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(回答先: 大規模集団洗脳の現場報告(1)3.11判事、涙の名演技:被害者が加害者に作りかえられる瞬間 投稿者 バルセロナより愛を込めて 日時 2005 年 2 月 07 日 06:47:56)
外野さんへ、そして「肯定論支持者」の皆様へ。史上最大の集団洗脳『ホロコースト』について。
これは上に投稿した『大規模集団洗脳の現場報告(1)3.11判事、涙の名演技:被害者が加害者に作りかえられる瞬間』と一体のものです。非常に長文ですが、レスをいただく場合には、どうか最後までじっくりとお読みください。
[初めに]
私は、いわゆるガス室があったか無かったか、などといった論争に加わるだけの資格を持ちません。アウシュビッツとガス室に関して、自分の足と目を使って数多くの資料を集め、それを元に自分の思考で結論を見つける、といった経験を持っていないからです。
従って「ガス室に関する事実関係」については否が応でも他人の受け売りしかできません。「あった」派の研究にも「無かった」派の研究にも目を通していますが、日本語で書かれたり翻訳されているものだけでもほんの一部をかじった程度に過ぎません。また私の残りの人生で日本語資料はおろか膨大な英語資料のすべてに目を通すことなどできるわけも無く、超豊富な知識量を誇る人々との「有る・無し」論争など、到底かなわぬことです。
しかしながら、もしも私などには到底手の届かない知識量を誇る人たちから「知らない者は黙って俺に従え」と言われたとしたら、それは私のような非知識人にとっては脅迫でしかなく、私が主体的に感じ、考え、情報を選び取って、態度を決めていく、という私の人間としての最低の権利に対する圧殺でしかないわけです。少なくとも私は「疑う権利」を持っており、「何を信用しないのか」を自ら決める権利は持っていますし、それは死守します。
例えば現在私の住んでいる国で、目の前で繰り広げられている状況に関しては、上に書いた『大規模集団洗脳の現場報告(1)』で述べていますが、私は情報の多くをこちらのテレビや新聞(主にインターネット版)から仕入れており、その情報について「不自然じゃないか」「おかしいじゃないか」と思い「これはおかしい」と言い続けているわけです。
過去の歴史に関しましても、例えばメイン号事件ですね。これは以前私が阿修羅に投稿したこともありました。
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http://www.asyura2.com/0406/bd37/msg/286.html
投稿者 バルセロナより愛を込めて 日時 2004 年 10 月 01 日 09:35:49:
スペインは米国の謀略テロ被害者第1号だった:メイン号事件から9.11へ
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これなんぞは歴史の専門の研究家から見たら、資料の検証や理論的な詰め方などは吹きだす程度のレベルでしょう。しかし「不自然なおかしなもの」に対しては「おかしい」と声を上げる私の基本的な姿勢だけは表現できていると思っています。
私の書いているものなど、もちろん「学問的な資料」としては無価値でしょう。私はそれでかまわない。ただ「不自然なおかしなもの」を見て「おかしいじゃないか」と声を上げる人が増えることが、少しでもましな世界を作ることになるのではないか、と信じて、自分をさらし者にしているだけです。
[報道と裁判と洗脳]
