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(回答先: イラク保健省、カイムで毒ガスを使用しないように米軍に警告 [アラブの声ML] 投稿者 white 日時 2005 年 4 月 13 日 23:00:42)
□米軍の空襲で民間人多数が死傷/任務を拒否する米兵 [イラク情勢ニュース]
http://www.freeml.com/message/organizer-news@freeml.com/0000869
URUKNEWSイラク情勢ニュース (転送・紹介歓迎)
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2005/04/13(水)
[飛耳長目録 today'snewslist]
☆米軍の空襲で多数のイラク人死亡 アルジャジーラ
ManyIraqiskilledinUSairattack
☆さらに多くの米兵がイラク派遣に疑問 アルジャジーラ
MoreUStroopsquestioningIraqduty
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☆★米軍の空襲で多数のイラク人死亡
ManyIraqiskilledinUSairattack
アルジャジーラ 4月12日
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http://english.aljazeera.net/NR/exeres/09413EAB-D8E4-4C03-A52C-BD7118AC9946.htm
米軍ヘリと重砲により、カイム市の北にあるルンマナ村の民家が砲・爆
撃され、イラク人20人が死亡、22人が負傷した−−アルジャジーラが報
道した。
死亡者のなかには7人の子ども、6人の女性、3人の老人が含まれてい
たと目撃者が証言した。一方、負傷者は子ども13人、女性7人、老人2人
だった。
その目撃者はさらに、11日夜、攻撃を繰り返されるなか、カイム近郊に
着陸した米軍がやってきたあとに砲撃が始まったと話した。
アルジャジーラによると、これに先だって、爆撃によって3軒の民家が半
壊し、他に1軒が完全に破壊されたと報じられた。
これとは別に、イラクのアメリカ大使館は、再建プロジェクトで働いている
アメリカ人契約労働者が誘拐されたと発表した。
◆同時攻撃
イラク人ジャーナリストのアハマド・ハリドは、アルジャジーラに次のよう
に話した。カイムにおける11日の攻撃は同時攻撃だった。3発の砲弾が
米軍司令部として使用されていたビルに命中し、4発目は米軍の護送車
列を攻撃目標にしていた。
このジャーナリストは、後にムジャヒディン戦士と米軍のあいだに軍事衝
突が発生し、多数の民家を損壊したと語った。しかし、市民は非難してい
たので、その衝突では民間人に負傷者は出なかった。
米海兵隊の広報官は11日、キャンプ・ガノンの外で攻撃を受け、海兵
隊3人が負傷したと述べた。それはアンバル州カイムにある基地で、バグ
ダッドの西方約300キロに位置する。
・・・ (略)
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☆★さらに多くの米兵がイラク派遣に疑問
MoreUStroopsquestioningIraqduty
アルジャジーラ 4月12日
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http://english.aljazeera.net/NR/exeres/3FB0FF8D-3F6F-490F-A25E-CE6BE0FC0E26.htm
イラクにおけるアメリカ軍の死傷者数が増え続けるなかで、多くの兵士
が2年になる戦争に従事することに不安を抱いている。
米軍の数字は、2003年3月のイラク侵攻以降、約5500人の兵員が
失われたことを示している。
独立系の米軍軍人をサポートする団体であるGI人権ホットラインは、軍
を辞めたいという兵士から、2003年には3万2000件の電話がかかって
きたが、それは2001年の2倍にあたる数だった。
※訳註 GI=官給品という意味から転じて米兵を指す.
なかには政治的な理由から任務を拒否する者もあり、他には1500人も
の米兵が殺され1万1000人以上が負傷した国(戦地)に行きたくないと
いう者もいる。
多くの兵士は既にイラクに派遣されたことがあり、彼ら自身の経験ゆえ
に迷いが生じて、任務がいやになっている。
カミロ・メジアもそうした1人だ。
彼はイラク侵攻のあとイラクの戦闘部隊で6ヶ月間を過ごし、休暇のた
めに米国に戻ることになったが、道徳的な理由で(戦地の部隊に)復帰し
ない決心をした。
彼は任務放棄のために禁固1年の判決を受けた。
メジアはイラクでショックを受けた経験を話した。
「司令官たちは自分たちを良く見せる履歴を欲しいために、われわれを
戦闘現場に送りこみたがった」とメジアはアルジャジーラ・ネットに語った。
「私のいた部隊は30人を殺した。武器を持っていたのは、そのうちの3人
程度だった」。
「いったん家に帰ると、そのことについて考えないでいることは難しかっ
た。そのことを考え始めると、実際のところ、それを正当化することができ
ないんだ」と彼は説明した。
2度目、3度目のイラク派遣となる兵士もいるなかで、メジアは、多くの
兵士は侵略から2年もたって、しかも主権を委譲し選挙もやったあと、な
ぜ自分たちがまだイラクにいるのかと自問している、と話した。
「いったい何の理由があって、俺たちはそこにいるのか? 兵士たちは
自分に問いかけている。終わりがないようだ」と彼は言った。
・・・ (略)
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