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(回答先: 近代国家のドイツの検証をあまりに馬鹿にしたものなのでは… 投稿者 外野 日時 2005 年 1 月 30 日 06:32:38)
「ホロコースト」論争については議論板の方がよいと思う。議論板でレスしようかと思ったが、中身がある話じゃないので、こちらにしておきます。レスがあれば議論板でお願いします。
(1)この帳簿や特許については、もう少し詳しい資料が欲しいですね。歴史学における史料批判(Quellen Kritik)の3つの基本原則(真実性批判、来歴批判、本源性批判)が検証できるような資料が欲しい。(cf. http://www.asyura2.com/0502/war66/msg/764.html )。少なくとも、年月日とその帳簿の本体の記載内容が欲しい。
(2)帳簿というのが会計帳簿だとすると、普通はこんなメモは書かない、経理係の与り知らぬ話だ。むしろ重要なのは帳簿の本体の記載内容、たとえば「死体処理費用 150人分 金xxマルク」というような記載がなされているかが重要になるはずだ。現物が見たい。
(3)「毒ガスの流量調節器などについての特許」というのは「一度に1000人をガス殺する設備の毒ガスの流量調節器などの特許」なのでしょうか? それとも、死刑執行に必要なガス殺設備に関する特許なのでしょうか? それとも殺虫駆除のための「毒ガスの流量調節器などについての特許」?
(4)出典はこれ(↓)ですか?
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http://www.hotcafe.to/~akaibara/ai0/news/irumimati/nenpu1.htm
ロスチャイルドがどんな仕事をしていたのかが解る資料です。
ヒットラーの戦争はユダヤ人の指示
第二時世界大戦もロスチャイルドの資金稼ぎだったのです。
1926年、アレン・ダレスが兄のつとめる法律事務所サリバン=クロムウェルに入社すると、アメリカとドイツの交渉が急速に進められた。この事務所はUSスチール(モルガン)とスタンダード石油(ロックフェラー)の両トラストを成立させた全米一のオフィスとして両社の顧問をつとめるだけでなく、メンバーは四十を越える銀行と大企業の重役をつとめ、全体としてひとつの巨大な投資会社でもあった。
「ニュージャージー・スタンダード石油」がここでドイツ最大の化学トラスト「IGファルベン」と同盟を結んだのは、このモルガン=ロックフェラー連合のサリヴァン=クロムウェルから出される指令を受け、ダレス兄弟が画策したものだった。さらに、「ゼネラル・エレクトロニック」はドイツの電気トラスト「AEG」と同盟を結び、「ゼネラル・モーターズ」は「ドイツ・アダム・オペル」を子会社として支配した。
これらのドイツ企業に入り込んだ金は、続々とナチス党の金庫に流れて行った。さきほど述べたサッコとヴァンゼッティの処刑がおこなわれたのは、この一九二七年だったのである。
(億万長者はハリウッドを殺す/広瀬隆)
「IGファルベン」という会社は、ヒットラー最大の資金源であり、「スタンダード石油」以外に兵器産業の「デュポン社」ともカルテルを結んでいた。またこの会社は、アウシュビッツ収容所の隣に工場を建設し、選別した収容者を無賃で労働に就かせる傍ら、帳簿に次のような記録を残した。
「注文した女を百五十人受領した。彼女たちは衰弱していたが、実験には充分に役立った。
実験したところ、全員が死亡。次の注文については、近く連絡する予定である。」
「ウェステイングハウス」が協定を結んでいたドイツの電機メーカー「ジーメンス」の場合には、このビジネスの性格がさらに鮮明だった。そのビジネスは、エジソンがウェスティングハウスを倒すために死刑囚の電気椅子を考案したことを思い起こさせる。ジーメンスは、強制収容所の毒ガス室の設備について研究し、これを製造していた。しかも毒ガスの流量調節器などについて特許を取り、[利益を独占した]のだった。
ユダヤ人の虐殺が想像を絶する数にのぼった史実を解く鍵は、このような部分に存在する。
戦争は投機事業だが、虐殺もまた、細部に至るまで投機事業としておこなわれるものである。
人間を大量に殺すとなれば、これを請け負う人間のやることは、立派にひとつのビジネスでなければならない。理由もなく、六百万人のユダヤ人を殺すわけがない。このジーメンスの盟友ウェスティングハウス社にロックフェラー家が初めて重役を送り込み、直接の支配をスタートしたのは、ヒットラーが首相の座についた一九三三年の、その同じ年だったのである。(同)
