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アメリカ-CIA-ナチ
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投稿者 外野 日時 2005 年 2 月 03 日 23:19:49: XZP4hFjFHTtWY

(回答先: 米議員、CIAに旧ナチス関係資料の公表を要求  (ロイター) 投稿者 外野 日時 2005 年 2 月 03 日 23:18:56)


 アメリカ-CIA-ナチ

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 【ソ連】

 『超陰謀・60の真実/ジョナサン・バンキン−ジョン・ウェイレン共著』より

 (中略)
 戦後早い時期には、CIAの東ヨーロッパにおける対ソ情報はすべてゲーレンによって管理・統括されていた。ときには、ゲーレンの報告がCIAの用紙にそのままタイプし直され、トルーマンの手に渡ることもあった。ゲーレンはNATO(北大西洋条約機構)の情報や戦略にも多大な影響を及ぼす。ある推計によれば、NATOが有するソ連、東ヨーロッパおよび全ヨーロッパの情報のうち70%は、この大物スパイが提供したものだという。
 要するに、USSRに対する西側の安全保障は、元ナチスが統括する活動から生み出される情報に完全に依存していたということだ−−−−−しかも、こうした情報にはデマも多分に混じっていた。
 クリストファー・シンプソンは、アメリカのナチス雇用問題を如実に描いた著書「逆輸入された偽情報」(Blowback)の中で、ゲーレンの過大報告は冷戦時の米ソ間緊張に拍車をかけたと述べている。「ゲーレンはアメリカ陸軍情報部や後のCIAに不吉な報告を繰り返した。アメリカはその報告を理由に軍事予算引き上げを正当化、米ソの対立がいっそう高まった」とシンプソンは書いている。
 ソ連が攻撃してくるのは時間の問題、というゲーレンの過大報告−−−−本当はそのころ、ロシア人たちはまだ戦争の傷痕を癒していた−−−−により、一触即発の戦争危機が何度も訪れた。ゲーレンの伝記を書いたE・H・クックリッジ他によれば、1948年、アメリカはソ連が西側に攻撃を加えようとしているというゲーレンの言葉を、危うく信じ込むところだった。ゲーレンは西側から先制攻撃を仕掛けるのが得策、と助言していたから。その後1950年代になると、ゲーレンはアメリカよりもソ連のほうが軍備の面で勝っているというデマを流し、いわゆるミサイル・ギャップの不安を煽り、反共感情を熱狂的なレベルにまで高めるのに一役買った。
「ゲーレンは(CIAの)お気に入りだった。こちらの知りたいことを教えてくれたから」と元CIA局員ヴィクター・マーケイティはシンプソンに話している。「われわれは彼の機関をよく利用し、その情報をあちこちにばらまいた。ペンタゴン、ホワイトハウス、新聞などに。その情報は誰からも歓迎された。しかしそのおかげで、ソ連は化け物だというくだらない話ができあがってしまった。それは我が国に多大な悪影響を与えることになった」
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 【イスラエル パレスチナ】

 『超陰謀』ジョナサン・バンキン著より

 [ナチ科学者を主要産業に移植したアメリカ]