上に投稿した『大規模集団洗脳の現場報告(1)3・11判事、涙の名演技:被害者が加害者に作りかえられる瞬間』でも書きましたが、一つの事件とその報道のされ方、そしてその結果生み出されるものについて、重大な疑問を持たざるを得ない場合が多々あるわけです。世界を揺るがす大事件ほどそこに「不自然なおかしなもの」を発見することが多いと言えます。メイン号事件などももちろんそうですが、湾岸戦争の際の油まみれの鳥の写真、バルカン・コソボ「紛争」での虚偽報道、そしてそれらに誘導されて「善」と「悪」をいとも簡単に決めてしまう「世論」なるものについて、これって要するに実に効率の良い洗脳じゃないのか?と考えざるを得ないわけです。
特にこれに裁判が絡みますと強烈な効果を発揮します。9・11については未だにロクな裁判も開かれずに、米国人による極めて一方的な断定だけが「社会による判決」として通用していますが、3・11はさすがに9・11の「完結編」だけあって、裁判所が『善悪』の判断を完全に決めてしまうでしょう。そしてこれは明らかに「対イスラム・テロ戦争」「一つの世界秩序作り」という政治目的に沿った世論操作、つまり大規模集団洗脳につながっていくものです。「おかしなことだらけ」が「おかしくない」として通用させられてしまう。『金力、権力、情報力の三位一体神』は、あらゆる嘘とデタラメを「真実」に作り変える。裁判所は一つの『神話』をでっち上げ、その『神話』の構造が繰り返し繰り返し人々の脳ミソに刷り込まれ、自ら考え疑う心を奪い取っていきます。
現在進行中のバルカン・コソボ「紛争」裁判でも同様で、「セルビア=悪、NATO=善」の方程式の中で、劣化ウラン弾を含めたNATO軍の暴虐が見事に正当化されていくわけで、この方程式が『神話』として定着させられていきます。今から始まるサダム・フセインの裁判でもそうですし、ピノチェットやビデラなどの南米の元軍事独裁者の裁判も同様ですが、『大規模集団洗脳の現場報告(1)』で私が書いたとおり、これらの裁判はとんでもない茶番、マヤカシ、ペテンに過ぎません。これらの裁判は、真相を隠すだけでなく、新たな『神話』を作り出して世界の人間に大規模集団洗脳を施す『司令部』なのです。そしてマスコミが『大規模集団洗脳媒体』として機能します。こういった裁判を、こそ泥や一般の傷害事件、あるいは民事での裁判と同一視するべきではありません。
[東京・ニュルンベルグ裁判の『神話』]
さて第2次大戦後の裁判のうち、東京裁判がマヤカシ・ペテン裁判に過ぎないことは明らかでしょう。戦争の開始と遂行に最も責任のある天皇と皇族を有罪どころか被告リストからも外し、東条や広田などのごく一部の戦争遂行者だけを人身御供として血祭りに上げて「軍国主義の終了」を告げ、岸や児玉などの極悪人はすぐに釈放して「冷戦」遂行に利用する、そして、この点が最も肝心なのですが、東京裁判の結果作られたのが「平和天皇をシンボルとする平和国家日本」という『神話』の捏造です。実際には似非独立国家でしかないのですが、軍服姿の天皇と皇族がサッサと背広に着替えて「平和国家のシンボル」となっちゃうわけです。こんなマヤカシ・ペテンを出発点にした国家で、マッカーサーと皇室と吉田茂の掛け合いの果てに作られた『平和日本の神話』の中で、私は何十年も生きてきたわけです。現在、遠くはなれてやや冷ややかな目で祖国を眺めながら、改めてその観を強くします。
同様のマヤカシ・ペテンはニュルンベルグ裁判でも例外ではなく、ナチの重要幹部はすでに米国とバチカンの全面協力で世界各地に逃亡しており(ヒトラー自身も、という説もある)、ゲーレンなどの優秀な諜報員やフォン・ブラウンなどの科学者は米国から厚遇を受け、ごく一部の利用価値の薄い者だけが人身御供として供されたわけです。もちろんナチを作り育てたロスチャイルドやロックフェラー、フォード、ブッシュ、ハリマンなどの英・米・ユダヤの資本にはお咎めのあろうはずも無い。彼らと密接に結びつくドイツ資本家も同様。同時に、ナチと一緒に育ちナチと協力しお互いに利用しあって肥え太ったシオニストたちについても、一言の言及もありません。ちょうど東京裁判で天皇と皇族の戦争責任だけは避けたように、最大の戦争責任者とその同伴者に対する追及は一切無し。これがマヤカシ・ペテンといわずに何でしょうか。
