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(回答先: 一揆を忘れた近代日本−日本人=サムライ?「サムライをして立ち退くべし」の時代は 投稿者 スパルタコスポノ 日時 2005 年 2 月 11 日 17:58:39)
庶民が何の備えも無いままに、近代資本主義社会のジャングル的世界に放り出されたので、「何がなんだか良くわからず」、「回りにあわせて活きてゆこう」と言う精神状態なのではないでしょうか。
情けない事に、政治家や財界人もそうなのですから、お手上げですね。
しかしながら、政治家や財界人は「最も悪い意味での庶民的人種・庶民のエリ−ト?!」であるわけですから、それが、当然であるわけですね。
関が原合戦の時の武将であった大谷行部(字が間違っているかもしれません)は、ハンセン氏病患者であったのですが、こういう人は軍隊の将校には勿論採用されません。しかし、大谷行部は立派な武将であったのです。
将校には、特に日本では、体がよくて試験に通れば、将校になれたわけです。
国家への忠誠心は装う事も出来て、自分の(家の)出世の為に将校になることは簡単であったわけです。
武士道と近代の軍隊の倫理とは似て非なるものであります。武士には試験は無かったのです。「藩校」にはそれらしきものは在ったかもしれませんが。
商・工・農の倫理観は武士のそれに全く劣るものではなかったのですが、重視されなくなっていってしまいました。簡単な事で、企業が社員を「兵隊」として扱おうとした事以外に大きな理由はありません。その様に扱うのが手っ取り早い方法であったからです。学校で学生を兵士のように扱う伝統があるのも、近代の軍事体制と企業の社員への兵隊視が理由でしょう。大変に「薄っぺらな」在りかたですね。
私は、家の何人かの先祖から明治の初めの頃の、小学校や中学校以上の学校の有様を聞いていますが、それは、今からは想像できないほどの、自由さで溌剌としたものであったそうです。
滝廉太郎の造った「花」と言う歌のみずみずしさはこの時代に相応しい物でしょう。
明治の初期の歌や音楽は殆どが明るいものです。
今では堕落の極にあって、BSEにならずとも権力者達の頭蓋骨の中身は「スポンジ」になってしまっています。崩れ落ちるのは必然ですね。
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