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(回答先: Re: 感情論では解決できないでしょう。 投稿者 如往 日時 2005 年 5 月 23 日 18:12:00)
『小泉首相の靖国神社参拝は明らかに国内問題ですし、問題解決の当事者は他ならぬ日本国民でしょう。』
わたしもその通りだと思います。
『けれども、現行憲法が規定する政教分離の原則からは為政者たる首相の行為が憲法違反にあたるのは明白です。』
心情とは別に、ルールとしてみれば、当然違反になりますね。
『靖国神社の設立の経緯からみても、太平洋戦争の戦死者を祀ることまでを含むのは明治の東京招魂社以来の系譜を引く人達によってなされて来た拡大解釈であって、最早元々の設立の主旨が穿つレンジを逸脱してしまっています。』
靖国の意味については、色々と考察があるようですが、その時々の事情に合わせて、意味合いを変化させていくという事を単に拡大解釈とするのはいかがかと思います。
靖国を利用しようとした側の思惑と、祀られるという空虚ながら切実だった戦死者と、多少ながらモニュメント的だとしてもすがりたい遺族側の想いが混然となっているのだと思います。
『岩井益子さんの陳述書にあるように遺族の皆さんの感情(心情)的なものは依然として残るでしょうし、それを受けとめる先として民営の靖国神社が存在することには現憲法に照らし合わせてみても異論はありません。』
同感です。
『どのように言い繕っても、現職の国会議員、とりわけ国務大臣が参拝することは憲法違反になるのは言辞を要さないでしょう。』
冷静に考察すればその通りです。
遺族側や外国の思惑に、あまり振り回されない考察だと思います。
一方的に、外国側の思惑が勝った言が目立ち、冷静さを欠いていることに問題を感じました。
当時の政府の舵取りを起因とする「多くの死」を無駄と断じることもまた、ヒステリックでありましょう。
さらに、「多くの死」を美化しても虚しさが増すだけです。
戦後まもなく、当時の社会党の女性議員が、靖国参拝を支持していたようです。(詳細はもっと詳しく調べてみます)
わたしは、どんな場合でも、遺族の感情論は見捨てるわけには行かないと思います。
それでも「多くの死」を考察する場合に、死んだ本人とその遺族よりも、外交上の損得が優先されるのことに違和感を覚えています。
政府がその責任を認めて謝罪する先には、戦争被害国の人々は勿論、その命令により命を落とした人にも向けられてこそ、冷静だと言えると思います。
その上で、平和への手段を論じるべきだと思います。