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(回答先: 色々とある事象からは少し離れてしまいますが・・・ 投稿者 ユーコ 日時 2005 年 5 月 29 日 23:47:10)
>だから、靖国に参拝するな!という気持ちは理解できるとして、なぜ日本の教科書にまで踏み入る事が出来るのかが良く分かりません。
>行き過ぎた被害者意識ではないですか?
アメリカの大統領がスミソニアン博物館を訪問してエノラ・ゲイの前で、「自尊心の強い日本人に抵抗が無意味であると気づかせるには、この革命的な爆弾を使用するのが唯一の方法だ」などと毎年演説したとしたら、日本人はどう思うんでしょうね?
アメリカの教科書は、一応双方の見解を検討させる形になっていますが、これが「アメリカ国民に誇りを与える」ための原爆礼賛だったら、どうなんでしょうか?
* ふーむ。アメリカは今でも「自尊心の強い日本人に抵抗が無意味であると気づかせるには、この革命的な爆弾を使用するのが唯一の方法だ」と思っている、そして、アメリカはそれを実行した、だから日本はアメリカには抵抗しないのだ、と、日本の政治家は本気で思っているかもね。さもありなん。
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http://www1.ocn.ne.jp/~hipe/textbook/america.htm
アメリカ
『アメリカの歴史』
J.A.ギャランティ著
ホルト・ラインハート・ウィンストン社(1994年版)
高校生用
原子爆弾
勝利はついにやってきた。日本のリーダー達は降伏の準備を始めようとはしていたが、そのとりくみは非常に遅いものだった。軍の専門家は、どんな犠牲を払っても、日本は占領下におかれるべきであると思っていた。日本軍は、「最後の一人でも戦う」、と繰り返し表明していた。何人かの権威者は日本が征服される前にアメリカ合衆国は100万人以上の死傷者を出すだろうと信じていた。
これが、アメリカの科学者達が新しい恐怖の兵器、原子爆弾を開発したと、トルーマン大統領が知らされたときの現状だった。ルーズベルト大統領の命令のもとに、科学者達は1942年のはじめごろから極秘のマンハッタン・プロジェクトにとりくんでいた。そしてついに、20,000トンもの爆破力をもつ兵器を開発した。このすさまじい力は、高い放射能分子であるウランとプルトニウムの原子をつないでいる科学結合を破壊することによって放たれる。
トルーマン大統領は大変困難な決断をしなければならなかった。日本に原子爆弾を投下するということは、何千もの罪のない人々の命を奪うことになる。また、アメリカに対しての国際的非難も恐れていた。しかし、トルーマンは選択の余地がないように感じていた。原子爆弾を使用しないと、戦争が終結するまでにおおくの命が奪われるかもしれない。自尊心の強い日本人に抵抗が無意味であると気づかせるには、この革命的な爆弾を使用するのが唯一の方法だと信じていた。
1945年8月6日、一機の爆撃機が最初の原子爆弾を人口344,000人の広島へ投下した。ひとつのまぶしい光のなかで、75,000人がなくなった。100,000人が負傷した。ジョン・ハーシーは、次のような原爆の生存者達の証言を集めた。
「ものすごい光線が空をわった。谷本氏はその光線が東から西へ、町から丘にむかってはしったというはっきりとした記憶があった。それは太陽のようだった。谷本氏は数歩先の庭の大きな岩の間に身を隠した。彼はいったいなにが起こったのかわからなかった。突然ものすごい風圧を感じ、板や瓦が彼の上に落ちてきた。
中村さんはふと立ち止まって周りを見ていると、全てのものが今まで見たことのないような白さで光った。
写真1 核爆発によるキノコ雲は、戦時中の日本に2度あがった。このような写真は国連に保存されている。タイトル「戦争は二度と繰り返さない」
写真2 長崎での原爆投下直後の状況をみた者は衝撃を隠しきれなかった。この状況をみて日本は降伏を考えたのだろうか?