【ナチとシオニストの関係については、どうかご自分のためにご自分でお調べください。さすがにこればかりは本物のネオナチなら一言も言えないでしょう。ただし、ADLとその同調者あたりによって無茶苦茶な「ネオナチ」キャンペーンをはられて個人攻撃され社会的抹殺を図られている人物もいます。誰がその人を「ネオナチ」と呼んでいるのか、注意深く観察した方が良いでしょう。ただシオニズムの成長がユダヤ人に対する迫害を必要としたことは、シオニスト自身がほぼ公式に認めていますし、シオニストがナチスと協力して一般ユダヤ人の迫害に狂奔したり、シオニストが自ら一般ユダヤ人を迫害・虐殺したことについては、非ユダヤ人だけでなくユダヤ人内部からの告発も多々あります。どうかご自分でお調べください。】
[私がなぜ『ホロコースト』を否定するのか]
さてところで、このニュルンベルグ裁判だけは、ごくごく例外的に『神話』を作らなかったのでしょうか。これについて何も触れない人の言うことなど、どれほど精緻を極めどれほど理論的に正しくとも、私は一切信用しません。
私の「おかしいじゃないか」という直感を誤魔化すことは無理です。いわずもがなの『ホロコースト』です。というより、もっと大きな意味で『人道に対する罪』という「悪」の規定です。私は、ニュルンベルグ裁判のマヤカシ・ペテンの最たるものはこの『人道に対する罪』の規定で、そのシンボルが『ホロコースト』だ、と考えます。ちょうど『平和国家日本』のシンボルが『平和を愛する天皇』であるように。
当然ですが、私はユダヤ人に対する大規模な組織的迫害が無かった、などとデタラメを言うつもりはありません。財産の略奪はもちろん、奴隷労働、無差別な殺害、強姦と陵辱、さまざまな人体実験、集中キャンプの中での過酷で不潔な生活による大量の病死など、これはジプシーや共産主義者、社会主義者、自由主義者、同性愛者なども同様の運命をたどったのですが、人非人の所業としか言いようの無い残虐行為であったと断定します。
しかしこの『人道に対する罪』という言葉は、一体何なのでしょうね。ヒロシマやナガサキで使われた形跡は無い、イスラエルのパレスチナ人に対する略奪・虐殺に対しても使われたことは無い、米国のベトナムでの大虐殺にも使われなかったし、現在のイラクやグアンタナモでも使われる予定はなさそうです。(個人、あるいは小規模な団体による使用は別として。)ただし米国系団体と米国のスーダン政府への非難に使われたようですし、どうやらミロセビッチには使われるようです。何なのでしょうか、これは。
私は、これは明白にそのシンボルである『ホロコースト』に根本的な理由があると考えています。天皇が軍服を背広に着替えて『平和日本』のシンボルとなったように、ナチスとシオニストによる大規模なユダヤ人への組織的迫害が、スルリと衣替えして『人道に対する罪』=『ホロコースト』として作り変えられ、シオニストユダヤとその同調者のみにその使用権が与えられている、これが第2次大戦後の最大のマヤカシ・ペテンとして世界を呪縛している、としか考えられません。
ナチと協力して一般ユダヤ人を迫害・虐殺し、あのマヤカシ・ペテン国家であるイスラエル建国の野望を果たしたシオニスト(およびそれを支える米・英・ユダヤの資本)が、ナチがユダヤ人に対して行ったのと同様にパレスチナ人を迫害・虐殺することは、極めて筋が通り極めて自然のことです。そしてそれに対する世界中の非難を封じ、欧米各国を逆らえないように縛り付け、ドイツとオーストリアから資金を巻き上げる目的で、ナチとシオニストによるユダヤ人迫害を、変容させ捏造した『神話』こそが『ホロコースト』に他ならない、と私は確信します。その結果世界各地で「ホロコースト産業」が大いに潤う、という副産物も生んでいます。