現在推理されるところでは、ヒットラーとナチスのユダヤ人狩りは、モルガンとロックフェラーの手でおこなわれたのではないか、という疑問がある。これは決して根拠のない話ではない。
ナチス党の創設者の名前をアントン・ドレクスラーという。
モルガン商会の前身を、ドレクセル・モルガン商会という。J・P・モルガンがまだひとり立ちする前に手を組んだパートナーが、アンソニー・ドレクセルだったのである。
このふたつのよく似た名前を、アルファベットで書いてみる。
ANTON DREXLER (ナチス党創設者)
ANTHONY DREXEL (モルガンのパートナー)
ドイツ名と英語名だが、明らかにこのふたりは同姓同名である。欧米人の系譜図を見ていると、祖先の名前がそのまま子孫に与えられる例が非常に多い。これもその一例ではないとは断定できない。
聖書に出てくるギリシャ名の「ペテロ」が、フランス名では「ピエール」に変わり、英語名では「ピーター」、イタリー名では「ピエトロ」、ロシア名では「ペテル」になるのと同様である。「ロックフェラー」の名前も、ドイツの系譜をたどると、「ロッケンフェラー」となる。
怪奇な一致は、これだけでは終わらない。
ナチス党が創設されたのは一九一九年一月五日だった。ちょうどその前の月、一九一八年の十二月に、ロックフェラー財団の理事長の弟アレン・ダレスが、アメリカ政府代表団の一員としてドイツを訪れていた。
そのとき同行した彼の上官は、「これからのアメリカは、ドイツの軍国主義と手を結ばなければならい」と、ダレスに強く意見を述べ、ダレスがこれに傾頭したと記録されている。その危険な思想を説いた上官の名前が、エリス・ドレッセルなのである。
今度は、ドレクスラーでもドレクセルでもない、ドレッセルである。このドレッセルの思想は、ナチス党の創世をそのまま反映する鏡である。ナチス党が誕生する直前に、ロックフェラー財団がドイツに関与しているのはなぜか。
ドレクスラー、ドレクセル、ドレッセルが同姓であることには疑いを挟む余地がない。このナチス党の結成からわずか十三日後に、「モルガン商会」がリーダーとなってヴェルサイユ講和会議がはじまり、ドイツの賠償問題が扱われていった。この会議に、アレン・ダレスが出席していることを、歴史の文書が示している。
これらは、単なる偶然の一致だろうか。
もしこれが偶然の一致でないとすれば、ナチスの誕生についての歴史的解釈を、別の角度から書き直さなければならないだろう。
イスラエル共和国に住むユダヤ人よりアメリカ合衆国に住むユダヤ人のほうが100万人も多い。
20世紀末期を迎えている今、ロスチャイルド財閥はもはや単なる一財閥ではなくなった。現在、パリ分家とロンドン分家を双頭とするロスチャイルド財閥は、融と情報という21世紀の主要メディアを支配し、また、そのあり余る力をアフリカ大陸をはじめ、全世界の金やダイヤモンドやウランをはじめとする地下資源の確保に注ぎ込む、巨大な先端企業連合体でもある。
彼らのビジネスが国際政府機関&各国の王室&国際報道機関&国際諜報機関などと密接に結び付いてくると話は違ってくるだろう。ましてや、彼らが“軍需企業”と癒着(利権支配)するとあっては、なおさらである。
世界中にのさばっている“死の商人(兵器商人)”の多くは、ロスチャイルド財閥と何かしらの関係を持つ者たちであることは事実である。
戦争あるところにロスチャイルドの姿ありと言われている。戦争を“ビジネス”として淡々と扱うところに、何かただならぬ怖いものを感じる。
1940年当時のロスチャイルド一族は約5000億ドル、アメリカの全資産の2倍、全世界の富の50%を支配していたと推定されている。彼らの富は創業以来230年にわたって確実に増殖している。
彼らの勢力範囲は、まずヨーロッパ、ついでアメリカ、アジア、そしてアフリカ、オーストラリアに広がり、戦争と革命、そして経済恐慌、あらゆる動乱のたびごとに膨張して現在に至っているわけだ。
1945年3月、連合軍がライン川を越え、4月にはウィーンがソ連軍に占領された。すでに焦土命令を出して徹底抗戦を命じたヒトラーは、瓦礫(がれき)となったベルリンの総統官邸の地下壕で、前日に結婚式をあげた長年の愛人エバ・ブラウンとともに1945年4月30日、みずからの命を絶った。
彼(ヒットラー)の遺書には、この戦争は自分たちドイツ人が欲したものではなく、ユダヤ人とユダヤ人に奉仕した政治家によって仕組まれたものだったと記されていた。
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