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(回答先: ズグレーナが語る”あの夜” 病室インタビュー/3月11日 (コリエレ紙) 投稿者 kamenoko 日時 2005 年 3 月 11 日 21:54:20)
「300−400発の被弾」
kamenokoが見た限り、最初に言ったのはガブリエーレ・ポロ(Gabriele Polo)
マニフェスト紙編集長ですが、ジュリアーナさんの恋人も(Pier Scolari)
発言しています。
負傷した運転手の証言は、”銃撃の雨(pioggia del fuoco)”でした。
「犯人との会話」
ジュリアーナさんはある程度のアラビア語を解しますが、拘束犯たちからの
指示や会話は、フランス語と英語。どちらもテリブルなレベルだったそうです。
「フィーニ外相兼副首相」
国内同盟(Alleanza Nazionale)党党首。ファシスト党の流れを汲む政党で
党名が「南部同盟」だった頃は実質ローマ以南の声を代表していました。
ベルルスコーニ政権発足当初から、「北部同盟(北イタリアの独立を掲げる。
ウンベルト・ボッシ党首は現在病気療養中)」とともに連立与党の両翼を担う
形で閣僚入りしています。そのため、EC各国から「イタリアはファシストを
政府に迎えた」と非難を受けます。
kamenoko周辺のフィーニ氏評は、非常に頭が切れる、ぶれない、放言しない、
突っ込まれても動揺しない・・。しばしば行方不明になるベルルスコーニ首相の
代わりに、重要な局面で多くの発言を行っています。
蛇足ながら、 ベルルスコーニ氏はイラク駐留イタリア軍が攻撃を受けた時も、
サドル氏派民兵との交戦中にイタリア兵が死亡した時も、昨年4月に起きた
イタリア人警備員人質事件の時も一時行方不明でしたが、今回はTVに出ずっぱり
のようです。
03年の秋、「世界平和に最も脅威である国は、あなたにとってどこでしょう?
結果1位アメリカ・2位イスラエル」というEC市民を対象とした世論調査結果が
漏洩し、関係各国政府を震撼させたことがありました。
イスラエルとユダヤ人権協会からは、「欧州での反ユダヤ主義の高まりに懸念する」
と非難が出ました。
即座にベルルスコーニはシャロン氏に電話で謝罪しました。
フィーニ氏は「ばかげた世論調査」と看破、翌朝ベルルスコーニの名代で
イスラエルに飛ぶ。ユダヤ教の帽子を被って現地のユダヤ礼拝堂でひざまずき、
ホロコーストの犠牲者に冥福を捧げる写真が広く公開されました。
党員だったムッソリーニの孫娘、アレッサンドラ・ムッソリーニ国会議員は、
「フィーニにはもう我慢できない」と間もなく離党します。
(これだけが原因ではありませんが)
党のスローガンは 「We are interested in only for Italians」です。