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(回答先: 境内にある鎮霊社には本殿でまつられていないすべての日本人戦没者と世界中の戦没者や白虎隊や西郷隆盛も祭られています 投稿者 TORA 日時 2005 年 7 月 05 日 20:57:09)
----全世界の戦没者と非官軍である白虎隊・西郷さんらを祭る----
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http://tetsusenkai.net/official/yasukuni/
靖国神社内にある施設だが、この存在は案外に知られていない。
戦後のある政治勢力は、靖国反対のための論拠を「天皇のために命を捧げた者だけを祭る」ことに置く。つまり、はじめからイデオロギー化しているのは、靖国神社の方であるということになろう。このWEBに掲げた共産党の書面にも、
「(千鳥ヶ淵と同じく)“戦没者全員が眠っているわけではない”ということでいえば、靖国神社も同様です。「神」になることができたのは「天皇の軍隊」に従ったものだけでした。同神社にだれを祭るかは軍が決めて、天皇の裁可をあおいでいたのです」
などと書いてある。しかし、「鎮霊社」なるものが、靖国神社には存在するのである(当WEB「靖国神社側資料4」当會會員と靖国神社とのメール参照)。
昭和40年7月13日竣工。「鎮霊社」は、幕末の嘉永6年以降、戦争・事変にかかわって戦没したものの、本殿に祭られていない日本人の御霊と、同時期以降の世界の戦争・事変にかかわって戦没した全世界各国すべての戦没者の御霊を祭る。この中には、慶応4年の戊辰戦争で官軍に敗れ、会津若松の飯盛山で自決した会津藩白虎隊の少年隊員や、明治10年の西南戦争で自決した西郷隆盛らも含まれる。
諸外国の人々では湾岸戦争や最近のヨーロッパ・ユーゴのコソボ自治州での紛争の犠牲者など全戦没者が含まれる。
昭和40年5月26日に地鎮祭が行われ、7月13日に鎮座祭を行った。以来例祭として、恒例となった。
しかしながら、本殿とその脇の鎮霊社の並立状態は、平成13年参議院選挙直前の記者クラブでの7党首討論において、自民党総裁小泉純一郎がいわゆるA級戦犯分祀についていみじくも言った「死者の選別」に皮肉にも該当する好例だとも言える。靖国神社側が、イデオロギーを脱し、宗教的な敬虔さをグローバルに示すために、こうした形で鎮霊社なるものを設けたことは高い評価を受けるべきであるが、錦の御旗に弓をひいて朝敵となる人間たちに対し、その死後もいまだ本殿とは別にしてその死を包括し得ない現状に、(靖国神社が宗教施設であるとするなら)いったいそこに宗教として何の意味があるのかという疑問もまた生まれざるを得ない。
「かつての会津藩士の霊が薩長藩士の霊といっしょに祭られることを喜ぶのか」という側面は否定しえないが、かつての時代とは異なり、朝敵や
天皇
に反対した者たちをも、その死後にあっては包括するということで、「スメロギ」「スベラギ」という概念がいよいよ完結するまで、時は経ち、歴史は成熟したのだと考える人々もまた十分に育っているとも言えよう。
このことは、同時に、過去のそのときのリアルさが人間の想像力のなかから時代とともに剥落していくことを意味すると考えられるが、時がたつということ、そのなかで国体というものは普遍的に何であるべきかということをあわせ考えれば、朝敵か否かというかつてリアルであった線引きをいまだに活用することが却って、現代のなかで真に日本人が信ずべき国体を損なうものになっていはすまいかという疑問はどうしてもぬぐい去ることはできまい。
「悠久である」とは、固定化して存在するということと等価ではない。変転するダイナミズムそのもののなかに伝統として常に垣間見られるということである。戦後、
皇室は、平民であり、キリスト教系の大学を卒業あそばされた現在の
美智子皇后をお迎えになられた。このことの意味を、国民は、日本歴史や民族的伝統にしたがって十二分にご理解申し上げる。いったい、朝敵を別に祭ることと、朝敵をも本殿に祭ることと、そのどちらが現代という時代に即して
天皇(スメロギ)
が顕現される道であるのか、それを考えるに十分なところまで日本国民は成熟していると見るのが妥当であると思われる。