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記者の目:
収容8カ月の元チェス王者 田嶌徳弘・英文毎日
東京の上野駅からJR常磐線で1時間ほどの茨城県牛久市に、入管法違反で強制退去を命じられた外国人を収容する東日本入国管理センターがある。チェスの元世界王者の米国人、ボビー・フィッシャーさんはこの施設の中で3月9日、62回目の誕生日を迎えた。
その日午後4時45分、私はフィッシャーさんに会った。収容後会見した世界で唯一のジャーナリストということになる。しかし「取材はしない」という誓約書がセンターの面会の条件だったので、15分ほどの会見の内容以外のことを以下に書く。
フィッシャーさんは欧米では知らない人がいないほど有名だが、日本では無名に等しい。2000年から婚約者の渡井美代子さん(60)と日本で同居生活を送れたのは、騒がれることがなかったからだ。しかし今や、その知名度の低さがあだになり、収容生活が8カ月間にもなるのに、日本での関心は低い。確かに彼以外に、1年以上収容されている外国人もいる。だが、フィッシャーさんが彼らと決定的に違う点が一つある。それは第三国であるアイスランドが居住許可を出していることだ。
フィッシャーさんもアイスランドへの出国を望んでいる。さらにアイスランド政府はパスポートも出した。支援者は航空券も買った。基本的に「日本から出て行け」と言われて、諸般の事情で出られない人がいるのが管理センターである。本来なら喜んで出国させ、無駄な税金は使わないのが当然なのに、なぜか法務省は「行き先は米国だけ」と言い張って、出国許可を出さない。これは米国が日本政府に対して米国に送還せよ、と要請しているためだ。米国はアイスランドにも、受け入れないよう圧力をかけたが、アイスランドは拒否した。つまり、この事件は今や、日米同盟対アイスランドの戦いになっているのだ。
その対立を象徴する事件が、誕生日の1週間前の2日に起きていた。アイスランドからフィッシャーさんの親友の元警察官、サミー・パルソンさん(68)が来日し面会しようとしたときのことだ。2人の出会いは33年前にさかのぼる。
1972年9月1日、当時29歳のフィッシャーさんがアイスランドで行われたチェスの世界タイトル戦でロシアの世界王者ボリス・スパスキーさんを破った。米国人初の世界王者のボディーガードを務めたのがパルソンさん。気が合った2人は対局後3カ月も米国で一緒に過ごす仲になった。
そのパルソンさんが渡井さんと牛久にやってきた。この2人にアイスランド国営テレビが同行した。テレビの取材はセンター側に拒否された。これはまあ仕方がない。しかし、パルソンさんだけでなく、渡井さんも面会を初めて拒否された。「保安上の理由」というだけで、それ以上の説明はなかった。事情がわかったのは5日後、2人が面会できてからだ。その話によると−−。
同センターの朝食には毎日ゆで卵とジュースか牛乳、それにパンとジャムが配給される。2日朝はフィッシャーさんにゆで卵が配られなかった。フィッシャーさんは係員に「卵をもう一つくれ」と言った。卵好きの彼は、1個もらった後、いつも「もう一つ」と言う。ただし、2個食べられたことは1回しかない。この日は卵がないのに、そう言った。係員は「ノー」と答えた。フィッシャーさんはその係員のシャツの胸ポケットをつかんで引きちぎった。大騒ぎになった。別の職員の顔を殴った。後ろ手に手錠をかけられ2時間放置され、収容以降初めて独房に入れられた。出されたのは4日後だった。
人を殴ったのだから、独房入りと面会拒否も仕方がないだろう。だが、なぜ、親友がアイスランドから来る日にそんなことをしでかしたのだろう。
これはたまたまなのだろうか。渡井さんはこれまで100回以上面会しているが、一度も断られたことはない。なぜこの日はだめなのか。アイスランドは米国の圧力をはねのけた国である。その国の親友と国営テレビがやってくるとしたら、日本としては会わせたくない、という気持ちがわくこともあるだろう。フィッシャーさんが問題を起こすよう挑発すれば、つまり卵好きの彼が卵を食べられなければ……。センター側は一切、取材には応じないので、これはあくまで私の推測である。
法的にはフィッシャーさんの出国を妨げるものは何もない。つまり、日本政府は政治的判断で62歳の男を収容し続けていることになる。これは許されない。
毎日新聞 2005年3月11日 0時15分
http://www.mainichi-msn.co.jp/shakai/wadai/news/20050311k0000m070153000c.html