稲作の定着が庶民(被支配層)の生活安定につながるという考えもあったはずです。
庶民の生活安定向上は支配層のさらなる富裕につながっていきます(笑:このような考えは小泉首相やキャリア官僚もみならって欲しいものです(笑))
まつろう人(共同体)とは、倭国ないし日本国の政治的支配を受け入れるのみならず水田稲作に励むようになった人(共同体)というニュアンスが含まれていたのだろうと思っています。
稲作のみがリスキーではなく、栽培植物全般が天候条件に左右されるのですべてリスキーなのですが、水田稲作は水利の面から川の氾濫をまともに受けやすい特性があります。
とりわけ、鋤鍬などが利器が鉄器でなく木製の時代であれば、水田造りは柔らかい土質(川が土砂を運んで出来た沖積層)で川(水源)から近い場所という条件になってしまうので、梅雨や台風の大雨が引き起こす洪水がせっかく育った稲を壊滅状態にする可能性がけっこうあります。
ですから、家族(大家族)や小規模氏族共同体は自らの意志で水田稲作に全生活を預けることはなかっただろうと考えています。
日本列島で水田稲作が安定的に成果を得られるようになったのは、鉄製利器がスムーズに手に入るようになってこれまで水田化しにくかった場所に水田がつくれるようになってからだと思っています。(これを4世紀ころと推定:魏志に書かれている「倭国の大乱」は2世紀から3世紀にかけての出来事ですから、このあたりの問題とも無関係ではないでしょう)
鉄製の利器が使えるようになると、微高地や台地といった固い土壌のところに水田を造り、やや遠い水源からそこに水を引くこともできるようになります。
水田といいながらも、稲が育ったあとは水を抜いて乾田にするわけですから、水が染み出しいつもじめじめ湿っている沖積層よりも畑の好適地のほうが収穫量も多くなります。
(現在では沖積平野が米どころのようにイメージされていますが、江戸時代までは川の中流域や微高地・台地のほうが米どころでした。福岡県も江戸時代までは昔の奴国(福岡平野の主要部)よりも朝倉郡のほうが米の収穫量も多く人口も多かったと言われています。河川の治水が大規模土木工事で推し進められたのちに沖積平野が米どころとして浮上してきました)
水田稲作の収穫安定化が達成されるとともに政治的統合領域が拡大すれば、水田稲作のリスクは大きく軽減することになります。
たとえ数箇所の地域で水田が壊滅したとしても他での収穫でそれを補うシステムをつくるためには、政治的統合領域の拡大が必須条件であり、できるだけ広い領域を治めているほうがスムーズに対応できます。水田稲作の高い収穫性はそのような仕組みを支える基礎条件です。
水田稲作が安定化すれば備蓄も増加するので、気候条件の打撃はさらに緩和できるという好循環になります。
このような現実が古代から中世の政治的支配層に日本列島の政治的統合を進めさせた一因でもあっただろうと考えています。
それでも水田稲作を嫌う人たちが消えなかったのは、リスクを恐れたからではなく、水田稲作が規定する生活形態が“好み”に合わなかったからだと思っています。
水田稲作を素直に受け容れる人の増加がある種の“日本人らしさ”を形成したのだと思っています(笑:水田稲作をこなした人は近代産業労働もこなせるようになるはずです)
水田稲作や都市を進歩だとか文明の発達と考えるだけではなく、それらは人々の生き方をつまらないものにした元凶かもしれないと考えるのも悪くないと思っています(笑)
そのような視点の思考から、今とは違う別の生活形態・国家社会構造が浮かび上がってくる可能性もあるでしょう。
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