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(回答先: ドイツ人みずからによるナチス犯罪裁判 投稿者 外野 日時 2005 年 2 月 12 日 12:12:34)
朝日新聞[朝刊]2004.04.30
「民主主義より法秩序に信頼」
ドイツの憲法裁判所はなぜ司法積極主義が可能なのか。87年から99年までドイツ憲法裁判所裁判官を務めた、フンボルト大教授のディーター・グリム氏に聞いた。
──憲法裁判所が果たしてきた役割は。
「すばらしい憲法を持ったワイマール共和国が失敗に終わり、ナチズムを生んだ歴史をさかのぼる必要がある。独裁体制の下で、人権や民主主義がすべて否定された。戦後ドイツの憲法の目的を一言で言い表すとすれば、民主主義が壊され、人権が無視される国に再びしてはならないということだった」
「憲法裁判所はそうした憲法秩序を守る監視機関として生まれた。強い権限が与えられ、社会にとって大切な問題はいつも連邦憲法裁判所で扱われてきたし、裁判を通じて人権の大切さが人々の間に浸透していった」
──グリムさんもかかわった94〜95年の一連の決定は世論の激しい批判を浴びました。
「憲法裁判所の最も大きな役割の一つは、少数派の権利を守っていくことだ。もちろん、個人の利益と共同体の利益がぶつかったときに、いかに調和を図っていくかはやっかいな問題だ」
── 一方で、ドイツ連邦軍のNAT0域外派兵問題など、政治的に大きな対立がある問題について判断し、政治を動かすことができるのはどうしてでしょう。
「ドイツではしばしば、政治家が厄介な問題を最終的に決めたくないと考える傾向がある。もう一つは我々の意識の深い所と関係している。一般論になってしまうが、米国が民主主義に大きな信頼を置いているとすれば、ドイツでは政治や民主主義よりも法に大きな信頼を置いているように思う。過去の歴史的な経験と無関係ではない」
──極めて強い権限を持つ憲法裁判所が機能する社会的な条件は、何なのでしょうか。
「ドイツの歴史ではないか。敗戦で東西に分断され、国民の自已同一化の対象はもはや国民国家ではなくなった。歴史でもないし文化でもない。そんな中で多くのドイツ国民が大切に感じ、自已同一化の対象にしたのが憲法だった。それは『憲法愛国主義』と言われることもある。そうした基盤が社会にあるかどうかではないだろうか」