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文鮮明と日本窒素肥料とその周辺
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投稿者 外野 日時 2005 年 5 月 04 日 03:01:09: XZP4hFjFHTtWY

(回答先: 統一協会が金正日の教育係りの地位にある? 投稿者 外野 日時 2005 年 5 月 03 日 13:05:23)


 ■文鮮明の略歴

1920年 1月 韓国平安北道定州郡で生まれる
1938年 3月 定州公立普通学校卒業
    4月 京城商工実務学校電気科入学
1941年 3月 京城商工実務学校卒業
1942年 4月 昌慶丸で日本へ
    同月 早稲田大学付属早稲田高等工学校電気工学科入学
1943年 9月 戦争の激化で同校を卒業
    10月 帰国
1944年    鹿島組(のちに「鹿島建設」。現在は「鹿島」)の京城支店に電気技師として就職
1945年 3月 鹿島組に再就職
    8月 解放と共に退職
    10月 イスラエル修道院の補助引導師として6カ月間奉仕
1946年 6月 平壌に到着
    8月 共産党の告発によりスパイ容疑で大同保安署に拘束
    11月 釈放
1947年    平壌で再び布教
1948年 2月 反儒教的布教で共産党の内務署に拘束
    4月 公判で5年の刑宣告
    5月 興南刑務所(徳里特別労務者収容所=朝鮮窒素肥料興南工場)に移送
1950年 6月 朝鮮戦争勃発
    10月 国連軍の興南爆撃により出監
1954年 5月 世界基督教統一神霊協会創立

文鮮明は朝鮮の咸鏡南道の興南刑務所(公称は「徳里特別労務者収容所」)で肥料の山を移しかえるという仕事をさせられたということになっている。
この興南刑務所はもとは日本窒素肥料が設立した朝鮮窒素肥料の興南工場であった。
その日本窒素肥料とは次のような企業であった。

日本窒素肥料は1908年に野口遵が曽木電気と日本カーバイド商会を合併させて設立された。
この石灰窒素、硫安製造工場は電力を大量に消費するため、発電所の建設が不可欠であった。野口が1906年に設立した曽木電気は電源開発会社であり、日本カーバイド商会は1901年から野口や彼の後輩であった藤山常一、同級の市川誠次、宮城紡績電灯の伊藤清次郎らが携わったカーバイド製造会社であったが、このカーバイドが窒素肥料として石灰窒素や硫安に発展する技術であった。
この日本窒素肥料は経営権は野口に持たされ、出資は三菱合資会社の岩崎久弥、という会社であった。役員にも、三菱の豊川良平や各務幸一郎、桐島像一などが就いた。後に長津江の電源開発で三菱と日本窒素肥料は対立したとの説もあったが、三菱の人間は役員に留まっている。

1896年帝国大学工科大学電気工学科を出た野口遵は、日本の近距離高圧送電の先駆けとなった上沼発電所の設計者としてその建設工事に携わり、発電所完成後ジーメンス・シュッケルトの日本支社に入社した。彼については次のような評がある。
『思うに、野口の事業は、常に発電所と工場のシーソーゲームの連続であった。発電所が多くなると、かならず工場をふやす。そこで電気が足りなくなるから、電源を探す。電源がみつかると、さらに大きな発電所をつくるので工場が足りなくなる−−−−といったぐあいである』(「日窒コンツェルンの研究」大塩武著)
日本カーバイドからの運営の水俣工場に加え、1912年には熊本県八代群に鏡工場の建設に着工、1922年には福岡の延岡に延岡工場の建設に着手した。

さて日本窒素肥料で野口が延岡工場の拡張を行い、水俣工場でもアンモニアの合成を計画し、日本国内で電源開発の候補地を探していた頃であった。大学の同級で電源開発の経験を朝鮮で生かしたいと考えていた森田一雄と、その後輩で、工務所を経営し京城にも事務所を置いていた久保田豊が、赴戦江の水利権を獲得するために野口に電気化学工場を建設してもらいたいという話をもってきた。水利権の許認可を持つ総督府が、赴戦江の水利権の許可の前提として開発後の電力消費計画を要求したからであった。

それまで、赴戦江は長津江とともに三菱に水利権があった。しかし、野口の化学工場建設計画により許可がおり、水利権は赴戦江は野口らに、長津江は三菱にとわけられた。が、1933年、赴戦江に建設した四つの発電所でも朝鮮窒素興南工場の需要電力がまかないきれなかったため、三菱が未だ開発を手掛けていなかった長津江の電気事業経営許可を野口は総督府に申請し、そしてそれが受理されることとなった。これが先に記した日本窒素肥料と三菱との対立云々というものの経緯である。