 (中略)
「ナチス・ドイツが生んだ大きな革新は、科学技術と魔法を混ぜることだった」
 アメリカ・ソビエト両政府は、そのおいしい混合物を味わいたがった。ヒットラーを無事やっつけると、彼らはナチ科学者の力を得ようと猛烈に競争した。アメリカは、同盟国の情報機関によって「安全保障に対する潜在的な脅威」とかつて述べられた、ロケット科学者にして元ナチス親衛隊少佐ウエルナー・フォン・ブラウンのようなナチ党員から全面協力を得るなど、ソ連より成功したように思われる。政府は、フォン・ブラウンの戦時記録を洗浄し、アメリカに彼を連れて来て、諸々のプロジェクトで彼を働かせた。その一つの項点が、二ール・アームストロングとアポロ11号乗組員を月まで送り込んだブースターであるサターン5型ロケットである。
 フォン・ブラウンは、戦後輸入されたナチ科学者の中で最も有名だった。科学者たちの大部分は「熱心なナチ党員」だったと政府は述べている。しかし、そうしたけなし文句はファイルから抹消された。アメリカの戦争体制を組み立てるため、ぺーパークリップ作戦(科学者に関する秘密ファイルが、日常品であるぺーパークリップによって区分されていたのでそのように名づけられた)は、超自然とも映ったドイツ人専門知識の力を借りたのである。ぺーパークリップ・ボーイズは、産軍複合体にとっての精髄だった。
 一方、新設なったCIAは、ナチス親衛隊でスパイの親玉格だったラインハルト・ゲーレンや「ヒットラーお気に入りのコマンドー」だったオットー・「スカーフェイス(顔に傷跡のある)」・スコルツェニーらのリクルートに余念がなかった。合衆国情報部を隠れ蓑にして、この両人およびその子分は、第三帝国の理想を生かし続け第四帝国への道を開くにあたって誰よりより多くのことをなした。ゲーレンは情報機関の情報を操作して、ソビエトをこれ以上ないというほど最悪に描き出した。CIA内の協力者とともに、彼は冷戦を始め、それを維持した。
 ゲーレンがアメリカ政府を---そしてアメリカ人の世論をフルートのように操っていた一方で、スコルツェニーは世界を舞台に飛びまわった。彼は南アメリカ大陸でナチ勢力の基地を作ったが、これが同大陸で数々の独裁政権を育むこととなったのだ。
 スコルツェニーは、中東のためにも同様の親切な行いを施した。ガメル・アブデル・ナセルは、スコルツェニーと元ナチ突撃隊員のエリート団体からの援助によって、エジプトにおける権力の座についた。どこまでもよきナチ党員であり続けたスコルツェニーは、ユダヤ人抹殺というねじ曲がった夢を見ることを決してあきらめなかった。最初期のパレスチナ人テロリスト・グループを設立したのは彼で、それらを訓練し、イスラエル急襲のためそこのコマンドーを送り込んだのも彼である。アメリカによる支援の賜物である、この醜いナチ党員の冒険精神がもしなければ、中東は過去40年間そうであったよりもはるかに安定した場所だっただろう。
 新聖堂騎士団に始まって、トゥーレ協会、ナチス親衛隊、CIA、そしてPLOに至るまで、政府と秘密結社との交わりは、我々の世界を不安定に、そして恐怖すべき場所にし続けるのである。ナチの陰謀はかくして継続していく。
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 [世界の秘密結社とネットワークを結ぶCIA]

