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(回答先: 「新たな軍」作りに向けた総合対策を 【朝鮮日報】 投稿者 愚民党 日時 2005 年 6 月 22 日 11:35:38)
【現場ルポ】未だ乾かない血痕 手榴弾爆発で大きな穴
21日、江原(カンウォン)道・漣川(ヨンチョン)郡の中部戦線・非武装地帯(DMZ)を訪ねた。GP(警戒小哨)は海の真ん中に浮かぶ寂しい孤島のようだった。
バスと軍用ジープを乗り継ぎ、ガタガタ揺られながら山沿いを走ること30分。 一般前哨(GOP)鉄柵から非武装地帯に入る「第7通文」から2キロメートル地点の辺りを一望できる高地に、GPはそびえ立っていた。
周りは全て木と草に覆われていた。GPは平屋の建物だった。周囲には2重の鉄柵が張り巡らされており、外部の者が近寄ることはできない。
正門を入ってすぐのところにサッカー場ほどの空き地があり、固いコンクリートで作られた建物が現れた。「憲兵・捜査中」と書かれた黄色いテープが入口を防いでいた。
建物内部は幅1.5メートルの中央廊下を挟んで左側に洗面場と内務班(兵士が寝起きする部屋)が、右側に炊事場と体力鍛練場が並んでいた。
現場はそのまま保存されていた。死亡者の遺体だけを移したという。軍関係者は「これから本格的な捜査が行われる」と話した。
内務班に入った瞬間、ハッと息をのんだ。寝台で当時、兵士たちが寝ていたマットレスや毛布が血なま臭く残っていた。床には白いチョークで死亡者の形が描かれていた。まるで降り注いだように大量に付いた血痕もそのままだった。
内務班は入り口の直ぐ右側が1分隊、向い側に2分隊と3分隊があり、左側には本部分隊の寝床があった。手榴弾は1分隊の真ん中に落ちた。手榴弾が爆発した地点は、マットレスと寝床に真っ黒な穴が開いていた。天井にも、爆発で飛び散ったマットレスの綿や小さな血塊が付いていた。
事件調査を担当する第6軍団捜査科長のカン・ソングク少佐は、「この場にパク・イウォン上等兵(22)がひざまずいて死んでいた」と話した。しかし、そのロッカーには「チョ・ジョンウン」と書かれていた。そこで、「パク上等兵のロッカーはどこか」と尋ねると、「向かい側」と答えた。
事件当時、パク上等兵は自分の場所でなく向かい側の他人の場所で寝ていたために悲惨な目にあった。カン少佐は、「手榴弾はパク上兵の右わき腹辺りで爆発した模様だ。手榴弾の火力の50〜60%がパク上兵の体に加わったものとみられる」と話した。
建物内部の壁の至る所に、キム一兵が撃った弾痕がはっきりと残っていた。警戒所長のキム・ジョンミョン中尉(26)が死亡していた体力鍛練場の外側の壁に1カ所あり、キム一兵が乱射後、さらに射殺しようとして失敗した状況室の壁には、4つの弾痕が見えた。
体力鍛練場と炊事場でもキム中尉とチョ・ジョンウン上等兵の遺体が横たわっていた跡が線で書かれており、出血がひどかったのか、大量の血が乾き切らないままになっていた。
GPの建物上部には、土がかぶっていた。偽装効果と練兵場としての機能のためだった。建物の右側からコンクリートの階段を伝って上がるように作られていた。
GPの四角形した配置のうち、後方左側に後方警戒所、前方右側に前方警戒所があったが、キム一兵は後方警戒所で任務に就いていたという。
キム一兵は事件直後、練兵場に上がり、前方警戒所に向かって引き金を引いた。しかし、既に2つ目の弾倉も弾切れだった。平然とに警戒所に戻ったキム一兵は、一緒に任務に就いていたイ上等兵には銃口を向けなかった。
キム一兵は、「イ上等兵は普段からわたしに良くしてくれたから」と供述しているという。
朝鮮日報
http://japanese.chosun.com/site/data/html_dir/2005/06/22/20050622000017.html
【特集】陸軍兵士銃乱射事件
http://japanese.chosun.com/site/data/category/soldier/soldier-0.html