遡って、1926年。野口は朝鮮水電を設立。翌1927年には朝鮮窒素肥料を設立した。1930年には朝鮮水電は朝鮮窒素肥料に合併された。
朝鮮窒素肥料は工場敷地を興南とし、アンモニアの合成と硫安の生産を開始したが、程なく多角化を進め、これが世に言う日窒コンツェルンを形成することとなった。
この多角化は油脂事業を以って開始された。事業の一環である日本窒素火薬(1928年設立。朝鮮窒素火薬は1935年設立)に火薬の原料であるグリセリンを自給するためであった。
『ダイナマイトの主成分はグリセリンを硫化したニトログリセリンであるが、そのグリセリンは安価かつ豊富なマッコウ鯨油に水素を添加して硬化油となし、これより分解・蒸留せられたものである。しかしながら、グリセリンは油脂成分としては10%内外で、残りの90%前後は脂肪酸より構成されているため、勢いこれら90%の脂肪酸の処理として石鹸工業および脂肪酸工業が付随することになった。ところで、北鮮は東洋最大のマッコウ鯨の漁場であった』(同)

多角化の結果「肥料企業」から「化学企業」へと転化したとされる日本窒素だが、『その多角化の方向は、折りからの日本経済の準戦・戦時体制化(軍需の拡大と民需の抑制・転換)を背景として、…(略)…陸海軍の「要請」や「技術提携」によって急速に軍需品生産へと向けられていった』(同)ようだ。
また、1937年以降の事業において電源開発が突出的に先行するようになったのは、その年からトップマネジメントになったのが、化学技術者ではなく土木技術者であった久保田豊だったからだといわれる。
ちなみに本宮工場には帝国海軍の秘密工場が作られ、「NA燃料工場」(Nは窒素のN、野口のN、ネービイのNを表わし、Aは航空燃料を表わした)と呼ばれた。

戦後、統一協会と文鮮明を賞賛した岸信介は、満州国商工次官として朝鮮窒素の利権を拡大した人物だった。そして、久保田豊や、同じく朝鮮窒素肥料幹部だった角田吉雄からは、戦後の日本でのっぴきならぬ事件や事情を生んだ血縁者たちが出た。薬害エイズを放置した厚生大臣の林義郎、同じく薬害エイズを放置した厚生大臣で、資源エネルギー調査会副会長・原発建設利権者の下条進一郎、原発建設最大の利権者鹿島建設(現在「鹿島」。日本の原発の3分の2を建設した)会長の石川六郎、同じく鹿島守之助、渥美健夫等々である。そこにCIAのエージェントとの評のある中曽根康弘が血縁を結ぶという構図だ。
日本の右翼の6割を率いていたといわれる児玉誉士夫も統一教協会員だった。

『最近公開された国務省の機密文書によると、CIAが自民党に対して政治資金を提供し、岸内閣の佐藤幹事長が受け取っていたので、日本の政治は外国のカネで動かされていた。日本政府が米国の諜報機関に操られた事実は、1995年3月20日のLA・タイムス紙上で、マン記者が全項を使って解説しているが、日本とイタリーが売弁政治だったとして、国辱的な政治が歴史に記録されることになった。
 それにしても、オウム真理教のサリン事件のドサクサに紛れて、この重大な売国事件は黙殺されてしまった。だが、世界の先進国が原子力発電を放棄した中で、核エネルギーに依存する道を突き進んだ路線と共に、日本の運命を狂わせた出発点がここにあった。
 これに関連して興味深いのは征矢野仁の記述で、<読売新聞日本テレビ・グループ研究>に引用されたニューヨーク・タイムズの記事は、「……元CIA工作員(複数)の言によると、この他に、戦後の早い時期にCIAの恩恵を受けた人物として挙げられるは、強力な読売新聞の社主であり、一時期は日本テレビ放送網社長、第2次岸内閣の原子力委員会議長、科学技術庁長官となったマツテロ・ショーリキである」とあって、その後に訂正記事のエピソードを含むとはいえ、元CIA工作員の発言は否定されていない。
 正力と中曽根が田中清玄や児玉誉士夫などの利権右翼と結び、CIAコネクションの中で日本の政治に対して、エージェントとして動いていた姿が見え、正力の人脈が占領軍のG2(参謀第2部)に密着し、ウィロビー部長との結びついた意味が納得できる。
 原子力施設の工事で最右翼といわれ、中曽根と姻戚関係を持つ鹿島建設の繋がりが、闇の中から浮かび上がってくるのである。(「平成幕末のダイアグノシス」藤原肇著)』

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