現在地 HOME > 戦争68 > 284.html ★阿修羅♪ |
|
(回答先: 横浜事件、高裁も再審開始を支持 【asahi.com】 投稿者 木田貴常 日時 2005 年 3 月 10 日 23:21:45)
たむたむ法務ページ
http://www.cc.matsuyama-u.ac.jp/~tamura/index.html
http://www.cc.matsuyama-u.ac.jp/~tamura/yokohamajikenn.htm
☆横浜事件☆
第2次世界大戦末期、共産主義を宣伝したなどとして、神奈川県警特高(カナトク=神奈川県警特別高等警察の略で、残虐さをもって怖れられた特高のなかでも神奈川県警特高の拷問は苛酷をきわめた)が治安維持法を適用し、評論家や出版社社員ら約60人を逮捕したでっち上げ(事実と違うことを、いかにも本当らしくこしらえる。捏造〔ねつぞう〕すること)事件の総称で、戦前最大の言論弾圧事件(カナトクは横浜事件のでっち上げで表彰された)。
なお、事件は、東条英機のふところ刀(懐刀=機密に参与する腹心の部下)といわれてた内務次官唐沢俊樹のシナリオで、反東条勢力の近衛文麿とその側近グループを、昭和研究会や昭和塾(昭和研究会の外部組織背の青年教育機関)を口実に潰すのが狙いだったという説(唐沢黒幕説)もある。
唐沢俊樹(からさわとしき;1891〜1967)=長野県生まれ、東大卒後内務省に入り欧米留学、和歌山知事等を歴任、1932(昭和7)年の5・15(ごういちごう)事件後は進んで治安維持担当の内務省警保局長に就任、1936(昭和11)年の2・26(ににろく)事件の責任をとって辞任したが、1939(昭和14)年第36代阿部信行内閣の法制局長官として復権し、1940(昭和15)年には貴族院勅選議員となる。
この間、日本共産党中央委員会の壊滅作戦や大本教や創価学会に対する徹底的な弾圧、憲法学者美濃部達者の「天皇機関説」を不敬罪として告訴(天皇機関説事件)するなど一連の思想弾圧政策を指揮した。
戦後、1951(昭和26)年公職追放から解除されるや郷里の長野4区から総選挙に立候補し、度の落選を経て1955(昭和30)年に当選(以後4回当選)。1957(昭和32)年第56代岸信介内閣(第1次岸内閣 改造内閣)の法務大臣に就任する。1965(昭和40)年11月3日、勲一等瑞宝章(ずいほうしょう)を授与される。
1942(昭和17)年総合雑誌『改造』8〜9月号に掲載された細川嘉六(57)の論文「世界史の動向と日本」は、内務省の事前検閲(けんえつ=公権力が書籍・新聞・雑誌・映画・放送や信書などの表現内容を強制的に調べることで、戦前には公然と行われていたが、日本国憲法第21条でこれを禁止している)は通過していたが、これに対して陸軍報道部長谷萩那華雄陸軍大佐が、「政府のアジア政策を批判するもの」と文句をつけ、共産主義宣伝論文であると批判した。
これが事件の始まりであった(このとき、戦争傍観の雑誌と目をつけられていた『中央公論』も「撃ちてし止まむ」の陸軍〔戦時〕標語を掲載しなかったことを理由にその責任を追及された)。
以下略
http://www.cc.matsuyama-u.ac.jp/~tamura/yokohamajikenn.htm