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(回答先: 鎮霊社というもの【鐵扇會】 投稿者 へなちょこ 日時 2005 年 7 月 06 日 00:53:06)
http://www.mkimpo.com/diary/2001/yasukunix-3.html のキャッシュ
靖國神社社務所発行の「やすくに大百科 〜私たちの靖國神社〜」という無料の小冊子に「鎮霊社」について次のように書いてある。
靖國神社本殿に祀られていない方々の御霊と、世界各国すべての戦死者や戦争で亡くなられた方々の霊が祀られています。
「御霊」と「霊」とどう違うのか気になる。
http://www.yasukuni.or.jp/siryou/nenpyo.html のキャッシュ
1965. 7 ★靖国神社に祀られざる嘉永六年以降の日本及び諸外国の戦歿者の御霊を祀る鎮霊社を建立。例祭日7月13日
http://www.iisr.jp/hiroikenl36.html.html のキャッシュ
一方、靖国神社にも敵味方の区別なく戦死者を祀るという考え方がない訳ではない。靖国神社敷地内に「鎮霊社」という小さな祠が1965年に造られたが、そこには靖国神社本殿に祀られていない日本人戦死者の霊と世界各国すべての戦死者の霊が祀られているとされる。
しかし、靖国崇敬者たちにとって、鎮霊社に祀るということと、本殿に祀るということとは意味が大きく異なっている。中曽根内閣時代に靖国神社のA級戦犯分祀が問題にされたとき、中曽根の政治参謀である瀬島龍三がA級戦犯を鎮霊社に移す案について戦犯の遺族に尋ねたが、全員に反対されたという(11)。
11 『Voice』September, 2002
http://touarenmeilv.seesaa.net/article/4429437.html のキャッシュ
石原莞爾によると、伊勢神宮の外宮に祭祀されている豊受大神は、大和民族からいえば異民族にあたる豊族の女神であり、天皇陛下が伊勢神宮に御親拝される際は、まず外宮を詣でられ、異民族に対して尊敬と礼儀を十分尽くされてから、天照大神を祭祀する内宮に詣でられるという。
だから日本の政治家は皇室を見習い、靖国神社に参拝する際には、まず鎮霊社に参拝し諸外国の戦死者を十分慰霊してから本殿に昇るべきである。そして政治家がそのことを徹底的に宣伝すれば、靖国神社に対する無知と誤解と偏見とを解消し、南北朝鮮と共産中国の異常性、そして朝日新聞の変態性を際立たせ、国内外の世論を好転させることができよう。
http://www.ch-sakura.jp/bbs_thread.php?ID=164368&GENRE=sougou のキャッシュ
呂尚 2005-07-03 18:42:55 No.181915
河内屋様
正論の談話室にゴキブリのように巣食うYSなる人物や桃太郎、後藤一郎等が、靖国神社の境内にある鎮霊社を「靖国を汚すもの」として批判しております。小生非学ながら、「鎮霊社は蔭膳の一形態である」との論理で対抗しておりますが、無学なる左翼には蔭膳の理屈すら分からず、
>蔭膳はこんなものではありません。私の家でもやってましたけどね。(戦時中)それでも戦死してしまいました。
<辞書から>
「遠く離れて家にいない人の無事を祈って供える食事」<
などとぬかしております。私論ですが、鎮霊社は蔭膳の形態であり、「西郷隆盛氏などのように表向き祀れない方を祀ったり、外国の無名の方の魂をなぐさめるためにあると考えます。
この点に関して御高説を賜りたいと考えております。
民俗学者折口信夫氏は蔭膳に関しての考察で、「その家に直接関係無い人物、動物などを供養しその家の守護とする」との見解です。私は無学なれど、この見解を応用しているのが鎮霊社ではないかと考えております。
http://diary.jp.aol.com/applet/wkyxkc7pyfku/400/trackback のキャッシュ