たまたまホロコーストがあったからうまくそれを利用している、などという理屈は信用できません。ロスチャイルド、英米政府、シオニストにとってイスラエルの建国は第2次大戦前からの事実上の決定事項であり、シオニストとそれを支える英・米・ユダヤ巨大資本(ナチを産み育てた!)が、アラブ人が大勢住んでいる所に国を作ればどうなるのか、そこに人工的に国を作り維持することがどれほど困難で費用がかかる大事業であるのか、を予想できなかったほど頭が悪かった、とでもいうのでしょうか。
実際に『ホロコースト』を否定されて最もヒステリックになるのは、こういった「受益者」たちでしょう。これがこのペテンの最たる証明です。彼らはこのマヤカシ・ペテンがばれてイスラエルの存在理由と利益を失うことを心底恐れているのです。それを守るためには謀略でも社会的抹殺でも人殺しでも何でもやるでしょう。冷静に彼らの言動をご観察ください。彼らが「正直者」だと思いますか。シオニストと深い親交がありアウシュビッツを最も良く知るアイヒマンを、全力をあげて探し出しさっさと殺してしまったことが、逆に彼らの正体をさらけ出しています。
もちろん、「これではガス室が無かったという根拠にはならないじゃないか」「数多くのガス室の証拠があるじゃないか」と言われることは分かっています。ただ、はっきり言いまして、証拠や証言などは『金力・権力・情報力』を手にする者にとっては造作も無く作り上げることができる、『金力、権力、情報力の三位一体神』は、あらゆる嘘とデタラメを「真実」に作り変える、このことは現在私の目の前で繰り広げられている事態の中で、私の神経に刻み込まれていることです。
「そんな乱暴な!」と言われることも覚悟しています。しかし「証拠があって筋が通っているから信じる」というのもまた同様に「乱暴」ではないですか。その「証拠」なるものが本当に信用できるものかどうか、私には確かめようがありません。私は何に対しても疑います。歴史の探求は自然科学とは異なり実験によって確認できるものではありません。一つの事柄がどのような意図によってどのように成し遂げられたものか、は、その以前にどのような動きがあり、それ以降誰によってどのようにそれが利用され、どのようなことが流布され、どのようなことが隠蔽されてきたのか、の検証によってしか、判断できないものである、と思っています。
知性や論理というもの自体はニュートラルであり、優れた知性や論理は強力な武器になります。だから「理屈と膏薬はどこにでも張り付く」というのです。問題は、その知性や論理を信用するかしないか、ではなく、その知性や論理という武器がどこに置かれてどこに向けられているのか、ということです。私は、数々の証拠を挙げて精緻を極めた理論で武装している、というだけで、それを信用するようなお人好しではありません。
シオニスト=イスラエルという基地の中に置かれ、世界中の人間に向けられる「知性や論理という武器」を私は決して信用しない。同様の方向性を持つ世界中の非ユダヤ人の知性や論理を私は絶対に信用しないし、憎悪し軽蔑します。(ただし参考にはします。)そしてそれに警告を発する人の知性と論理は尊重します。(信じるのではありません!ご注意を!あくまでも自分の頭で考える参考にするだけです。)
再度申しますが、世界を揺るがし歴史的な動きに影響を与えるような裁判を、こそ泥や一般の事件における裁判と同一視してはなりません。こそ泥事件での証拠と、そのような政治的意図が絡む裁判での「証拠」は全く意味が異なるのです。これがどうしても分からないような人とは、私は話しもしたくありません。
以上のことから、私は「このホロコーストこそは、ナチ・シオニスト連合によってなされたユダヤ人迫害が、ニュルンベルグのペテン裁判で変容させられ『神話化』された、史上最大の大規模集団洗脳である」と確信します。
[被害者?加害者?]
