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(回答先: 伊 銃撃事件 車両写真URL (コリエレ紙) 投稿者 kamenoko 日時 2005 年 3 月 11 日 19:23:27)
コリエレ紙より転載・翻訳
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「光はなかった。闇と銃撃音だけ。でも、その後兵士たちは動揺していた」
http://www.corriere.it/Primo_Piano/Cronache/2005/03_Marzo/11/sgrena.shtml
ジュリアーナ・ズグレーナが詳細に語る あの夜本当に起きたこと。
”ニコラはイタリア語で電話していた”
ローマ これが彼女の記憶。そしておそらく、知っていること。
ジュリアーナ・ズグレーナの容態は向上しており、病室のソファに座る彼女の
表情にもう苦悶の色はない。「こんなことになるとは想像もしていなかった
けれど、起きたことの隅々まで思い出すよう努めながら再現してみます」。
彼女は人質だった。そして今は証言者だ。
あの日に開放されることを期待していましたか?
「いいえ。金曜日だったことだけ覚えています。拘束された日から、自分の
カレンダーを作っていました。彼ら側からの進展は、いつも土曜日だった。
ビデオを撮影した日、生存の証拠としての手紙を書かされた日。けれども
あの日、私の見張り役の2人が、覆面なしの顔をみた唯一の人物ですが、
冗談を言い合っていた。それがとても気になったものだから、昼食後、15時
頃でしたが、ひとりになぜそんなに上機嫌なのか尋ねてみたのです。”わたしが
まだ居残るから?それともいなくなるから?”。彼らは数日前から、わたしの
開放を仄めかしていた。彼はうまくかわしたけれど、もうひとりがわたしに
わからせようとした。今日ではないと」。
それから何が起きましたか?
「午後遅くに再びわたしの部屋に入ってきた彼らが、初めて洋風の服装、シャツと
フランネルのズボンを身に着けているのに気付きました。緊張した様子で
”おめでとう。あなたはローマに発つ。早く服を着替えろ”と言いました」。
あなたが脅されたように感じたことばを言ったのはいつですか?
「家の中でした。ひとりが、わたしにガーゼに包んだ黒いサングラスをつけ
ながら、”大丈夫?ナーバスになっていない?これから険しくなりそうだ。
なにかおかしな事が起これば、我々はすべてを取りやめる。途中で誰かに停め
られても、あなたはアメリカ人のように見えてはいけない”。2人のシモーナ
の時を思い出して、わたしにアラブ風の服を着せない理由を尋ねましたが、
答えはありませんでした。”ノー”とだけ言った」。
そこで外に出たのですか?
「まだです。かばんを返してきた。ほぼすべてのものが残っていました。
現金200ドルとブロック・ノートが幾つかなくなっていたけれど、パスポート
を含めて書類はそのままで、選挙のためのパスも3つ、ひとつはアメリカから
発行されたものでした。衛星電話とデジタルカメラはとりあげられたまま。
外に出たとき、闇を感じました」
何人でした?
「いつもの監視役が2人いたのは間違いなく、運転席に別の人間がいました。
彼の携帯電話がひっきりなしに鳴っていて、興奮した声で話していました。
先行車に追いつこうとしていたことがわかった」。
移動はどのくらいかかりましたか?
「多くとも20分。水溜りのはね返りが聞こえて、車が停止しました。
動かないように言われ、彼らは去って行った。通りを行き交う車の音と、
ヘッドライトの光を感じたので、交通量のある道だったと思う。頭上から
ヘリコプターの音が聞こえた。モガディショを思い出しました。ソマリアの
ゲリラを取材中に、頭上を米軍のヘリコプターが飛んでいたことを。”今度も
わたしたちを捕まえなければいいけど”と思った。複数の車が傍に停まり、
去って行きました。待機は半時間以上ではありませんでした」。
そしてニコラ・カリパリがやってきた
「いいえ。わたしの脇のドアを開け、”10分”と言って去って行ったのは
監視役のひとりでした。それから数を数え始め、1から60まで、その繰り
返し。10回ほど数えたあと、反対側のドアが開いた。ニコラ・カリパリでした。
彼はなんと言いましたか?
「”怖がらないで。あなたは救出されました”。車を回って私の側の扉を開き、
外に出してくれた。”わたしに任せて。ついて来てください”。何歩か歩き、
”あなたの隣に座ります”。出発。間もなく目隠しを取ってくれた。前の席には
ひとり、ハンドルを握る人がいました」。
あなたたちだけでしたか?他に車は?
「その時はわたしたちだけだと思いましたが、他に車がいた可能性も排除でき
ません」。
車の速度は?
