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(回答先: 【喪=悲哀】靖国の感情論 投稿者 日本の鷹 日時 2005 年 5 月 18 日 11:14:09)
国家は「善意」で遺族の苦しみを慰藉しようとしたわけではない。
そこには国家としての冷徹な計算が働いている。
国家はなぜ、国民の戦死を「名誉の戦死」として顕彰し、その遺族を感涙に咽ばせる意味を提供しようとしたのか。
日清戦争と台湾戦争から帰ってきた将兵には、最高の名誉が与えられており、国民に感謝されているのみならず、爵位勲章を授けられ報奨金まで受けている。
それに対して戦死者は爵位勲章や報奨金を受けるすべも無く、国民に歓迎される由もなく、凱旋将兵のような栄光に浴する事はできない。
そして、その遺族もまた、多少の扶助金などを与えられて細々と生計を立ててはいるが、手柄を立てて無事に帰る事を祈った「父兄」はすでになく、「戦友」達の栄光を横目で見ながら涙を流すのみである。
凱旋将兵には最高の名誉と栄光が与えられているのに対し、戦死者とその遺族には何もなく、社会から忘れ去られようとしていた。
「これはおかしい。このままではいけない。」
そもそも命を捨てて戦った戦死者が、凱旋した将兵よりも、国家への貢献において劣っていたという事はできない。
日清戦争には勝利したものの、東アジアの情勢は緊迫していて、いつ戦争が起こるかわからなかった。
【戦争になったら、何に依拠して国を守るべきなのか】
それはまさに死を恐れず戦う兵士の精神に他ならない。
したがって、その精神を養うことこそ国を護る要諦である。
家族を失って悲嘆にくれる戦死者家族を放置する事は、次の戦争で国家のために命を捨てても戦う兵士の精神を調達出来ない事になる。
戦死者とその家族に最大の国家的栄誉を与えることによって、自ら国の為「名誉の戦死」を遂げようとする兵士たちを動員できた。
日清戦争と台湾戦争の後で、各地方で戦死者の招魂祭が営まれたが、それでは不十分であった。
帝国の首都東京に全国の戦死者の遺族を招待して、明治天皇自らが祭主となり、死者の功績を褒め称え、その魂を顕彰する勅語を下す事こそ、戦死者とその遺族に最大の栄誉を与える事、さらに国民に対して戦場に死す事を幸福であると感じさせることになるのだ。