「被害者」を強調するのは、何もユダヤ人だけの特徴ではありません。ずいぶんと昔の話ですが、私はカトリック系の中学に通っていました。バチカン第2公会議の以前ですので「近代化されたカトリック」以前の伝統的な姿をよく覚えています。その学校でカトリック布教のための行事が行われたのですが、そこで「な、何だ、これは!」と肝をつぶした事がありました。一つの部屋で日本でのキリスト教の歴史を紹介していたのですが、そこにあるのは、キリスト教徒がいかに数多くむごたらしく弾圧され殺されてきたのか、を強調する数多くの絵と説明が、これでもかこれでもかと貼られていたのです。「我々はこれほどにひどい弾圧を受けてきた被害者なのだ。異教徒どもよ。お前たちは野蛮な弾圧者、加害者の子孫なのだ。悔い改めて改宗しないと地獄へ堕ちるぞ。」とでも語っているかのような、目を剥くような強烈な絵ばかりでした。
さすがに現在ではこのような手を使っての布教はしないでしょうが、当時はこれがローマ教会の方針だったようです。確かにキリスト教徒たちは日本で非常に激しい弾圧を受けました。しかし、実際には彼らは植民地化の尖兵であり、数多くの日本人を奴隷として、特に性の奴隷として欧州や植民地に売り飛ばし、神社仏閣を焼き払い僧侶を殺害してきたわけです。世界規模で見た場合には何の説明の必要も無いでしょう。
自分たちが歴史の、加害者であることを隠して、「被害者」であることだけを強調し、「加害者」の子孫を支配し従属させるこの卑劣な手法は、伝統的カトリックの特徴なのでしょう。その行事では日本での迫害以外に、ローマ帝国の数々の弾圧を描いた絵と解説、それにもめげずに信仰を広めたキリスト教徒の姿を紹介した資料などが、所狭しと並んでいました。スペインの教会の宝物館や美術館の中世美術の部屋には、「こいつら、SM趣味か」と思うほどのカトリックの聖人たちに対する拷問と殺害の絵であふれています。
そもそも教祖のイエス・キリスト自身が「人類の罪」を背負って貼り付けにされた「神の子」、歴史最大の「被害者」。その教祖と迫害の「被害者」である聖人たちに帰依し一体化することは、その「被害」を自らのものにしていくことでもあります。子供のころから無言のうちに刷り込まれる被害者意識は、団結の元になると同時に異教徒に対する残虐さに容易に転化していきます。そして地獄へ堕ちる恐怖がもはやそこから離れられなくさせてしまうのでしょう。
「被害者」を強調するこのような手口は、ユダヤ教徒というよりはむしろキリスト教徒にこそ、その起源を求めるべきでしょう。2001年の9・11の直後、たまたま読んだ日経新聞欧州版の記事に、一人のアメリカ女性が「おお神よ。どうしてアメリカだけがこんなに苦しまなければならないのでしょうか。」と叫んだ、という内容の記事が載っていたことを思い出します。アメリカだけが!!?? 自分たちがベトナムに対して、パレスチナに対して、イラクに対して、ユーゴスラビアに対して、紛れも無い加害者であったことはケシ粒ほども心に無く、「自分たちだけが被害者なのだ」と叫ぶこのド神経! しかしこれこそがキリスト教の深奥に隠された秘密なのでしょう。
シオニストたちは、ユダヤ教の教義もあったのでしょうが、むしろこのキリスト教徒の手法を学んだのかもしれません。あるいは、ひょっとしたら本当の『神話作り』の仕掛け人はキリスト教徒なのかもしれません。
大規模な集団洗脳を施す際には、まず被害者を作ること、次に恐怖と怒りを掻き立てて被害者以外の人間を被害者の回りに誘導し従わせることが続くでしょう。そして、最もたちが悪いことは、「被害者の味方」となることによって自分の立場を作り強化し、他を屈服させようとする人間の登場です。最初は単純な恐怖と義憤からなのでしょうが、それによって自らの立場を作り上げた瞬間、それを失うことへの恐怖感も伴って、もはやその地位から離れることが不可能になる。そして次々と洗脳作業に従事する以外にできなくなる。いま私の目の前で繰り広げられていることです。そして日本でもこの種の人間たちが大学教授や評論家として社会的地位を作り、懸命に新たな洗脳作業に突っ走るわけです。これが、私が最も軽蔑する種類の人間なのです。
