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(回答先: アジア極貧層6億2100万人、8割が印中(読売新聞) 投稿者 デラシネ 日時 2005 年 8 月 30 日 23:02:06)
アジア極貧層6億2100万人が日本や欧米諸国の人たちのようなライフスタイルを手に入れるようになって欲しいとは思わないが、日本や欧米諸国の基礎的レベルの生活条件は手に入れて欲しいと思っている。
新自由主義・市場原理主義を基礎とする「小泉改革」や「民主党的改革」が続くなかでアジア極貧層6億2100万人が少しずつ“豊か”になっていくのなら、日本国民多数派はその代償として生活が疲弊していくことになる。
そして、日本国民多数派が疲弊するだけでなく、少しずつ“豊か”になっていく人々もその代償として辛い金稼ぎの日々を強いられるだろう。
近代の経済論理が貫徹するなかで貧しい国が豊かになるためには、外国から貨幣的富を獲得しなければならない。
日本の近代史を見てもわかるが、この間の中国の経済成長が何に支えられているかを考えればわかることである。
中国は外資を中心とした企業が近代化工場を建て相対的に低賃金の労働者を雇用して生産した製品を米国・欧州・日本に輸出することで経済成長を続け沿岸部中心とは言え国民生活の向上を実現してきた。
同額の輸出を続けても成長は達成できない。自由主義的政策を採る限り、輸出を増加させ続けなければ成長を維持できない。
中国の貧困層は、そのような経済成長の過程で潤った沿岸部都市住民のために労働力を提供することで少しずつ“豊か”になっている。
農産物などの生産でも可能だが、その典型が、都市富裕層向けの高級住宅建設に従事することであり、都市富裕層のお手伝いさんになることであり、都市富裕層向け娯楽サービスの従業員になることである。
インドも、米国企業の仕事を低賃金・低コストで請け負うことで部分的に経済成長を遂げ、富裕層も生み出している。
その代表例がITソフトウエア関連でありコールサービスである。
新自由主義・市場原理主義を理念とする企業は、利潤を最大化するために可能な条件をすべて駆使する。自国民を雇用するより外国人を使ったほうが利益が上がるのなら、その選択もためらわずに行う。
そして、そのために発生する自国民の生活困窮は政府に面倒を見させる。
しかし、政府は富を生む主体ではないので、面倒見のコストが企業に跳ね返ってこないように、それほど困窮していない人からの徴税を増やしたり、借り入れ(国債発行)を増やす政策を採らせることになる。
もちろん、中国やインドが少しずつ“豊か”になることで、それらへの日本や米国の製品輸出が増加していくという恩恵は受ける。
(中国に関しては生産設備や部品の輸出が大きい)
日本のように自国が経済不況で総需要が伸びない状況であれば、企業は、成長するために、自国にそれほどの期待を抱かず外国の市場をめざすことになる。
外国の市場を開拓し拡大するためには、その国民が製品を買える条件を生み出さなければならない。
それは自覚的目的的に行われることはない。自己の利益のために中国に生産拠点をつくるということが、賃金の支払いを通じて中国国民が製品が買えるための条件を生み出している。
(これが自覚的目的的に行われていない(わかっていない)ことがm現在の「デフレ不況」を克服できない最大の要因である)
日本市場で成長が期待できずその一方で中国市場が成長しているのなら、“自然”の流れで、日本企業は中国で支払う賃金を増加させる政策を採り続けることになる。
韓国や中国の企業が競争力を高めていくことも、質がいい労働力を安く手に入れるために中国に進出させる動機となる。
グローバルな市場原理主義は、そのような論理で、近代化をめざす(めざせる)国々の賃金水準や生活水準を平準化していく。
そうなるとしても、先進国国民がいったん手に入れた生活水準を大きく切り下げられる事態の広がりを放置することは政治的危機につながるので、低中所得者から広く薄く税金を吸い上げたり、政府債務を増やした資金でその緩和に努める。
そのようなかたちで配分したお金も総需要の一部を形成するので、企業は、低コストで生産した中国製品を輸入し販売することができる。
中国が豊かになる過程で日本も中国向け輸出で潤うという時期は“幸せ”である。
しかし、そのような時代は、中国からの輸入が日本の中国向け輸出を凌駕することで終焉を迎える。
それを理解するために、将来を予測する必要はあまりない。
戦後日本と米国の経済的関係史を顧みるだけで済む。
米国国民は、1960年代まで、現在の日本国民が中国から得ているメリットと同じようなメリットを日本から享受していた。
しかし、日本が強力な近代産業国家となった70年代以降、米国企業は利益を拡大し続けたが、米国民多数派は実質賃金の減少に悩み続けることになる。
米国民は自国通貨ドルが国際決済通貨というメリットを今なお享受しているのが救いである。
そのようなメリットがない日本が、米国が歩んできた経済史と同じ道をこれから歩むようになったら米国とは違う経済状況に直面するはずだ。
新自由主義・市場原理主義を基礎とする「改革」は、国際化した優良企業にはメリットがあるとしても、国民多数派には辛く苦しい将来をもたらすものでしかないのである。
新自由主義・市場原理主義を基礎とする「改革」を称揚する人たちは、無自覚であることを認めるが“売国の輩”である。
一介の雇われ人でそれから得る給料で生活している人が新自由主義・市場原理主義を基礎とする「改革」を支持するとしたら、それは、自分自身が自分を地獄に送り込む行為である。
(株式取引など金融取引から儲けるお金が大きなウエイトを占めている人なら、お好きな道を選択してかまわない)