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(回答先: 自衛隊イラク派遣:政策に反対の天木・元レバノン大使、講演−−広島・中区/広島[毎日] 投稿者 なるほど 日時 2005 年 1 月 25 日 01:40:53)
Baghdad Burning
バグダードバーニング by リバーベンド
... I'll meet you 'round the bend my friend, where hearts can heal and souls can mend...
友よ、私の心が失われあなたさえ見分けることができなくなったら、どうか私を偉大な文明をはぐくんだ、チグリス・ユーフラテスの胸元に連れて行って欲しい。そこで私は心を癒し、魂を再生させるでしょう。
2005年1月22(土)
暗いイード・・・
きょうは、イードの3日目。イードはイスラム教の祭日で、ふつうなら大家族が集まって食べたり飲んだり、お祝いするとき。今年のイードは違う。今年のイードは、耐えがたい。始まりの日に何とか集まったが、誰もが祝祭気分ではなかった。何回か爆発があった。遠くのものも近くのものもあったが、これすら、日ごと高まっていく緊張に比べれば何ということもない。
6日間、蛇口から一滴の水も出ない。6日間。占領が始まったのは、いつも水不足になる夏だったが、そのときでさえ、庭の水道栓の一つからはちょろちょろと出て、まったく止まってしまうことはなかった。いまは、その蛇口からも出ない。ずっと料理用と飲料水に水を買っている(値段は高騰した)。掃除はあきらめること。イードの間、家をきれいにしておくのが習慣だから、掃除ができないのは、ほんとうにいらいらする。イードが近づくと、モップ、ほうき、雑巾、消毒剤が総動員の大活躍だ。掃除をすると、自分も新しいスタートができるという気になる。家も、その家の住人たちも生まれ変わっていくようだ。今年は違う。皿を洗う水がやっと。入浴は、灯油ストーブで温めた鍋の湯数リットルで間に合わせなくてはならない。
水は平和に似ている――奪われるまで、いかに大切なものか真に知ることはない。流しに近寄り、蛇口をひねって、うなり声だけで何も出てこないと、頭にくる。トイレも使えない。皿は、二人の人間がかりで洗うまで、山積みになっている。一人に水を注いでもらいながら、もう一人が皿をこすり洗うのだ。
どうして、こんなことになったのか。電力事情が悪いせい? もしそうなら、以前そうだったように、1日数時間は、水が出るはずだ。それとも、選挙へ向けての集団処罰みたいなものか? そんなことある? はじめ、この地区だけのことかと思っていた。でも、聞いてみるとほとんど全地区が(全部ではないにしても)この干ばつにあっているらしい。
この国の外にいる人々は、きっと「集団処罰」という言葉を聞くと、信じられないというように首をふるだろう。「リバーベンド、それは違うよ。そんなことありえない」。 しかし、きょうびは何でもありなのだ。多くの地域では人々は、もし選挙に行かなかったら、スンニであれシーアであれ、毎月の配給食料の量を減らすと脅かされている。イラク国民は、90年代の初めからずっとこうして配給を受け続けてきていて、多くの家庭にとっては、主要な生存の糧なのだ。いったい、選びたい人もいないのに強制的に投票させる民主主義って、何?
アラウィとその一派は、数日前、パンフレットを配った。低い位置の蛇口なら出るかと思って、庭に出てみたら、代わりに見つけたのは、庭の門の下に押し込まれた紙切れだった。点検してみるや、占領下イラクに安全と繁栄を最優先で約束しますという、「アラウィに1票を」のたぐいのパンフレットだとわかった。まったくの役立たずだわと思ったが、そうでもなかった。Eが最近飼い始めたインコのかごの下敷きにちょうどぴったり。
ヨルダンとひょっとするとシリアとの国境も閉鎖されているという。きのう、バグダードには入れなくなっていると聞いた。バグダードに入る主要道路には米軍の検問所があって、どこから来た車でも帰されているという。状況は最悪で、いまはこれからの見通しも暗澹としている。
状況がどんどん悪くなっていくと、望みもどんどん小さくなっていくのは、驚くばかりだ。イラクには、それを表したことわざがある。「Ili yishoof il mawt, yirdha bil iskhooneh」。「死ぬんだったら、熱なんてなんでもない」。民主主義、安全、電気でさえあきらめた。水だけ出るようにして。
午後4時19分 リバー
(翻訳 池田真里)
http://www.geocities.jp/riverbendblog/
19cm / 2310円 / 岩波書店
NHKと朝日新聞―2大メディアの病根
北朝鮮をもじって、海老沢会長下のNHKをエビジョンイル体制というのだそうである。それほど独裁、管理、隠蔽が横行しているということであろうか。NHKに限らず、いまジャーナリズムは危機に瀕しているのではないか。日本を代表するリーディングメディアであるNHKと朝日新聞をケーススタディーにして、双方の元記者が組織ジャーナリズムの病根に迫ったのが本書である。
在籍していただけあって、その分析は大変きびしい。とりわけ、NHKの実態は聞きしに勝るものがある。
芸能チーフプロデューサーの着服事件だけではない。ソウル支局長事件、カラ出張など組織の腐敗はひどすぎる。さらに政治との癒着、あるいはイラク戦争の報道のあり方。後者の例でいえば、取材に出かけながら、バグダッド攻撃を前に、NHKのみならず、日本のマスメディアの記者やカメラマンが、全部、現地からいなくなってしまった。
しかし、世界の報道機関の多くは踏みとどまった。新聞社や通信社はもちろん、国営放送であるイギリスのBBCのほか、フランスの国営放送、ドイツのZDFなど大手の放送局のジャーナリストも残った。それでも民放はまだ現地のフリージャーナリストと契約し、現場のリポートを送ったが、NHKは一切せず、さらにほとんどの情報をアメリカに頼っている。批判なしに、米軍発表を忠実にフォローするのもNHKだけであるという。あまりのNHKのひどさに目がついそちらばかり向いてしまうが、朝日新聞も相当危ない。とりわけ、経営陣には問題点が多すぎる。また、くわしく紹介できないが、広告や印刷をとおしての創価学会のメディア支配も見逃せない。漫然とテレビや新聞を見ているだけでは済まない時代になってきた。
〈申〉