ロンドン大学の、東洋とアフリカ学の学校の日本宗教学者であるジョン・ブリーンによる,「靖国神社の儀式と記憶」(Znet and Japan Focus)とゆうタイトルの最近の記事は重要な概要を提供している。
靖国神社が帝国と緊密な関係を持ち、国家神道の主要要素であった事、戦前の日本の軍国主義の精神に多大な貢献をした状況を認識する必要がある。
神社は論議となっている東京裁判で戦犯とされた者を含む戦没者に対するメモリアルであるだけではない。それは不可欠な一部として戦争博物館(遊就館)を含んでいる。
戦勝国であれ敗戦国であれ、日本も他国同様、戦争博物館が有ってはならない理由は勿論もないが、遊就館は日本の敵に関して何も含んでいないという点において、例えばロンドンの戦争博物館と比較するとかなり異なっている。
博物館への入り口の蒸気機関はビルマ - シャム鉄道で使用され、そして「鉄道敷設は非常に困難だった」と額に記載されている。ブリーンが指摘するように、鉄道建設は多くの日本人と共に、動員された戦争捕虜と地元労働者9万人の死を伴ったという事実について何も記載がない。
実際、戦争で征服された民族について何も言われておらず、「栄光の解放戦争」の絵が代わりに有る。ブリーンによると、国籍に拘らず全ての戦没者に捧げられたの靖国神社唯一の場所が鎮霊社の中にある小さい座(神の席)であり、1965年に靖国神社境内に建てらたが、鉄柵によって視線から隔離されている。
靖国神社からさほど遠くない場所に何年も居住し、頻繁にそこまで歩いて行ったのに、ブリーンの記事を読むまで鎮霊社の存在に気付かなかった。
小泉や他の自民党の国家主義者は、自分達を史実を歪曲しようとしている日本の修正主義者と区別し、代わりにアジアとその他の世界の国々の平和と繁栄のため、日本が出来る本当の貢献に集中するのは賢明だろう。
小泉首相が挑発的な参拝を止める事で面目を失う用意ができていないなら、彼はなぜ、公式に鎮霊社の座を訪問して、他国の戦没者の魂のために祈りを捧げないのか?
彼は何故、アジアと日本に語られていない苦痛を引き起こした戦争について、客観的な絵を遊就館に飾るよう靖国神社に対し要求しないのか?
日本の無数の民間人の死傷者はどこに追悼されるのか? 彼は戦没者に対すると同様、そうした人々のために祈るべきではないか? 彼らの犠牲と受難は、同じくらい重大だ。
http://www.webee.ne.jp/myblog/archives/2005/05/post_68.html のキャッシュ
戦死をした人に敬意を払わなくてもいいなどとは誰も思っていませんし、日本人のほとんどは戦犯論議などどうでもいいと思っていますよ。むしろきちんと国家を挙げて礼を尽くすべきだと思っている人の方が多いでしょう。
しかしながらこの問題がなお多くの人が腑に落ちないのは、今の靖国神社という「装置」では一部しか本殿に祭っていない(靖国神社本殿に祀られていない方々の御霊と、世界各国すべての戦死者や戦争で亡くなられた方々の霊を奉る鎮霊社という名の小さな祠が言い訳のように昭和40年になって初めて本殿左側にひっそりと建立されていますが)ことが最大の問題であり、祭神差別をし続ける以上追悼施設の代表を標榜(これは靖国自らの主張です)するのには無理があるのではないか、ということです。
無論靖国神社が誰を祭神とするかは一宗教法人としての自由であることは論を待ちませんし、自らの信念に基づきそれを続ければよろしい。
しかしながらそのような施設に、国を代表するものが国を代表して礼を尽くすことは、そこに奉られていない人々の遺族の心情を鑑みれば軽率の謗りを免れないのではないですか?
靖国も追悼施設の唯一代表となりたいのならば、鎮霊社のおさまった祭神も本殿に合祀して神々を平等に扱うべきでしょう。
明治期の「合祀令」という素晴らしい大前例もあることですし、まさか「神道教義上合祀も無理である」とは言いますまい。