 (中略)
 勢力のある秘密結社の名簿を繰ってCIAタイプの人間をリスト・アップしていけば切りがないようだ。マルタの騎士団の一派の中でひときわ目立つのがラインハルト・ゲーレン将軍である。ゲーレンはナチの大物スパイだったが戦後転身して事実上CIAの設立者になった。彼が持っていたナチの反ソビエト諜報網はほとんどそのままの形でアメリカの情報界に移された。「彼はこちら側の人間である。肝心なのはそのことだけだ」とCIA長官アレン・ダレスは語った。
 こうした栄誉をゲーレンや他のナチ幹部たちに与えてしまったことによって、冷戦は計り知れないほど悪化し、第三次世界大戦の引き金が引かれる寸前までいったのである。著述家のクリストファー・シンプソンが指摘するには、ゲーレンやその同僚である戦争犯罪者・突撃隊員らを雇い入れたこと自体が「冷戦を著しくエスカレートさせる行為だった」。もっと重要なのは、ゲーレンの情勢報告はソビエトの「脅威」を組織的に誇張し、ソビエト連邦の軍事的意図やアメリカ国内での共産主義「破壊活動」に関するアメリカ人のパラノイアを煽りたてたということである。
「ゲーレンの情報網が我が国に提供したのは、東西関係を悪化させアメリカとソ連の軍事紛争の可能性を高めるよう特に的を絞った情報だけだったのです」と脱ナチ化推進協会の力ール・オグルズビーは言う。誰が見ても非民主的なゲーレンの「オルグ(機関)」はアメリカの民主的社会機構を「計り知れないほど弱体化させる」ように働いた、とオグルズビーは付け加える。
 悔い改めるということを知らないナチ党員らの影響がCIAの哲学や方法論をどのように形作っていたかは誰もわからない。「法律面から見たCIAの実体はともかくとして、実際の情報収集という見地からは、ナチ・スパイの巣にとっての出先組織であることにずっと変わりはなかった」とオグルズビーは述べている。
 CIAとナチスとの関わりはゲーレンのみにとどまらず、もう一つの有力な秘密結社にまで枝を伸ばしていった---髑髏の結社、すなわち親衛隊(SS)がそれである。SSはナチの警察隊とか弾圧部隊とかいう以上の存在だ。それは指導者ハインリッヒ・ヒムラーによってエリート主義の騎士団を目標に創設されたのである。神秘的な儀式、誓い、組織内のランク付け(階梯)が設けられていた---すなわち秘密結社のトレードマークを備えていたのである。
 何百人、ことによると何千人ものSSメンバーたちが戦後CIAの作戦を担った。最も名が通っているのはオットー・スコルツェニーだった。危険度の高いナチの冒険的作戦で活躍した大男で、ドイツでは「ヒットラーお気に入りのコマンドー」として知られている。1950年代、スコルツェニーはエジプトでCIAのために働いた。エジプトの警備隊を訓練しソビエトの脅威から同国を守るという名目で派遣されたのだ。
 スコルツェニーは、エジプトの「警備隊」におよそ一〇〇人の元SSメンバーやネオナチの人間を登用した。エジプトでのスコルツェニーのめちゃくちゃなやり方が一因となって、中東の中でも一段と血生臭い戦争だったスエズ危機の引き金が引かれたのである。CIAは、≪スカーフェイス(顔面の傷)≫スコルツェニー(スコルツェニーの顔には無気味な喧嘩の傷跡があった)のナチ化計画を容認する一方、中東でソビエトを食い止めるためにもう一人の元SSメンバーに給料を払っていた。アロア・ブラナー ---アドルフ・アイヒマンの無鉄砲な片腕で一二万八五〇〇人の殺害に責任を負うと言われる男である。
 ゲーレン、スコルツェニー、ブラナーおよび彼らと同類のナチたちを快く迎えた張本人はダレスだった。第二次大戦前、ダレスの法律事務所はナチス・ドイツで手広く仕事をしており、日を追って鮮明になっていくヒットラーの政策にたいして驚くほど無頓着な姿勢を示していた。
 さらに、1950年代初期のことだが、親ナチ企業の国際電話電信会社(ITT)を「立ち直らせて」南アメリカでのCIA要員の受け入れ先としたのも恐らくダレスであろう。1970年、CIAはITTのためにチリを確保しようとする。そして73年、クーデターを起こして大統領選当選者のサルバドール・アジェンデを暗殺したのである。
「情報機関は陰謀を行う絶好の道具である」とかつて語ったのも結局ダレスだった。
 共産主義者は悪者、だがユダヤ人はもっと悪者とするのがスコルツェニーら筋金入りのナチである。エジプト時代、スコルツェニー自身が最初のパレスチナ・テロ・グループを訓練したこともある。そうしたグループの末裔が今日も中東で狼籍を働いている。
 CIAは極東でも秘密結社とはち含わせをしている。国際的なアヘン密輸業者と手を結んで行った黄金の三角地帯での作戦を通じて、マフィアに相当するアジアの秘密結社「三合会」と袂を接している。
 さらにはおよそ考えられないようなつながりまで存在する。
 フリーメーソンを取材することを専門としていたイギリスの調査報道記者、故スティーブン・ナイトがリチオ・ジェリがソ連におけるCIAの分身とも言えるKGBのためにも働いていたと考えていた。ジェリのような筋金入りのファシストがソビエトになびくなどとはちょっと信じられないが、戦後多くの共産党員と接触を持ったと言われていることは事実である。ジェリはまず第一に戦争を生き延びた男であり、ファシストとしての顔は第二だったのだ。ナイトの言うには、KGBは多くの国々でフリーメーソンに浸透する作戦を採っていた。影響力のある人物に接触できるとともに、隠れ蓑にもなるといううまみがあったからだ。
 真実はおそらくこういうことだろう---マルタの騎士団、シオンの小修道院、フリーメーソン、ナチのSS、アジアの三合会、さらにはかつてのKGBまでもが国際的謀略のトワイライト・ゾーンのどこかでCIAと一つになっているのだ。
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 [世界各国の政府転覆、崩壊に絡むCIA]

