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(回答先: 水田稲作と火田稲作は質的に大きく違うものである。 投稿者 あっしら 日時 2005 年 7 月 17 日 15:16:24)
あっしらさん、お久し振りです。
あっしらさんのご帰還によりこのWebサイトが活性化することを期待する者の1人です。
さて、
縄文時代の稲作は雑穀等の栽培作物の1つに過ぎないとされるお説には全く同意見です。当時は熱帯ジャポニカが栽培されていたと考えられますが、水田遺跡は確認されておりません。(最古の水田稲作遺跡「菜畑遺跡」は従来は縄文晩期とされてきましたが、弥生時代に分類されるべき遺物も出土しており、縄文から弥生への移行期と位置付けるべきでしょう。)
>水田稲作は、選び取ったというより強いられたというかたちで日本列島に定着していったと推測している。
いったい何の目的で、何者が「リスキーな」水田稲作を強いたのでしょうか?ご説明いただけませんか。
確かに雑穀栽培と比較して水田稲作は徴税に適しており、その目的で権力者が強制することはありえそうですが、それでも全滅時には税収もゼロになり、リスキーであることに変わりありません。全滅あるいは大凶作を回避し得る高度の稲作技術を移植したということなのでしょうか?
>日本は水田稲作文化と言われているが、それが支配層の政治基盤であったとしても、戦後すぐまで膨大な面積で焼畑農耕が続いており、水田稲作=日本文化という捉え方は一面的なもの=神話でしかない。
この点は晩年の網野善彦氏が力説してきたところです。稲作一元論から自由になって日本文化を捉え返すことが必要だと私も考えます。
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