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ドイツがホロコーストを支持するのは、本の戦後の吉田茂の妾外交と同じ芸当である。
下の方に、以下の投稿のやり取りがあった。それへの答えである。
簡略に言うと、「長い物には巻かれろ」である。
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Re:当事者ドイツがホロコーストを支持するのはなぜ?
http://www.asyura2.com/0502/war66/msg/708.html
投稿者 北かばさん 日時 2005 年 1 月 27 日 18:17:44:os0Ldzpsr4MDk
(回答先: もし第2次大戦直後にインターネットがあったらホロコーストのプロパガンダはどうなっていただろうか 投稿者 戦争屋は嫌いだ 日時 2005 年 1 月 27 日 10:00:58)
加害者の自白は、彼を有罪と決めるいまなお有力な証拠だ。ホロ問題につき、当事者であるドイツが「やった」「蒸し返すな」と自白しているのだ。この強力な証拠の前に、世界の人々は、「やったのだ」と認め、この問題を蒸し返す連中や、ましてや否定する連中のことをうんさくさい連中だ、極右だと思ってしまうのは、やむをえない。
ドイツは、どうして、「自白」するのか?
この国は、その憲法で、極右と極左の政党結成を禁じている。いわゆる戦う民主主義である。ホロコーストの加害者を自認(自白)することで、極右(ナチス、とその亜種、さらにはそれらしき右よりのしゅちょうも)の台頭を禁じ、返す刀で、極左の台頭おも禁じる、これを現ドイツ政府は、出来る。言い換えると、言論の自由や結社の自由などの基本的政治的自由を制限する、いや否定する現ドイツ憲法、これが「自白」により正当化される。これが自白のメリットだ。(ドイツ憲法の史的意義、憲法学的意義とは?)
だが、自白を唯一の証拠として、自白者を有罪とすることは出来ない、これが我が日本の憲法の立場であり、その意義は、強制による自白、任意でない自白の禁止、にある。そこで、自白には、客観的証拠が必要になる。これが、ホロ問題では、「ガス室の所在」になる。
ドイツ政府は、自ら、ガス室の所在を証明責任を負っている。この証明なしに、現ドイツ政府が、「自白」のみを続けるなら、それは自国民に対する犯罪的行為になる。
ドイツ国民よ、奮起せよ!
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以下が、わが回答である。私は、すでに10年前、以下のように書いている。
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http://www.jca.apc.org/~altmedka/aus-28.html
アウシュヴィッツの争点』
第3章:発言処罰法という「新たな野蛮」の裏の裏の背景
「権威に弱い独マスコミ」と、ドイツという国の真相
[中略]
元西ドイツ大統領のヴァイツゼッカーが終戦四十周年の一九八五年におこなった演説のくだりは、日本でいささか過剰ぎみの感激をこめて語られている。だが、ドイツ特派員だった五島昭は、「ワイツゼッカー演説の評価」(毎日94・8・14)と題する「論説ノート」で、ワイツゼッカー自身のナチスドイツ軍兵士としての前歴への批判や、「戦後も、ヒトラー政権の外務次官の地位にあった父親の戦争責任裁判で弁護団助手をつとめた経緯があることなどから、同氏の演説の価値を疑問視する声は一部に根強くある」などという事実を紹介している。
その一方で、ヴァイツゼッカー演説を日本に紹介した朝日新聞記者の永井清彦自身が、著書『ヴァイツゼッカー演説の精神』のなかで、つぎのような興味深い事実を紹介している。
「ドイツのイスラエルへの態度について、シオニストではないあるユダヤ人哲学者は『イスラエルに名指しされるたびにドイツ人がひれ伏してしまう傾向』と指摘した」
永井はさらに、ユダヤ人とイスラエル国家にたいする補償の基本となった「イスラエル協定締結交渉の、裏側の事実関係に目を向ける。同時並行で、「マーシャル・プラン」などによる対外債務処理の交渉がおこなわれていたのだが、……
「イスラエルとの交渉と並行してロンドンで進行していた対外債務問題の交渉団長であるヘルマン・J・アプス(のちの連邦銀行総裁)に宛てた、一九五二年四月八日付けのアデナウアー[当時のドイツ首相]書簡」には、つぎの字句があった。
「ユダヤ人の、少なくとも有力者を宥めることに成功したら、対立が続いていく場合よりも、より大がかりな援助を期待しうるものと思う」
アデナウアーと対照される日本の元首相、吉田茂も、アメリカとの関係では「おめかけ外交」という批評がしきりだった。ときには「ひれ伏す」のも、芸の内なのである。
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