 陰謀を企むあらゆる秘密結社にとって何より大事なはずの革命煽動という使命をCIAがどのようにして果たしているかという点になると、彼らについて取り沙汰されていることはますます霞がかかったようになってくる。まず言えることは、ここで列挙し尽くせるより多くの政府転覆・崩壊の背後にCIAが存在していたことに疑いはない。1954年、グアテマラ。1970年、チリ。1984年、グレナダ。イラン。ギリシャ。ドミニカ共和国。カンボジア。ニカラグア。そしてもちろんベトナムである。以上の国々を挙げるだけでは、CIAによって政府が設置されたり、倒壊させられたり、転覆させられたりしたことのある国家のリストとしては惨めなほど不完全である。
 CIAのテロ支援を調べてみると、問題はさらに曖昧模糊としてくる。テロリスト(現代では革命家のことをこう呼ぶ)は、極め付きの悪党としてアメリカ民間伝承の中に位置するようになった。政府やメディアが決めている一般的な表現方法では、「テロリスト」とはその定義上アメリカを憎悪する者ということになっている。従って、CIAほどアメリカの国益を保護しアメリカの意志を遂行することにかけて熱心な機関が、テロリズムに関わっているなどとは信じがたく思える。
 捉え方に問題が生じるのは、一つには「テロリズム」に対するアメリカ式の定義に関係している。どういうわけか、テロリズムは左翼の不穏な活動と強力に結び付けられてきており、あたかも右翼のテロなど存在しないかのようである。だが確かに公式筋によって左翼の現象としてテロリズムを捉える見方が定着したのではあるが、メディアや政府のプロパガンダがこの定義を発明し、固定化させたとするのはあまりにも表面的である。
 テロリズムの意味をつきつめていくと、「我々」と「彼ら」の意味が問題になる。「彼ら」は貧困層であったり、黒人であったり、外国人であったりする。「我々」とはアメリカの主流のことでポケットに少しでもお金を持っている白人のことを指す。「我々」が極左からの脅威だけがテロリズムだということを易々と受け入れているようなのも、極左が「我々」に脅威であるからだ。共産主義が産み出されて以来、アメリカ人は左翼とは「我々」がこよなく大切にしているものを全部持っていきたがっているとの考え方を仕込まれてきた。右翼は逆に、というか安心なことに、もっぱら「彼ら」少数人種、貧困層、外国人を相手にしており、そして我々から離れたところへ暴力の矛先を向けてくれている。右翼テロリズムがそれほど脅威ではないのも「我々」を脅かすものではないからだ。
 少なくとも、こういうふうに考えればいいと我々は教わってきた。
 アメリカ人がテロリズムというものを、デパートを爆破したり観光客を射殺したりしながら人民闘争を称揚する過激なマルクス主義者らによって実行される左翼的現象として捉え違いしていることはさておき、右翼の組織である「ブラック・インターナショナル」などはそうした現象よりはるかに根が深い。この運動はスコルツェニーや他のナチ一派によって創設されたものである。その中には「リヨンの殺し家」クラウス・バルビーが含まれているし、さらにそこには---これは最も重要なことだが---古くからナチスに資金援助してきた謎の人物フランソア・ジェノーの名もあるのだ。
 CIAの援助がなければこれだけの連中が鳩首を寄せることはなかったと言ってもよいだろう。CIAは、バルビーを含めたナチ党員が戦争犯罪の罪を免れるように計らい、彼らを諜報用の「人材」として登用した。新たな人生を与えてやったり、中には別人に生まれ変わらせたケースもある。右翼のテロ・ネットワークは今日でも目につく。
 パレスチナのテロリスト組織はその一部である。その活動を点火したのは、CIAのバックアップを受けたスコルツェニーおよび彼のSS時代の仲間だった。今もなおCIAとのコネクションが表沙汰になってきている。CIAは、黒い九月のリーダーで1972年のミュンヘン・オリンピックにおける虐殺事件の首謀者アリ・ハッサン・サラメーに気に入られようと努力した。サラメーを「人材」に取っておこうと必死で、全額負担で陽光豊かなホノルルでのバカンスを過ごさせてやったりした。1979年、イスラエルの復讐の長い手が伸びてきた時、サラメーの浜辺の日々が終わりを告げた。だがイスラエルがサラメーを射殺したのは、CIAからの許可が降りるのを待ってからだった。
 さらに最近になると、イランやリビアの支援を受けた突撃隊がアメリカ人を人質にとり、米軍人に対して神風攻撃を加えているその最中に、ホワイトハウスを拠点とした武器商人のネットワークがCIAの筆頭(その上長年の間、諜報部員を務めた男)ウィリアム・ケイシーの命令でイランに武器を輸出し続けていたのである。この作戦がイラン・コントラ事件の核心だったのだ。
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 番外【イタリア】

 『超陰謀』ジョナサン・バンキン著より

 (中略)
 連合軍がシシリー島を確保し占領軍を設けると、マフィアと米軍は一段と親密度を増した。法と秩序を維持する必要があると同時に、まだやり残していたイタリア作戦用にできるだけ戦力をとっておきたかったため、占領米軍はヴィツィーニを含めたマフィアのボスをシシリアの多くの町の市長に任命した。ギャングがアメリカの支援を受けた疑似警察力へと変身したのだ。
 アメリカはギャングを使って、当時芽をふき始めていた反ファシスト・レジスタント(抵抗戦線)をつぶそうとしたのであった。アメリカはイタリアのファシストたちを相手に戦っていたのだから、これは一見矛盾しているように見える。国の内部から強い抵抗運動が沸き起こってくるのは大歓迎のはずだと誰しも思うだろう。問題は何だったかと言うと、レジスタンスには左翼主義者たちが大勢加わっていたのである。イタリア共産党の党員数も膨らんでいた。これらの経緯が、戦いの相手となるであろうどんなファシストたちよりも、占領米軍にとって脅威だったのだ。マフィアは自ら進んで反共産党闘争の戦士になり、この反共産党の戦いが、イタリアをまだ支配していたファシストに対する戦いが未完成だというのに、それと取って代わったかのような感があった。
 軍はマフィアをかわいがり、文字通り野放しに殺人を犯させた。ヴィツィーニはヴィラバで警察署長を殺害したが、アメリカ人たちのおかげでこの町で彼は市長ということになっていたのだ。
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