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(回答先: 教科書を選ぶよりもネットで歴史の共通認識を直接作った方が手っ取り早いのでは? 投稿者 ワヤクチャ 日時 2005 年 6 月 16 日 16:41:06)
色々反論することがあるのですが、まず最初の表題から入っていこうと思います。
歴史の共通認識を作ると言うことですが、歴史認識は色々人により立場により違うのが当然です。一部の共産的な方や全体的主義的な方、独善的な方、もいらっしゃいますが、このような見方も否定しては行けません。しかし最もしては行けないことは、事実を曲げると言うことです。事実を曲げた物は歴史とは言えません。虚構です。虚構の物に手間暇を掛けるのが最も無駄なことでしょう。歴史認識のすべての始まりは事実の確定からやらねばなりません。多くの歴史家は、古代の文献や実地に当たり事実を確かめようとします。そこから正しい歴史認識を得ようとする物です。事実を覆い隠すと言うことは、歴史家の行為を無にする物です。これは絶対にしては行けません。
日本と韓国の問題は、歴史的事実を確定できないことにあると思います。韓国や中国は、私は昔のことはあまり知らないのですが、最近分かってきたことは、彼らは真実よりも民族の誇りやメンツが優先してしまい、真実を後にするきらいがあると言うことが明らかになってきました。
この前の日韓の巡視船のにらみ合いを見ても韓国側に何が真実かを探求する心構えに欠けていると見ることが出来ます。韓国と日本、ドイツとポーランドの違いは、歴史的事実をハッキリさせてそこから出発していると言うことです。そこが日本と韓国の間で歩み寄りが見られない点です。
架空の歴史の共通認識を作っても仕方がないでしょう。
韓国の事はあまりよく知らないのですがたまに新聞紙上で問題になる名前が強制的に変えられたのかと言う問題でも、日本側に実際にそんな発令をした事例が内容ですし、また韓国の日本に来たことの無い人が、日本名を持っていたとは、到底思えません。日本に入る場合に有利であったとか、日本企業に入社する場合に有利であったとか有ったかもしれません。それでも姓氏改名の強制があったという事実はないわけです。これを双方が認識して初めて歴史の認識が始まりいろんな見方生じるわけです。今の問題は韓国側が名前改正の強制があったと言うこと全面にだし日本側と食い違っていることです。日本側から見れば韓国がこう言うことを言うのは行った方が得だから行ってるに過ぎないとか、邪推するわけです。この辺が歴史事実が確定できない原因な訳です。どちらかというと韓国は歴史を変えたくて仕方がないようです。韓国や中国との場合この歴史の事実が認定できない事が問題になっているわけです。歴史認識は多様であるのは当然のことです。それぞれの生まれ、教育、習慣によって違ってきます。又歴史という物はその時代背景にある考え方を透察する事が大事であり、今の時代や大幅な過去の時代や理想の境地から判定していく物ではありません。