「一度もスピードを上げていません。時速70−80キロでしょう」。
一連の車からの電話を覚えていますか?
「最初に電話をしたのは運転手でした。番号を押して、バグダッドの誰かと
話をしているように思った。”向かっている。我々は3人だ”。これが何度か
繰り返されました」。
カリパリは?
「自分の携帯電話を探っていたけれど、めがねをかけていないせいもあって
見つからなかった。それで運転手が車内灯を点けました」。
ずっと繋がったまま?
「最後まで。彼らは複数の携帯電話と衛星電話を1つ持っていた。ある時点で
カリパリは苛立った。ひとつが使えなかったから。でもどれだったかは覚えて
いません。2人は何度も電話をかけた、どれもイタリア語で」。
その点が議論になっているのですが?
「わたしは英語の会話を聞いたと言っていません。その点について確信が
もてないからです。彼らはイタリア語で話していました」。
あなたは自分がいる場所がわかりましたか?
「ええ。知っている道だったから。わたしが空港に行くのに使っていたもう
ひとつの道で、わたしが知る限りでは米軍が制圧するグリーン・ゾーンを
通過し、居住区域を避ける道路です。わたしも何度か使いました」。
チェック・ポイントに遭遇しましたか?
「ひとつも。誰にも止められなかった。気持ちが高揚していたから、道路脇に
米兵がいたかどうかは確信持って言えませんが、チェックポイントがひとつ
あったことは覚えています」。
そろそろ空港に近づいてきましたね
「ある時点で運転手がニコラに言いました。”700メートル地点。もう空港
です。やりましたね”。それならもう比較的安心だわ、と思ったのを覚えています。
”やりましたね”から」。
ペンタゴン・バージョンでは、時速100マイル、160キロとなっていますが
「ひどすぎる。運転手は今のことばを言い終えてすぐに、ブレーキを踏みました。
右手にカーブがあったからです。はっきりわかるくらいスピードが落ちた。
”走っている”と言えないくらいまで。カーブの出口で銃撃がありました。
右手側と後方から。連発と単発の集中射撃が。前方からエンジンを撃ったという
のは事実に反します」。
米側は、光を当ててから空を撃ったと証言しています
「いいえ。車のガラスが割れたのと同調(一致)しています。これも確信もって
言えます。空を撃った銃撃はありませんでした。わたしが射撃音を聞いたのと
ガラスが粉々になったのは同時です。光もありません。小さな光もね。
周囲を見ても真っ暗でした」。
そのとき何が起きましたか?
「”我々は攻撃を受けている、攻撃を受けている”携帯電話を掴んだ運転手が
言いました。同時に車が停まった。カリパリの声はもう聞こえませんでした。
わたしに覆いかぶさるのを感じた。ええ、わたしを救うためと確信しています。
あえぎ声だけが聞こえ、死にかけていることがわかった」。
車から何が見えましたか?
「道路脇に停まっていた装甲車、右側です。そこから、その高い地点から、その
瞬間に閃光が当てられた。ひとりの兵士が右側のドアを開けました。わたし
たちを見て、しまったというそぶりをしたと感じた。”Oh、shit”と言ったと
思います。それから近づいてきた他の兵士たちも、装甲車の後ろから7,8人
だったと思うけれど、落胆している様子がわかった」。
あなたは”雨あられの銃撃”と言いました。弾丸(*)を掴めるくらいと。
しかしそうではなかったようですね?
「わたしは弾丸(*))を見ました。3−400かは知らないけれど、
車内は弾丸(*)だらけでした。こんなにたくさんの弾丸(*)に囲まれて、
どうして自分が生き残れたのかと思ったことを覚えています」。
運転手は?
「低い姿勢で電話で話していました。こう叫んだのが聞こえました。”ニコラが
死んだ。彼女はわたしから離れたところにいるが、目は開いているようだ”」
病院の人間はあなたが何者か知っていましたか?「すぐに一般的な質問を受け
ましたが、特に目だった反応はありませんでした。ずっと後になってからひとりの
アメリカ人が近づいてきて、私に尋ねました。”あなたは誘拐されたイタリア人
ジャーナリストですね?”と」。
あなたが誘拐犯から贈られたというネックレスのミステリーがあります
「その時身につけていました。看護士が、後で返すと言って外しました。
翌朝に探してくれるかどうか頼んだのですが、見つからないといいました。
それから出発しました」。
05年3月11日 マルコ・イマリジオ(Marco Imarisio)
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kamenoko注 (*)原文は’proietti’弾丸、もしくは薬きょうの複数形