私は以前いわゆる「左翼」と呼ばれる範疇に属していましたので、「抑圧される人民」の「味方度」を競ういやらしさには反吐が出るほど付き合わされました。「もう二度と御免だ」とそこから離れ、最終的には日本を飛び出しました。だから今のスペインと世界の状況については非常に敏感にその異常さを感じ取ることができるのです。
言うまでも無く、『ホロコースト』が「歴史的事実である」と信じて疑わない人たちは上記の人たちです。この人たちは他の出来事に関しても驚くほどマスコミの誘導に乗ってきますね。例えば、この種の人たちが9・11や3・11を根本的に疑う発言をしているのを、私は見たことが無いのですが。まあ、真っ先に洗脳されて、他人に強制的に同じ洗脳を施すような生き方しかできないのでしょう。これが私の言う「脳細胞を破壊された田吾作知識人」です。(知能指数だけは高い。だから余計たちが悪い。)
ただし、阿修羅投稿者の中には、このような人は少ないでしょう。「肯定論支持者」といっても、その多くがこんなたちの悪い知識人の理屈をうかつにも信じ込んでいるだけだと思います。
[ユダヤ人]
私はユダヤ人には大きく分けて3種類いると思います。一つ目はロスチャイルドを筆頭とする支配者たちです。日本にかかわりが深いとすれば、例えば日露戦争で日本に多額の「援助(実際には投資)」をしたヤコブ・シフが有名ですね。ユダヤ人を敵視するロシアに被害を与えるため、という面もあったでしょうが、その資金力と政治力で戦争をたきつけ、その結果、多数の両国の兵士たちが命を落としたわけです。これが日本にとって良かったのか悪かったのか、の議論はさておき、彼らは政治あるいは経済的目的のために、国々を誘導し戦争を煽ることを普通のことと心得ています。私は残念ながらまだこの種のユダヤ人とは知り合っていません。
第2には、被支配階級で、迫害に対する怯えを常に心の奥に持ち続け、実際には何の関わりの無いことにでも細かく反応して「人種主義者のユダヤ人に対する嫌がらせだ」と叫ぶタイプです。私が知り合った中にもいます。こういう人は苦も無く囲い込まれ誘導されていくでしょう。この人たちに対しては、今の所、何もしてやることはできません。ある地点からはもう筋道など通らなくなってくるからです。
第3に、やはり被支配階級ですが、被害者意識は薄くできる限り現在住んでいるところに溶け込もうとして努力するタイプで、ユダヤ教にもほとんど関心が無い、一人の人間として誠実に生きることを心がける人々です。私の知り合いにもいます。ただ彼らにしても「ユダヤ人だ」ということでの圧迫に対する恐怖が無いわけではなく、私が日本人だからかなり安心してユダヤ人であることを明かして付き合っています。しかし私はできる限りあまり微妙な話はこっちからはしないようにしています。彼らが自ら言い出せば別ですが。
しかし私は、「私はあなた方かわいそうな人たちの味方だ(思ってもいませんが)」などという態度は、決して彼らには取りません。第2のタイプの人たちはここを先途とばかりにこっちを巻き込みにかかりますし、第3のタイプの人たちにとっては迷惑な話でしょう。彼らは自立していますから、逆に「何か意図があるんじゃないのか」と疑うことになると思います。お互いにここでは「異邦人」の立場ですから、助け合うときには助け合いますし、他のことにはお互いに一切入り込みません。これでいい、と思っています。
[最後に]
以上です。それにしても、日本とイスラエルは第2次大戦後に作られた『神話』で支えられているペテン・マヤカシ国家という共通点を持っているようです。そういえば報道の自由度も同じくらいに低いようですし。(イスラエルの方がもうちょっと低かったかな。)国家はみな『神話』を持ちマヤカシの部分があるのですが、この二つの国は特に強烈だな、という感じがします。
私は根っからの個人主義者ですから、他人に考えを押し付けられることは大嫌いですし、自分の考えを他人に押し付けることもしません。ただし他人から触発を受ける事はあります。私から触発を受ける人がいてもいなくても、それで結構。私に対して何をどう思っていただいてもそれはそれで結構で、私は私の発言をするのみです。自分が何を発見し何を思い何を語りそれがどう変わっていくのか、は、結局はすべて個人の作業であり責任ですから。(まあ、こんな自分勝手な性格しているから、日本人の中よりもスペイン人の中での方が住みやすいのですがね。)