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(回答先: 難しい所でしょうが、それを決めるのは一部の日本人では無いでしょう。 投稿者 考察者K 日時 2005 年 5 月 29 日 20:19:51)
> A級戦犯とされている人達がいて、靖国神社に一緒に祭られています。ユーコさんの意見の「贖罪は済んでいる」というのは一つの考え方ですが、取りあえず、それでは納得しない人が多いのです。そのような事は理屈ではなく感情的な分野なのでしょう。
例えば、死刑判決とその執行をもって、罪は(社会的に)償われた事になりますよね。
国際的にも刑事罰を受けた後もその対象の犯罪について、さらに罪を求められるものなのでしょうか?
感情的な事ばかりでは世の中がうまくいかないので、理屈(ルール)によって生活が立てられているのではないのかなと思うのです。
人を殺してしまうと、刑事、民事の両方において、罪を問われますよね。
A級戦犯の問題に置き換えれば(強引ですが)刑事は終わっているとして良いと思います。
では残る民事の部分ですが、示談の場合に被害側が加害側に対して、不当な請求をすると無効になるそうです。
その場合の相場というか妥当だとする判断基準は色々とルールがあります。
中国の人がA級戦犯に対して、最大級の憎悪を持つ事は想像出来ます。
だから、靖国に参拝するな!という気持ちは理解できるとして、なぜ日本の教科書にまで踏み入る事が出来るのかが良く分かりません。
行き過ぎた被害者意識ではないですか?