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(回答先: Re: 『神話』に乗っては本当の研究と批判はできない、には賛成ですが..... 投稿者 戦争屋は嫌いだ 日時 2005 年 1 月 29 日 01:24:03)
シオニストGuardian:ご指摘、ありがとうございます。ついでに・・・。
●なるほど、the Guardianはそうだったのですか。全く恥ずかしいことに、今まで知りませんでした。もちろん欧州のマスコミは一般的にシオニストにコントロールされていることは承知していますが、the Guardianの具体的な状況については始めて分かりました。ご指摘、ご教授、ありがとうございます。以後、the Guardianを読む場合にはこの「左翼の顔をしたシオニスト」という点に重々注意してかかる必要があるわけですね。またしても無知を暴露してしまいました。
英国のカトリックに関しては、一般の組織率はスペイン以上に凋落しているようですね。スペインでも、文化的・政治的風土の中で根付いているだけにさすがに影響力はいまだに巨大なのですが、毎日曜日教会に行くような人はすでに30%を割っており、カトリック離れの深刻さは、先日の「コンドーム使用を認めるかどうか」で起こったドタバタ劇でも見られるとおり、スペインの教会の中にも分裂を起こしかねないほど進行しています。現在同性愛の結婚や離婚手続きの簡素化などをめぐってサパテロ政権とバチカンが火花を散らしているのですが、これでサパテロ支持が減ってカトリック信者が増えるようなことはまず考えられません。
アメリカでも教会内での児童に対する性的虐待が1万1千件にのぼったり、経済的苦境から「店じまい」をしたカトリック教区が増えており、また同性結婚容認を主張する米国修道女団体がラツィンガー枢機卿(先日次期教皇候補と噂された:オプス・デイに極めて近い)に対して辞職を要求するなど、大揺れ状態です。
【参照:世界キリスト教情報2004/09/06号】
http://www.kohara.ac/church/news/index.htm
チリでも昨年離婚が合法化され世俗主義が根付いていくでしょう。バチカンは2002年の統計でカトリック信徒が10億7千万人に増加(1978年7億5千7百万人)した、と豪語していますがこれは人口増加の激しいアフリカと中南米の話で、特に欧米では聖職者志願者の減少は目を覆う状態のようです。
ただこれはカトリックだけの問題ではなく、昨年の英国内務省の調査で英国聖公会も含めてキリスト教教会に行く人はわずかに7%、ということで、キリスト者と見られる人の多くが、ヨガや占星術に打ち込んでいることも事実だ、ということです。
【参照:世界キリスト教情報2004/05/24号】
http://www.kohara.ac/church/news/index.htm
ただオプス・デイは初めから「下々」を相手にする連中ではなく、「宗産複合体」と呼んでよいほど企業経営と政治的影響力増大を主眼にしており、一般のカトリック信者を増やして動かすことよりも国家の指導的立場を「上から掴み取る」ことが主たる戦略のようです。彼らは彼らの戦略で、英国を実質的に裏から動かす勢力になるための努力をしているのではないか、と思います。ただし、それが本当にうまくいくかどうか、は保証の限りではないのですが。
●ついでに、次の点は非常にデリケートな要素を含むと思われます。
私が「スペインの独裁体制解体と民主化を主体的に進めたのはオプス・デイだった」と語るとき、実は非常な痛みを感じます。
スペインには、左翼や民族主義の立場からフランコ独裁と体を張って戦った人が今でも大勢生きており、彼らは「スペインの民主化は我々の血みどろの苦労の結果なのだ」という自覚と誇りを非常に強く持っています。たとえ穏健右派や王党派との妥協の産物であったにせよ、逆に言えばそこまで敵を妥協させたのは自分たちの戦いの成果だ、という意識です。
私はこれも非常によく分かり、独裁政権の中で拷問と銃殺刑で亡くなった無数の人々の霊に対しては常に最敬礼したい気持ちでいっぱいです。彼らの意識は全く正当なものです。
したがってもしも独裁体制と戦って今日まで生きてきた人たちが「スペインの独裁体制解体と民主化を主体的に進めたのはオプス・デイだった」などという言葉を聞いたならば、これはその戦いに対する、またその中で犠牲になっていった人たちに対する、単なる侮辱の言葉、としてしか、受け取ってもらえないでしょう。またこれは、ファシズムに弾圧されながら戦ってきた世界中の大勢の人々と、その作業を受け継ぐ(と少なくとも主観的には考えている)人々にとっても同様でしょう。
ですから、スペインの中でこのような秘密に気付いた人がいたとしても、あえて公表することははばかられる、つまりタブーになってしまうのでしょう。この点はある意味で「ホロコースト問題」にも共通する面があるのかもしれません。
それを知りながら敢えて私がこのような発言をするのは、もちろん「おかしいものはおかしい」とする私の個人的な性格の問題もありますが、様々な『現代の神話』にしがみついてそこからしか物事を発想できないようでは、再びやすやすと新しいワナに嵌められて新しい『神話』に絡め取られていくだけではないのか、という強い危機感があるからです。
私がこのような探求を続けていくなら、「右」よりもむしろ「左」からの攻撃が厳しくなる可能性があります。しかしこれは、どれほど「損な役割」になったとしても、誰かがやらなければならないことだ、と信じています。