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(回答先: Re: 「アルメニア大虐殺」、トルコを裏でサポートしたのは同盟国のドイツであった。 投稿者 Ama 日時 2005 年 4 月 30 日 12:03:45)
はっきりしていることは、20世紀初頭のアルメニア・ギリシャ両民族大虐殺にも関わらず、現在のトルコ共和国の人種構成が古代ギリシャの頃とほとんど同じであるということだ。かつてのイオニアの住民の顔はまさにギリシャ系がほとんど全てであり、内陸部の住民はイラン系の顔立ちなのだ。大虐殺、住民交換にも関わらず、住民の人種構成が古代とほとんど変わってない。ギリシャ住民が今世紀初頭までいたという沿岸部にいても、住民がギリシャ人としか思えないのである。公式にはギリシャ・アルメニア両民族大虐殺後のトルコ共和国の住民はイスタンブールを除いてほとんどがトルコ人のはずなのに、同じトルコ人のはずなのに、内陸部と沿岸部では顔がはっきりと違うのだ。実際に全住民交換など不可能だ。驚くべきことに、東ローマ帝国成立後、ここまで何度もアジアの方からもヨーロッパの方からも異民族が小アジアに侵入しながら、小アジアの人種は人種が混ざり合うことが実際にはほとんどなかったように思えるのだ。日本の地方と違って、トルコでは顔立ちで出身地域が分かるほどであるが、公式にはトルコ人という一つの民族であることにしている。その方が国家をまとめるのに都合が良いからだろう。
多分、ヨーロッパ人は実際に行ってなければ、トルコ系移民のイメージとしてのトルコしか知らない。トルコ国内において、アルメニア・イラン・アジアの延長としての小アジアと、ギリシャ・ブルガリア・欧州の延長としての小アジアの違いは視覚的に確認できる。