成功への作戦
結論の評価
世界のリーダー達による多くの重要な決定は、当時、そして未来の世界に大きな影響を与えている。このような結論は歴史家達によって常に議論されている。当時の状況を理解するために歴史的推理をしたり、影響を分析することによって、その決定を評価することができる。
結論を評価するために
次の3つのステップに従いなさい
1. その結論がだされた原点を探す。
リサーチと歴史的推理でその結論が出された当時の状況を探る。
2. 可能な選択をあげる。
結論を出した者が考えそうな選択肢をあげる。
3. それぞれの選択について利益と不利益をあげる。
長期・短期での影響をあげる。
4. それぞれの利益とコストをはかる。
利益とコストを比べる。将来の利益とコストにあまり大きくとらわれないこと。
5. 結論と評価
その結論はよいのか悪いのかを決める。
長期の影響についてはその当時あまり考慮にいれられてなかったかもしれないことを忘れずに。
やり方に当てはめて見よう
次のトルーマンの第二次世界大戦を終決させるための決断の文章を読みなさい。
勝利はついにやってきた。日本のリーダー達は降伏の準備を始めようとはしていたが、そのとりくみは非常に遅いものだった。軍の専門家は、どんな犠牲を払っても、日本は占領下におかれるべきであると思っていた。日本軍は、「最後の一人でも戦う」、と繰り返し表明していた。何人かの権威者は日本が征服される前にアメリカ合衆国は100万人以上の死傷者を出すだろうと信じていた。
これが、アメリカの科学者達が新しい恐怖の兵器、原子爆弾を開発したと、トルーマン大統領が知らされたときの現状だった。トルーマン大統領は大変困難な決断をしなければならなかった。日本に原子爆弾を投下するということは、何千もの罪のない人々の命を奪うことになる。また、アメリカに対しての国際的非難も恐れていた。しかし、トルーマンは選択の余地がないように感じていた。原子爆弾を使用しないと、戦争が終結するまでにおおくの命が奪われるかもしれない。自尊心の強い日本人に抵抗が無意味であると気づかせるには、この革命的な爆弾を使用するのが唯一の方法だと信じていた。
トルーマンの決断を評価してみましょう。
決断の要因はなんだったのだろうか?
トルーマンはできるだけ早く、そしてできるだけ少ない犠牲者で戦争を終結させなけれ ばいけなかった。かれの選択肢はなんだったのだろうか?
かれは日本を侵略できたし、恐怖の原子爆弾を使用することもできた。
それぞれの利益・不利益はなんだろうか?
日本侵略は100万人以上ものアメリカ人死傷者がでていたかもしれない。しかし、それは通常の戦時中のやり方に従えばよい。原子爆弾の使用は戦争を早く終わらせ、敵味方両方の何千何百人もの命を救うかもしれない。
しかし、悲惨な破壊は、国際的非難をアメリカに向けさせるかもしれない。
それぞれの選択肢の利益・不利益の比較はどうなるだろう?
トルーマンは原子爆弾を使い戦争終結を早め、血なまぐさい日本への侵略を防いだ。
次の文章はその後の状況を表している。
1945年8月6日、目もくらむような閃光の中75,000人が死んだ。その他の100,000人の人々は負傷した。またもう一つの原子爆弾が長崎に投下された。爆発により放出された放射線は何百人の人々を長い間病気で苦しめさせながら死に至らしめた。後に、親が放射線被害を受けたため、多くの子どもが障害をもって生まれた。この爆弾を人類の頭上に使わずに日本人がこの爆弾の威力を知る方法はなかったのだろうか。
一方、この爆弾は、アメリカ人と同様日本人の多くの生命を救ったのかもしれない。原爆で死ぬよりももっと多くの人々が侵略戦争の中で死んでいただろう。また、核戦争の恐怖をデモンストレーションして、このような兵器は二度と使ってはいけない、と世界中に知らしめるという希望があった。今のところは誰も使っていない。
トルーマン大統領は正しい決断をしたとおもいますか?あなたの意見を言いなさい。
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