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(回答先: アウシュヴィッツ開放60周年 仏語圏記事 長文(media_francophonie ) 投稿者 kamenoko 日時 2005 年 1 月 25 日 19:28:19)
「ジェノサイド」を造語した大統領補佐官と援助者たち
言葉は情報操作の基本的な要素である。要注意!
以下は、拙著の抜粋である。
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http://www.jca.apc.org/~altmedka/aus-69.html
『アウシュヴィッツの争点』
(その69)世界ユダヤ人評議会の「情報機関」としてのユダヤ人問題研究所
[中略]
「ジェノサイド」を造語した大統領補佐官と援助者たち
一九四二年末、つまり、ユダヤ人問題研究所が「戦争犯罪処罰」を最重要課題にすえた年のくれに、「ホロコースト」物語についての最初の「情報」があらわれる。
ラカーは、「大量虐殺に関する最初の信頼すべき報告は、一九四二年末、スイスのユダヤ人機関の代表からもたらされた」(『ユダヤ人問題とシオニズムの歴史』)としるしている。ナチス・ドイツの占領地域からの脱出者の情報だというのである。
ところが、アーヴィングが執筆した『ロイヒター報告』の序文によると、イギリスの心理戦争委員会(PWE)が、おなじ年の、おそらくその前に、ドイツ人が「ガス室」をつかって何百万人ものユダヤ人と「のぞましくないもの」の虐殺をおこなっているという「プロパガンダ」をながしはじめていた。そして、おそくとも一九四三年の八月にはPWEの責任者が内閣に、つぎのような内容の覚え書きをわたしていた。
「この噂話をながしているが、そのような奇妙なしかけ[ガス室]が存在するという証拠はまるでない。この関係のユダヤ人情報源からの噂話はとくに疑わしいので注意してほしい」
[中略]
「ジェノサイド」という、いまではすっかり定着してしまった単語も、この目的のためにかれらの一員が「発明」したものである。
かれらは、ナチス・ドイツがかれらにたいして「ジェノサイド」をしかけたと主張してきた。手元の英和辞典のこの項目では、「(ある人種・国民などに対する計画的な)大量[集団]虐殺」と説明している。
『ジェノサイドを発明した男』という本の表紙のイラストには、英語辞典のこの項目のコピーがつかわれている。そこでは、「第二次世界大戦後にドイツの戦争犯罪を告発するために初めて使用された言葉」だと説明している。語源の部分には、「一九四四年にラファエル・レムキンがあたらしく造語した」としるされている。ヘブライ語ではなく、ギリシャ語に語根をもとめたこの造語は、ヨーロッパ語を使用する民族の間でいちじるしい成功をおさめた。
発明者のレムキンは、ポーランドからアメリカにわたったユダヤ人で、ニュルンベルグ裁判に「人道にたいする罪」を導入するなどのアメリカの政策決定にも、おおきな影響力を発揮していた。公式経歴では、国際連盟の一部門、刑法統一化のための国際事務局のメンバーとされているが、かくれた部分が非常におおい人物のようである。『ジェノサイドを発明した男』の著者、ジェイムス・J・マーティンがとくに注意をむけているのは、それ以前にレムキンが、ローズヴェルト大統領の戦略機関で外国経済行政の“首席コンサルタント”をつとめており、主として敵国押収資産の配分と将来の所有関係についての実務処理を担当していたという事実である。
しかも、さらに重要なことにはレムキンが造語した「ジェノサイド」は、かれ自身の名による著書によって普及されはじめたのである。
ラッシニエは、このレムキンの著書について、つぎのようにしるしている。
「一五年ほどの歴史調査をへて、わたしはつぎのような結論に到達した。ナチス・ドイツがはじめてガス室におけるユダヤ人の計画的大量虐殺の告発をうけたのは、一九四三年のことであった。最初の恐るべき、忌まわしき告発の著者はポーランドのユダヤ人で、イギリスへの亡命者であり、職業は法律家であり、その名はラファエル・レムキンであった。かれは、その年にイギリスのロンドンで発行した『占領下のヨーロッパにおける枢軸国の支配』と題する本(アメリカ版はニューヨーク/コロンビア大学出版、44)によって、その告発をおこなったのである。その時点では、この本はそれほど注目されなかった。わたしは、一九四三年の一〇月にゲシュタポに逮捕されたが、フランスのレジスタンスのもっとも情報通のグループにも、この本はまだ知られておらず、わたしがはじめてガス室のことをドーラで聞いたのは一九四四年の中頃のことだった。しかし、一九四五年から四六年にかけて、『占領下のヨーロッパにおける枢軸国の支配』は、ニュルンベルグ国際軍事裁判の主要法廷の舞台裏で、すべての会話のトピックになっていた」
一方、『ジェノサイドを発明した男』の著者、マーティンは、『占領下のヨーロッパにおける枢軸国の支配』の出版には「カーネギー財団」の援助があったとし、つぎのような「観察」結果をしるしている。
「ラファエル・レムキンの名前は、『占領下のヨーロッパにおける枢軸国の支配』の表紙を著者として飾っているが、かれの著作の準備には、手強い臨時編成の援助者たちの協力があった。さまざまな重要で戦略的な立場にいた数十人の人々の豊富な援助にたいしての、かれ自身の感謝の言葉そのものが、この本が委員会的な組織の産物であることを推測させるに足る十分な証拠である」
さきにも簡単な経過をしるしたが、「ガス室」情報はすでに一九四二年ごろから流れはじめていたようである。レムキンの名による単行本は、それらの集大成であろう。だが、一冊の本にまとめられた情報というものは、それなりの権威を帯び、ひとり歩きしはじめるものである。マーティンが指摘する「委員会的な組織」はやはり、レムキン自身と同様に「かくれた部分が非常におおい」のであろう。
[後略]
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