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(回答先: Re: 靖国参拝考 投稿者 さすれば 日時 2005 年 4 月 20 日 17:11:32)
さすればさん、はじめまして、こんにちは。
>小泉の靖国参拝の理由は、「過去の戦争の戦没将兵を慰霊することで不戦の誓いを新たにする」ことだそうだが、こんな言葉の詐術に引っかかるのは、ウスラボケ日本人だけである。外国人のことはとりあえず置くとしても、何百万の日本軍将兵と内地の民を死に追いやり、無残な敗戦に導いたA級戦犯まで合祀されているということは、たとえば殺人事件の被害者と加害者が同じ墓に入っているようなものである。被害者としては耐え難いだろう。小泉は、「死んだら生前のことは問わないのが日本人の死生観で、文化の違いだ」などといい加減なことを語ったが、もしも小泉の息子か近親者が誰かに殺されて、その墓石のすぐ隣りに加害者の墓ができたら、彼は「死んだら同じだ」とそれを容認するだろうか。むしろ相手の墓にツバを吐きたくなるのではなかろうか。
A級戦犯の合祀は極東軍事裁判の違法性を訴える人達にとってはせめてもの抵抗の標なのでしょう。私は極東軍事裁判それ自体を欺瞞の産物であると捉えていますが、A級戦犯の合祀は欺瞞を欺瞞で糊塗するとんでもなく捩じれた所作であると考えています。私の極東軍事裁判に関する欺瞞性の判断は「パル判決書」に負うところが多く、当時パル判事の母国インドと日本とが友好的な関係にあったことを除いても、法律家としての見識は中立性が担保されていて、十分信頼に足るものと見ています。しかしながら、さすればさんの喩えは戦後の日本人の心象風景を描いたものとして、的を射たしかも非常に分かり易いものでした。
>A級戦犯を決めたのは極東裁判で、勝者が敗者を裁いたに過ぎず正当な裁判ではないという論理で、東条英機らの戦争責任そのものをウヤムヤにしたがる連中も少なくない。実際に、1952年に国会は「戦争犯罪は国内法にはない」というような理屈をつけてA級戦犯の名誉回復を議決した(当時の指導層には昭和天皇のことが頭にあったに違いない)。だが、彼らが戦時、内閣の閣僚であり、あるいは重要な国策決定に関与していたことは厳然たる事実である。小泉は(小泉以前の歴代首相もそうだが)東条英機から日本国の総理大臣の肩書きを引き継いでいるのである。いまだに敗戦の責任者なのである。スターリンの死後、フルシチョフがスターリンを断罪したように、まず東条らを断罪し、全面的に否定した上でなければ、本来“平和国家ニッポン”の首相になる資格はないのである。不戦の誓いなどを語る資格さえないのである。こうしたことが、小泉にはもちろん自覚はないが、戦禍に遭ったアジア諸国の人々には見えているのである。
敗戦責任を含む戦争責任の断罪は本来的には当事者である自国民が先ず担うべきだと考えますが、当時はそれどころではなかったのでしょう。けれども、その後も国民の代表である為政者達がこの問題に対峙することなく簸たすら回避して来たことが、小泉首相に代表される厚顔無恥の態度となって表出するように今日の為政者群の意識に反映しているのは事実ではないでしょうか。
>過去、日本の政治や社会が変わったきっかけはすべて、情けないことに、いわゆる外圧によるものだった。日本の国民は自らの手で改革はできないのだ。野党とジャーナリズムがそれらしく存在しないからだ。60年安保で時の全学連主流派が、女子学生の犠牲によって岸内閣を倒した時くらいである。黒船から始まって、太平洋戦争終結、ニクソンショック、田中角栄の退陣、金融ビッグバン、――主役は米国だった。アメリカが咳をすると日本が風邪を引くと言われた。ところが今、外圧のニューフェイスとして中国と韓国が現れたのである。
同様のことを根源的な部分を踏まえて歴史家の岡田英弘氏がその著書『日本史の誕生』(1994年弓立社)で述べています。今度こそ、日本(人)はこの課題をきちんと見据えて取り掛かるべきだと思います。その際、中国にも韓国にも諂うことなく、況してや米国の顔色を窺う必要は全くないと心すべきで、さらには過去を論い徒に中国や韓国を蔑視するのではなく、あくまでも対等な関係にある相手国と認めて掛かることが肝要です。その上で、安易な妥協をせずに粘り強く対応することが誠意であると心得るべきでしょう。
しかしこう語りながらも、かかる当事者能力を有し交渉の担い手として価するような人的リソースが果たして日本政府に存在するのか、疑念を払拭でき得ないことからも、決して楽観はできないと考えています。これまで英国や米国が日本に齎したように、しかし外圧のニューフェイスである中国と韓国は答えを与えてはくれないでしょう。日本(人)はアジアをはじめとする諸外国との関係強化を図りながら自ら最善の解を見出してゆかねばなりません。それには、対立すべきは中国国民や韓国国民ではなく、先ず対峙しつつ洞察すべきは自国政府の有り様であり、さらに中国政府や韓国政府の動向であることを我々一般国民は肝に銘じて、それらに働きかけていくことこそ重要な当為であると思量します。
また、会いましょう。